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ウエスト古賀花見店

ファイル 909-1.jpg古賀市花見東の495号沿いにあるうどん店。
24時間営業のチェーン店だけど聞いたことない名前だから福岡の御当地チェーンかな?と思って期待した。(そうらしいけど、関東にもあるらしい、、)

というのも、つい最近Webで、福岡のうどんの特集を読んでて、「コシのある讃岐とは真逆の唇で切れるやわらかいうどん」というのが気になって食べてみようと思ってた。
そこで紹介されてたのは別のチェーン店(牧のうどん)だったんだけど、そっちは営業時間11時からだからドライブ行程的に難しいかな?と思ってた。(この日行く先々でその「牧のうどん」の店を見かけたけど、どの店も凄い混んでたのでこだわらないで良かったと思う)

さて、店内にはおでんコーナーもあってそそられたけど、うどんに集中。
メニューを見て、人気のおすすめメニューの「ごぼ天肉うどん」にした。
ごぼうが人気なのか。へー。九州の人ってゴボウが好きなのかな。

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で、その「ごぼ天肉うどん」
うん、甘くておいしかった。
うどんは驚くほどではないけど柔らかくて食べやすく可愛らしい。
ごぼ天もおいしいね。

実は、我が家は父親が戦時中に学童疎開先で食べさせられまくったということでゴボウが大嫌い。
その影響で自分もやっぱり嫌いだった。
けど、大人になって「好き嫌いをなくそう!」と頑張ってゴボウサラダ辺りから馴染んで克服して平気になった。( ̄^ ̄)
んだけど、、、
弁当とかだと、やけに辛いキンピラなどで使われてて、最近また敬遠しがちな食材になってた。。(ノ∀`)

そんなゴボウだけど、天ぷらはイイネ。油にあうんだ。
甘めの汁と肉に相対してて丁度イイ感じだった。
体も温まってイイ朝食になった。

タグ:餐:麺 餐:菜

元祖長浜屋

ファイル 761-1.jpg福岡市中央区長浜にある昭和27年開業の老舗で文字どおり長浜ラーメンの元祖の店。

今日は朝から、鶏肉、鶏肉、牛肉と既に食いすぎな感のある一日で、日田では焼きそばを我慢して通過したものの、福岡に来ちゃった日にゃラーメンの一杯くらい食べなきゃ九州に来た意味が無いとか思えて誘惑に負けました。。

で、特に店は決めてなかっただけど、屋台は沢山並んでて迷いそうだからヤメて店舗の方。
一応調べて元祖の店に来てみた。

こんな時間だからか意外と店は空いてた。
食券買って中に入ると、なんかよくわからないけど「どうしますか」みたいなこと聞かれて「え?え?え?」と戸惑った。
どうやら、硬さとか味とかそういうのを聞かれてたらしい。頓珍漢なこと答えてたと思うけど適当に見繕ってくれたみたい(^^ゞ
他の客は「ベタでバリカタ」とか「ナマ」とか「ナシ」とか暗号みたいな専門用語で注文してて「どこの国だここ」って感じ。
コアだ。文化だ。予備知識が必要なようだ。思えば遠くに来たもんだ。

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てわけで、ラーメン。
麺は硬いのかな普通なのかな。
僕は慣れてないので凄く硬く感じた。。うまいまずいというより面白いね。
豚骨の汁はさすがに素直にうまかった。ペロリと飲み干した。
いやぁ九州に来たんだなって感じ。面白く美味しかった。

さて、満足の食後は少し屋台街を歩いてみた。
相変わらす屋台は沢山並んでやっぱ週末だけあって賑やかだった。
屋台の雰囲気いいなー、飲みながら歩きたいなぁ。もう一杯食べちゃいたいトコだけど勿論自重。
屋台にも人気店があるようで、行列になってるトコが二軒あった。

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タグ:餐:ら 観:街 観:発

立ち食いうどん

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香春町の322号沿いの立ち食いのうどん屋。
店名が「立ち食いうどん」ってイサギいいよね。

ファイル 74-2.jpg中は厨房を囲む形の長いカウンターの立ち食い屋。
おばちゃんと女の子の二人が無愛想ながらテキパキと動いてた。
注文は聞いてないようでちゃんと聞いているらしく、大声で注文すると返答なくてもちゃんと出てくる若干不安なシステム。
客が途切れないからねえ。こうでなきゃ捌けないだろうね。

てわけで、うどんとおにぎり。ちゃんときました。
ネギと天カスはカウンターに置いてあって自由。

これはうまかった。
お出汁の感じもいいし、うどんはコシの無い柔らかいうどんながら安っぽくなくしっかりとうまい。

朝から旨いもん食えてご満悦。

タグ:餐:麺 餐:飯

大野城跡

ファイル 53-1.jpg大野城は白村江の戦いで負けた大和朝廷が、太宰府の防衛目的で築いたとされる城。
飛鳥時代の西暦665年に建造。
四天寺山というカルデラ状の山の峰に8kmにも及ぶ土塁を築き、谷には石垣を擁し四つの城門を構えた太古の巨大な城。

山そのものというか山並みまるまる城跡という広大なもので、どこにいったら城跡が見れるのかちょっと分かりずらかったけど、先に行った水城跡にあった地図をみてやっと分かった。
一カ所行ってココが城跡!じゃなくて、山を回って何カ所かに点在する遺跡を見て回る感じね。ちょっと途方も無いよ。

で、ここ尾花地区土塁前に駐車場も有り、眺めもよく案内板もあった。取りあえずここらを歩いてみて大野城跡観光としよう。

ファイル 53-2.jpg峰の縁の土塁はしっかりきれいに再現されてた。
この調子で8km全部整ってるのかな?(いや行かないけどね)
そして太宰府口城門跡はここから下ると行けるらしい。。
どのくらい下るんだろう?、、取りあえず後回し。


ファイル 53-3.jpg取りあえず土塁を少し登った。
おお、なんか城壁っぽい。

でもこれ1300年も昔に造るの大変だっただろうな。。
っていうか周囲8kmの城ってイザとなったら守りきれるのか?
太宰府の守りって事だけど、太宰府側もしっかり土塁巡らせて城門造ってたって事は、太宰府を守るというより太宰府の物も人も丸々立てこもるつもりの城なのかな?なんて勝手な想像を思い巡らせて歩いた。

さて、土塁をずっと歩いてたら山登りになっちゃうので適当な所でストップ。焼米ヶ原の上のピークに登って野原を下った。

ファイル 53-4.jpg少し戻って尾花地区礎石群を見た。
土塁からは少し森に入った所にあり、案内は不親切で最初ドコにあるのか分からなかった。

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十棟分の高床式倉庫跡。
全部同じ大きさの建物だったらしい。って、倉庫だけ?どういう風に運営してたんだろうかねぇ?

とりあえず、その時代の城なんてよく知らないし(判明してない事もおおいだろうしね)こんな規模のでかい城なんてのも初めてだったので、色々と不思議で勝手に想像したりして楽しく歩けた。

あ、城門跡、、は、いいや (^ ^;Δ

タグ:楽:歩 観:城 観:史 景:山 景:町

水城跡

ファイル 52-1.jpg大和朝廷が太宰府防衛の為に築いたと言われる、1.2kmにも及ぶ土塁の跡。
大野城の跡地を探しててたまたま見つけて立ち寄った。
これも大野城とセットでの一大防衛ライン設備らしい。
ここから西隣の丘までの間1.2kmを塞ぐように造られた長い土塁、それが「水城」だそうな。

その水城の東門跡に駐車場があって、水城から大野城に繋がる山の駆上がりの丘が展望所になっていた。
上から水城跡もよく見え、町も遠く見下ろせた。

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↑真中のやや右の森っぽいのが水城跡。こんな感じで高速などの道路や線路に削られながら1.2km続いて残ってる、1300年前の土塁。click:1700×400

実際は700年前の蒙古襲来の時に改修されたとあるから、実質その時代のバージョンなんだろうね。

丘から降りて、県道を挟んだ反対側の広場からも水城を見てみた。

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ん〜高速道路より全然立派だな。
っていうかコレってやっぱりかなりの人が使役されたんだろうな。

その水城跡の前には一面に濃ピンクのレンゲ草が咲いていてキレイだった。
ファイル 52-4.jpg

タグ:観:城 植:花 楽:眺 景:町

宇美八幡宮

ファイル 51-1.jpg宇美八幡宮は福岡市の少し南東にある神社。
安産や子供の成長を祈ってお参りする神社だそうな。。(知らなかった)
なんでも神功皇后が応神天皇を産んだ所なので「ウミ」という地名になったそうな。
僕は子供もいないし妊娠してもいないので神社には用はなく、、目的は巨木。大楠。

たいていの神社は御神木として老木の巨樹をでん!と一本守ってるもんだけど、この神社境内は国指定天然記念物の楠木二本を含む何本もの大楠が集まっている巨木林になっているとの事で興味を持っていた。

神社に入ると入口あたりからして太い楠が生えていたけど、それは普通の楠らしい。
奥に進んで拝殿の右横に大楠。まずは「湯蓋の森」

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この木の名前が「湯蓋の森」と言う。
いきなりその名前が「森」って凄いね。
幹周15.7mの国指定天然記念物。
宇美八幡の祭神になる応神天皇がここで産湯につかった時に、蓋をするように枝が覆っていたんだそうな。
ふーん。応神天皇っていつ頃の方?
その言い伝えからすると樹齢は何年?はっきり書いて無かったし、帰ってきて調べてもサイトによってまちまちだった。。

そして拝殿の左奥の「衣掛の森」

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この樹も森!っていうか何か凄い形の巨樹だなぁ。
ファイル 51-4.jpg近寄ってもよくわからない形の巨樹。若い幹が横からも出てて「J」の形。
なんか幹を見ると苔むしてたりして岩山の様で森って感じする。
幹周20mの国指定天然記念物。
この樹は環境省の日本の巨樹で六位の樹。
でもこのランキングって幹周りの太さでの順位なんだよね。

「衣掛の森」は応神天皇がここで産湯につかった時に、神功皇后が衣を掛けた樹という話らしい。
って事は伝説通りなら樹齢二千年くらい。
いやいや多分、そういう樹がその時代にあって、この樹達は二代目とか名前を継いだ樹ってことなんだろうね。

ファイル 51-5.jpgそんな伝説や番付や神様はどうでも良くて、それよか巨樹の森に包まれた神社の風景と空気をのんびり味わえればそれで良しなのです。
だって名前も説明もない何本もの大楠もそれはそれは立派なんだもの。

新緑の神社でのんびり森林浴、のつもりが、境内で工事してて重機がうるさく、、余り落ち着いて見れなかった。。
でも雰囲気いい森だった。子供が出来たらまた来よう。

タグ:植:樹 観:然 観:宮 観:伝 景:森

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