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大野城跡

ファイル 53-1.jpg大野城は白村江の戦いで負けた大和朝廷が、太宰府の防衛目的で築いたとされる城。
飛鳥時代の西暦665年に建造。
四天寺山というカルデラ状の山の峰に8kmにも及ぶ土塁を築き、谷には石垣を擁し四つの城門を構えた太古の巨大な城。

山そのものというか山並みまるまる城跡という広大なもので、どこにいったら城跡が見れるのかちょっと分かりずらかったけど、先に行った水城跡にあった地図をみてやっと分かった。
一カ所行ってココが城跡!じゃなくて、山を回って何カ所かに点在する遺跡を見て回る感じね。ちょっと途方も無いよ。

で、ここ尾花地区土塁前に駐車場も有り、眺めもよく案内板もあった。取りあえずここらを歩いてみて大野城跡観光としよう。

ファイル 53-2.jpg峰の縁の土塁はしっかりきれいに再現されてた。
この調子で8km全部整ってるのかな?(いや行かないけどね)
そして太宰府口城門跡はここから下ると行けるらしい。。
どのくらい下るんだろう?、、取りあえず後回し。


ファイル 53-3.jpg取りあえず土塁を少し登った。
おお、なんか城壁っぽい。

でもこれ1300年も昔に造るの大変だっただろうな。。
っていうか周囲8kmの城ってイザとなったら守りきれるのか?
太宰府の守りって事だけど、太宰府側もしっかり土塁巡らせて城門造ってたって事は、太宰府を守るというより太宰府の物も人も丸々立てこもるつもりの城なのかな?なんて勝手な想像を思い巡らせて歩いた。

さて、土塁をずっと歩いてたら山登りになっちゃうので適当な所でストップ。焼米ヶ原の上のピークに登って野原を下った。

ファイル 53-4.jpg少し戻って尾花地区礎石群を見た。
土塁からは少し森に入った所にあり、案内は不親切で最初ドコにあるのか分からなかった。

ファイル 53-5.jpg
十棟分の高床式倉庫跡。
全部同じ大きさの建物だったらしい。って、倉庫だけ?どういう風に運営してたんだろうかねぇ?

とりあえず、その時代の城なんてよく知らないし(判明してない事もおおいだろうしね)こんな規模のでかい城なんてのも初めてだったので、色々と不思議で勝手に想像したりして楽しく歩けた。

あ、城門跡、、は、いいや (^ ^;Δ

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