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道の駅 飯高駅

ファイル 1595-1.jpg松阪市飯高町宮前の166号沿いにある道の駅。

広い駐車場で日帰り湯のある道の駅。気にはなってたけど寄ったのは多分初めてだと思う。
まだ朝なので風呂も食堂もやってなかったけど、物産店を覗くと惣菜コーナーで松阪牛弁当とか見かけて、んー前回食べられなくてちょっと悔しかったから奮発するか、、と買って朝食とした。

それと、物産店の入口で売ってた「三色だらやき」という郷土焼菓子も興味持って買ってみた。

えっと、、休憩室みたいなのはないかな、、、とか思ったけど、これだけ広い建物なのにそういう部屋はなかった。。(日帰り湯が閉めてたから?)

ファイル 1595-3.jpg仕方なく、半東屋風に屋根のある外の地域案内板前のベンチで座って食べることにした。
晴れて日差しは燦々だったけど、気温低く風もあったので室内で食べたかった。。
まあいいさ目の前に駐車した自分の車でも見ながらのんびり食べるさ。(なんかだんだんこの後ろ姿も好きになってきた)

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飯高駅名物駅弁「松阪牛弁当」はちゃんと売場に松阪牛証明書のコピーがあったもので、確かにうまい肉。
でも冷たい作り置きなのはやっぱりちょっと残念で、そこそこの値段なのでとんとんかな。まぁ朝から少し贅沢な気はした。

「三色だらやき」はパンケーキ風なもので、だらーっと焼くから「だら焼き」と呼ばれ、ヨモギ味とニンジン味だそうだ。(あれ?二色じゃね?)うん、程よい甘さでおいしかった。ヨモギのほうが風見あって良かったな。


食べた後は、ここらでまたオイルの点検しとこうかな、、と思ってたんだけど、風が強く体冷えちゃってたのでやめて出発。
ああ、乗ったら車内は温かい。。(車で食べたら良かったんじゃね?)

タグ:食:弁 餐:肉 餐:菓 道の駅

吉野神宮

ファイル 1594-1.jpg吉野町吉野山にある神社。

吉野は熊野と共に世界遺産となっているので、一度は行ってみたいなとは思いつつ、何があるとか見どころがとかまるで知らず、、とりあえず最初に見かけたこの神社に寄ってみた。

「丈六平」という標高272mの吉野山中腹の台地にあって駐車場も広々。誰もおらずに背伸びして休憩するのにいいところ。(この先の吉野山はどこも狭かったから伸びするならここでって感じ)
朝日がさして気持ちよかった。

ファイル 1594-2.jpg神社へ歩くと、鳥居の前に長ーい下り坂の砂利の参道があった。うへぇ下から歩いて上ったら大変だろうなぁ。。

展望台っぽくなっていたけど木々が邪魔してて眺望は少しだけだったけど、いい眺めだった。

ファイル 1594-3.jpgそして神社へお参り。
由緒を読んでから大きな木の鳥居をくぐる。
吉野神宮は後醍醐天皇を御祭神に祀る明治時代に建てられた比較的新しい神社。
後醍醐天皇かぁ、、
南北朝時代だっけ?そこら辺の歴史には疎いんだよね。。(そこらへんが良く分からないのに吉野山にくるのは勿体ないかな?)
火の鳥に出てたっけ?(出てません)

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社殿は昭和に入ってから完成したそうだけど、外拝殿の天上なんかもキレイでもっと新しいように見えた。

誰もいなくて静かで清々しくて良かった。
新田とか楠木とかそこら辺に興味持ちだしたら、また来てみたいなと思った。

タグ:観:宮

加寿屋 四天王寺店

ファイル 1593-1.jpg大阪市天王寺区四天王寺の25号沿いにある「かすうどん」の店。
大阪を中心に十数店あるチェーン店みたいで、前に食べたのもこの加寿屋だったかな。(藤井寺の本店、二年前)

夜は食べないようにしてるんだけど大阪に来なきゃ食べられない味なのでついつい寄っちゃった。 (・ω<) てへ。

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うーん
やっぱうまいね。カスがいいね。
遅い時間でも食べられる御当地の市民の味。ありがたい。
気軽に食べたいけど、関西以外には店舗出来ないで欲しいよね。

タグ:餐:麺

道の駅 丹波おばあちゃんの里

ファイル 1592-1.jpg丹波市春日町七日市の175号沿いにある道の駅。

ここは去年のGWに夜来て寝た所。寒かったな。
なので店開いてる時間に来たのは初めてだと思う。
さっき食べた蕎麦ではなんか物足りないので日が暮れるギリギリで何かそそる食べ物ないかな?とか思って車を下りた。

ファイル 1592-2.jpgここは産直売店と食事処と休憩室(+トイレ)とが別棟になってて、奥の食事処のフードコートを覗いてみたら、、、
もう椅子が上がって閉店してた。。あらー残念。

脇のベーカリーも店員の女の子がモップ掛けしてた。。
こっちも終わりか、、こんなにパン残ってるのに、、と、一応ダメ元でパン買えないか聞いてみたら「まだやってますよ」だそうだ。紛らわしい。

ってわけでパン購入。
休憩室の棟に行ってゆっくり食べた。

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したらどのパンもおいしかった。
まぁパン買って食べただけじゃ点景にするには弱いけど、名物の丹波黒大豆使用の「黒豆パン」が特においしかったので一応アップ。

タグ:餐:麭 道の駅

そば楽

ファイル 1591-1.jpg与謝野町上山田の312号沿いにある出石そばの店。

出石そばは豊岡市出石町の歴史ある御当地蕎麦。
前回豊岡で‎コウノトリを見た後、寄って食べようと思いつつ通過しちゃったので、今回は行こう、、と思ってたのに、出石には回らずについつい兵庫県を抜けて久美浜に出ちゃったのでまあいいかと諦めてた。
ら、
出石とは県も違う京都府側の与謝野町で国道沿いに「出石皿そば」とあったのでラッキーとばかりに寄ってみた。

店に入って席に座ると「ごめんなさい、今日は昼に大勢お客さんがいらしてて、あと一人前しか出せないけどいいですか」と言われた。
え?お一人様だから一人前あれば問題なくない?(変な影がついてきてたりしないでしょ?)
と、皿そば一人前たのんだ。

で、「出石皿そば」登場。
実はどんなもんか知らなかったんだけど、五枚の小皿に乗った形。(出雲っぽいなと思った)
玉子といて薬味とお出汁を好みで混ぜて、つけて食べた。(そこが出雲と大きく違うトコ)

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うん、おいしい。
やさしく啜りやすい蕎麦に、玉子とお出汁は甘めでつるっと一口。
つるっつるっつるっつるっと五口で完食。
わぁアッという間。。
「一人前しか」と言われた意味が分かった。普通は追加おかわりするもんらしい。(っていうか一人前が半人前ってことじゃん)
腹的には物足りないけど味はよくて、皿そばがどんなもんかも分かって取り敢えず満足。

まぁまたいずれ出石で食べられたらいいね。

タグ:餐:麺

今子浦海岸

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香美町香住区境の日本海に面した香住海岸の西奥の一部。
ここは以前からネタ帳に載せてた場所。

ファイル 1590-2.jpgそのネタはもう一目瞭然ですな、あの黒島の前に見えている「カエル岩」。
蛙ネタでいろいろ検索してて気になってた所。
いやぁ実際見たらここまでカエルの形だとは驚いた。

ここは昔から北前船の乗組員が無事かえるようにと願った祈願岩だったそうだ。

さて岩場の千畳敷の海岸を少し歩いてみた。
手前の奥には「但馬赤壁」の断崖。夕陽に染まると赤い屏風になるそうだ。

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「カエル岩」まで行けるかな?とか思って歩いてみたけど、間離れてたし波も荒くてあまり進むのは危ないかな?

千畳敷の岩の合間の磯には生き物を見かけられなかったけど、たまに皹のような皺の入った黄色い岩とかあったりして、おだやかな西側の海面にはカモ(?)がプカプカ浮いてたりして、のんびりした風景。
いい景色でいい休憩。

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ここから「大引の鼻展望台」という案内が出てた。行こうかと思ったけど、どのくらい歩くか分からなかったからヤメといた。

タグ:景:岩 景:海 景:島 景:崖 景:磯 観:蛙 動:鳥

道の駅 あまるべ

ファイル 1589-1.jpg香美町香住区余部の178号沿いにある道の駅。
JR山陰本線の余部鉄橋の袂にある。
そういえば前にまだ赤い鉄橋が解体される前に来たときは道の駅じゃなくただの駐車場があったんだっけ?
(以前来た時の日誌→)

混んでたから通過、、と、思ったけどトイレ行きたかったから寄ってみた。小さい駐車場で無理かと思ったけどいいタイミングでいい位置に停められた。

トイレ済ませて、新しく架け替えられた余部橋梁を見上げてみた。
この細く長く高い感じはコンクリの新しい物でも壮観で、そんない悪くないと思う。
この場所こそ山陰!みたいなキャッチーな風景は健在じゃないかな。

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ファイル 1589-3.jpg道の駅内や隣の建物はプチ余部鉄橋資料館コーナーにもなっていて、模型とか色々あった。
旧橋梁は明治末期の建築で、当時は東洋一の橋梁、トレッスル式鉄橋としてはその後も日本一だったそうだ。

さて、店内他を覗くとここにも御当地バーガーがあった。ので、食べようかと思ったら「今混んでて調理に30分くらいかかりますが、、」といわれてヤメタ。

て、わけでトイレと橋を見上げただけで出発した。


けど、帰ってからネットで見てみたら、、
なんと赤い鉄橋の少し残した部分は登れるそうで、上は「空の駅」という展望台になってるそうだ!
がーん、、知らなかった。
っていうか、何で道の駅でもっとアピールしてくれてなかったんだ、全然気づかなかったよ、、
くやしい

タグ:観:鉄 観:橋 観:模 楽<残 道の駅

宮本武蔵初決闘の場

ファイル 1585-1.jpg兵庫県佐用町平福の373号沿いの佐用川流域で、かの宮本武蔵が十三歳の時に始めて決闘したと伝えられる場所。

この373号は宮本武蔵ゆかりの地への国道というべきルートで、いつかそういうテーマで来たときに走ろうと思ってた道。
なので、いちおう道路上に「初決闘の場」なんて案内を見かけたからには寄ってみないとねぇ、、なんて感じで寄ってみた。

風景的には特別良いも悪いもない田舎の川沿い。
駐車場らしきスペースで車を下りてみると、佐用川に架かった橋の前に案内板があった。

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この金倉橋のたもとで有馬喜兵衛の「何人たりとも望みしだい手合わせいたすべしわれこそ日下無双の兵法者なり」という挑戦の立て札に応えて決闘し勝利したそうだ。(と「五輪の書」の自伝の巻に書かれてるそうだ)
ということで、川沿いにはその立て板が再現されていた。

十三歳といえば、昔は数え年だから今でいう満十二歳、小六くらいかな?
子供に木刀で打ち殺された有馬ってどんな兵法者だったんだろうか。。
(自伝だしね、、 実際は橋の下のホームレスを暴行して殺しちゃったとかだったりして)

そして脇にある「金倉の六地蔵」というには、江戸時代にあった平福藩刑場の供養で立てたものだそうだ。
江戸時代中期に飢饉からの百姓一揆て捕まった義民の牛右衛門もここで処刑されたとか。
なんか、なんでもない田舎の川沿いの風景だけど、歴史的にはいろいろと惨たらしく殺された人達の怨が溜まってそうな場所だね。。

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現在の金倉橋に立つと、そんな剣豪ヒーローのデビューの地とも、刑場のおどろおどろしい地とも感じさせず、のどかで静かな景色。
張りつめた感じもいやーな雰囲気も全然なかった。

川原もそんなに広くなく、決闘するには向いてないような場所。
昔は地形違ってたのかな。
シラサギが水辺でひょこひょこ歩いてた。

ファイル 1585-4.jpg近隣の案内板は妙に明るくマンガチックで浮いていた。

案内をみると、
この川向かいにあった利神城の城主の娘と宮本武蔵の父が再婚し、その継母に武蔵は育てられたんだそうだ。
そして7歳で父が死ぬと、また再婚した元継母を追ってこの平福に来てたそうだ。
なんだここらで暮らしてたのか。
この初決闘の場以外にも、もっと観光に向いたゆかりのスポットが紹介されててもいいようなもんなのに、、
っていうかむしろ、刑場跡地より地場よさそうなトコで、剣豪ヒーローを夢想させてほしいよね。

タグ:景:川 観:橋 観:像 観:伝

明石SA

ファイル 1584-1.jpg明石市大久保町松陰の第二神明道路にあるサービスエリア。
昨夜ここで寝るためだけに乗った有料のバイパスだけど、サービスエリアだけに24時間やってる食堂もあって至れり尽くせり。
去年初めて来たばかりのトコながら、今後西行きドライブのいいポイントになりそうだ。(去年の→)

明石方面の下り側の「神戸食堂」は閉まってたけど、店内で神戸方面の上り側に通れて、そっち「明石食堂」は24時間開いていた。ナイス。
これは毎回そうなのかな?週替わりとかで「神戸食堂」が開いてる週とかないのかな?

ってわけでまだ暗い5時過ぎの早朝だけど、ここで朝食。
今回のドライブはPASAで早朝飯の連ちゃんだ。

「明石海峡たこ玉丼」が気になったけど、少し軽めに「明石たこめし蒸籠」(+味噌汁セット、、別だった)にしてみた。

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うん、朝でもしつこくなくて丁度よくおいしい。
でも蒸籠にしたらタコの風味が充満してそうだなという期待は少々はずれて、タコはタコで飯は飯って感じだったのが些ざんねん。
まぁそれぞれ一緒に食べれば同じだけどね。


食後、おもてに出たらすっかり明るくなっていた。
日が延びて嬉しい。
あ、そうか今日は春分の日だったな。

そして上下線の間の休憩スペースにモニュメントみたいな日時計があった。
明石は日本標準時子午線のある都市。日本の時間はこの明石を基準に合わせてるんだよね。
そんな明石で春分の日に朝を迎えるというのはなんか縁起いいね。
今年のドライブは常に良い朝を迎えられそうな。

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でもどうせ立てる日時計なら、もう少し朝から日の当たる場所に設置するか、少し盛って高くするかして欲しかったね。
とか、余計なもんくは考えずに気持ちよく朝からドライブ開始した。

タグ:餐:飯 餐:魚 楽<残 観:装 観:P

甲賀流忍者屋敷

ファイル 1583-1.jpg甲賀市甲南町竜法師にある甲賀忍者筆頭格の望月氏本家旧邸。

観光スポットで入館料650円でいつもなら考える事なくパス!なトコだけど、見た目古民家だったせいか何故か乗り気で一箇所くらいは恥の掻捨てでもいいかなとか思って入ってみた。

外は静かだったけど中は結構お客さん入ってて賑やかで、ちゃんとガイドで分かりやすい説明が聞けた。

屋敷は江戸中期の元禄に建てられた物で、進入した者から逃げる仕掛けや捕らえる仕掛けなどが施されていて、実に忍者屋敷らしいからくりのある造りでキャッチーで面白い。

近代では昭和の30年代まで普通に屋敷としてとくに気にせずに使用してたそうだ。
っていうか、戦国時代ならたくさん暗躍しそうな忍者だけど、平和そうな江戸時代でも進入されたりしてたのかねぇ?一応忍者の頭領だからってことで趣向として造ったからくりなんじゃないの?とかひねくれて最初は疑って聞いてた。

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落とし穴、どんでん返しの抜け穴、紙で開く窓、内側からは開けられない板襖、二階三階への階段は無く、登ったら外せる梯子や縄梯子を使ってたそうだ。

ガイド説明を聞いた後にその梯子で二階に上がってみた。
二階はやたら低い屋根裏のような空間。中二階だね。動きづらいので忍んできた敵を誘い込んで三階と一階から挟み撃ちにしたそうだ。(実際にしたのかな?)屈んで移動。

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三階は広く高い悠々した屋根裏空間(結局屋根裏か)暗い中での会議でも使われてという忍者っぽい話。

ファイル 1583-4.jpgあとは一階に戻って展示品とかを見た。
クナイや手裏剣や撒きビシ、仕込み刀に仕込み銃、水蜘蛛の足に填めるような輪は実は浮き輪のように腰の高さで使ってたそうだ。

っていうか、、、
ホントに忍者らしい忍者っていたんだねぇ。

実は僕は忍者って信じてなかったんだよね。
忍者って今でいう産業スパイみたいなもんで、騙したり眩ましたり裏をかくってトコを平和な江戸時代に噺家や演劇の誇張と創作で広げて忍術だのの奇術使う漫画的イメージが一般化しちゃっただけだとばかり思ってた。
けど、ちゃんと黒装束着て、修行して、飛んだり跳ねたり手裏剣投げたり、煙出して隠れたりしてたんだ。。
ちなみに甲賀忍者と伊賀忍者の違いを質問してみたら、使う物や技に違いはなかったそうで、大きな違いは、甲賀は一族の結びつきが強く伊賀は個別活動だそうだ。

へー、そうなんだ。と、意外と素直に面白く楽しめて入ってよかったと思った。


んー、、
でもやっぱ帰ってきてから改めて冷静に考えるとホントか?と疑わしい。
この屋敷も江戸中期のものだしね。(観光用に改修してるだろうし)
江戸時代には既に流行っていた「忍者っていうのはこういうものだよ」っていう漫画的イメージに沿って造られたというような気がしてならない。。

タグ:観:屋 観:装 観:具