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佐野ラーメン 中村屋 駒羽根店

ファイル 3350-1.jpg古河市駒羽根の4号沿いにあるラーメン店。

この中村屋というのは、定番ルート上にあった境町店に何度か行ってて気に入ってて、妹も連れてって好評だったけど閉店になって惜しんでた。で、今年になってこの4号を通った時に見かけて、調べて知って行こうと思って忘れてた。
今日は実は別の店に行こうという話になってて、そっちは野木に本店がある店。妹に検索させてみたけど、営業時間短くてとっくに終わってたので、じゃーどうするかと思いめぐらせてて思い出した。

で来てみたら、こっちは普通にやってて、「ホタテスープの佐野ラーメン」とあって間違いない。店の外観もなんとなく境町店に近い感じで迷わず寄れた。

うんうん、メニューも確か前と一緒。
自分はワンタンメンにした。

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おーこれこれ。ホタテスープの優しい味。そして佐野というよりは手打ちな感じのプリプリ麺。おいしかった。ちょっと久々で嬉しかった。こういうラーメンが好きだなぁ。
ワンタンはまぁまぁ。古河でワンタンならどうしても市街の餃子屋と比べちゃうけど、今日も妹にそっちに行きたいと言われて断ってもっと手軽なラーメン屋でとこっちに来たので比較はすまい。悪くはない。

ファイル 3350-3.jpg妹はラーメンと餃子、それと遠慮なく生ビール。。
まったく父親そっくりだ。
餃子はまぁまぁだったらしい。まぁそりゃね。

餃子屋とは違って一人でも気軽に来れそうなのでまた来ようと思った。

タグ:餐:ら

境逸品 鶏そば 山田屋

ファイル 3327-1.jpg境町住吉町にあるラーメン店。

先々週、妹連れて境の道の駅で沖縄そばを食べた後に、妹が店で土産用のここのラーメンを見かけて「この店も気になるね」といい「え?そんなラーメン店、この境町にあったかなぁ?」と疑問に思って場所を調べてた店。(っていうか妹は、おいしい沖縄そば食べた後によくもまぁ土産のラーメンとか見てたもんだ、、)
で、場所は表の県道からちょこっと横道を鋭角に折れた先で、ああ、ここじゃ見かけるわけもなく、知らずに当然だと思った。

で、それを憶えてたので来てみた。
横道に折れた先は、こんなトコに店あるのか?って感じの宅地だったけど、ちゃんとあった。駐車場もあって店の前に悠々停められた。なんか洒落た感じだったけど迷わずに入ってみた。

ファイル 3327-2.jpgら、店内手前の部屋は待ちルーム、数人待ってる人がいた。
そして券売機は休止中。メニューは鶏そば「黒」と「白」の二種類。あーこれは迷うなぁ。
ともにトッピングを一種選ぶセットで1000円丁度。ちょっとオーダーのシステムがわかりづらく、書き込む紙に記入してワンオペの店の人が聞きに来た時に渡すようだ。
「黒」も「白」も共に鶏ベースのアサリ出汁スープで、「黒」はサバ節を出汁に加えた再仕込み醤油で黒トリュフ乗せ。「白」は干し椎茸を加えた出汁に白醤油で玉葱柚子乗せ。クッキリvsスッキリって感じかな。。迷いに迷って「黒」にしてみた。トッピングはチャーシュー増しで。
で、紙を渡してから気づいた。券売機の前に集金ボックスがあって、穴から1000円入れる方式だった。。気が付いてすぐに「いけねイケネ」と野口さんを投入した。あぶねあぶね無銭飲食になるトコだった。。(っていうかコレ無銭飲食されちゃうんじゃないか)

席数少なく意外と待って15分でカウンター席についた。
セルフの水を汲もうと思ったら「境町のお茶です」とあった。おお!猿島茶だね。これはおいしかった。嬉しいサービス。
更に25分待ってやっとラーメン登場。ワンオペなので時間かかるのは仕方ない、のんびりした気分で来ないときびしいね。

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さて「鶏そば黒」うーんこれはうまかった。
しっかりした味で雑な感じはなく素直においしい。境町にこんな店があったとは。先々週の妹GJ!
麺もゆるい縮れの優しい細麺。チャーシューもレアハムのような優しさ。そして肉の上のトリュフを後から混ぜて味変も楽しめた。わぁ、トリュフってまたベクトル違う味わいで面白い。(っていうか見た目キャビアっぽくて思った感じとあさってで一瞬混乱した)

他の客はトッピングを「和え玉」にしてる人が多いようだった。和え玉とは味のついた替え玉だそうだ。あ、これたのめば「白」も味わえたのか。。これは現金で追加注文もできるそうだけど、まぁ「白」は次回の楽しみにとっておこうかなと思った。

タグ:餐:ら 餐:飲 楽<待

鵜の岬

ファイル 3326-1.jpg日立市十王町伊師にある太平洋に面した岬。

まだ陽も暮れてないし、一ヵ所くらい海辺に出て休憩してもいいかなと思って進んでて「ウミウ捕獲場公開中」という看板を見かけたので寄ってみた次第。
そういえば鵜の岬って日帰り湯があるんじゃなかったっけ?というのもあって丁度いいかなとも思った。

実は鵜の岬は前にも寄ろうと思って6号から折れてみたことがあったんだけど、国民宿舎の立派なホテル前の駐車場は、宿泊者ではないと停めちゃいけないような雰囲気だったので、引き返してた。。
で、今日は落ち着いて進んでみたら、幾つかある駐車場の内、宿泊者専用のものもあるけど、公園来園者も停められると表記ある駐車場もあったので、安心して停めて歩いた。

鵜のモニュメントがありつつ、まず池があって、公園と言えば公園っぽいけどやっぱりホテルの敷地という感じがして落ち着かなかった。まぁ実際ホテルの敷地なんだけどね。実は「鵜の岬」という岬はなく、この一帯は「伊師浜国民休養地」という区域になるのかな。「鵜の岬」は地名ではなく公募で決まったこの国民宿舎のホテルの名前なのだ。ちなみにこの「国民宿舎 鵜の岬」は宿泊利用率が33年連続1位の国民宿舎だそうな。
やっぱりこんな月曜の夕方に歩いてる人はみんな宿泊客なのかなぁ。。とか思い、まるで拝む気がこれっぽっちもない寺院を歩く以上の落ち着かない気分。
池の先に円形のゲージがあって、そこにウミウがいるようだ。まずはそこまで行こう。と周りを見ずにそそくさと歩いた。

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ウミウの丁寧な解説と全国で此処にしかない「ウミウ捕獲地」の説明を読みつつ、ウミウを眺めた。
ウってなんかいつも遠目に見てて少し怖そうな鳥のイメージあったけど、近くで見るとちょっとかわいく見えた。細くなったペンギンみたいな?この子らが飛ばなくなってぷっくらしたのがペンギンかも。
ちょっと網が重なってて写真は撮りずらかったけど、中には何羽ものウミウがくつろいでた。

しばらく見てたかったけど宿泊客っぽい親子が来たので退散。一旦池を戻ってホテルの方に歩いた。
そのホテルの裏が海。こそこそと裏にまわって林の散策路を歩いた。
散策路はもう夕方でだーれもおらず、なんか忍び込んだような感覚でサササッと進むと、不意に宿泊客っぽい老夫婦が現れたりして焦った。(悪いことしてるわけじゃないのに。。)
そして「ウミウ捕獲地」の海辺に抜けるトンネルの入り口に来てみたら。。。閉まってた。「公開終了」とあった。。何それ?ひょっとして宿泊客にのみ開かれる道なのか?

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どうにも腑に落ちず、トンネル以外に行ける道でもあるのかとトンネルの上の丘を上ってみた。
けど、上も林でぜんぜん海も見えず、岬の先に行けそうな道はやっぱり「関係者以外立入禁止」と閉鎖されていた。
えー、なんなのここ、、と、凹みながら丘を下った。下る時には下の入り江の浜が見下ろせた。
下りきるとその浜はちょうどホテルの前で、展望台のようなテラスデッキが貼り出していた。そのテラスに「ウミウ捕獲場公開中」の看板があったので「こんなん嘘じゃん」とかブツブツ言いながら見てみたら、時間が午前9時半から午後2時までとあった。あー時間か。もう5時半だもんな。。そりゃ無理だわ。
浜の端からウミウ捕獲場の方は見えないかな?と、進んでふりかえってみたけど、多分、見えてる崎の裏側だろうと思う。まぁ覗けたところでウミウがいるわけでもないだろうけどねー。っていうかウミウはさっき見たしねー。

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その浜の端の先には「海のさんぽ道」という遊歩道が延びていたのでそっちも進んでみた。
これは海沿いの細道でさっきの林よりも険しい一本道。そしてグングン登る坂もあって汗だく。
でも上の方は見晴らしのいいトコに出て海が広く眺められた。んーこれは朝日の方向だから、早起きの宿泊客にはいいだろうねぇ。
で、ここら辺も土むき出しで、ウミウが休みに来そうな雰囲気の岸壁になってた。いいねいいね。波も強く、ハマユリも咲いてていい感じ。すこし足を止めて岸壁と海とを眺めた。(風はなくて汗はひかなかった)

そのまま遊歩道を進むと、海沿いの岸壁の丘の細い峰の一本道。内側なので海は時折覗けるだけだった。

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道は少し海から離れたりもしたけど、最後は北側の伊師浜海岸の砂浜が見下ろせて西日も差してていい感じだった。

夕方で気温下がってきてたけどちょっと湿気がすごく蒸し暑くて汗だくの散歩だった。
ひとっ風呂浴びたいトコだったけど、そういえば日帰り湯なんてあったか?別のとこか?それともあの立派なホテルの中かな?こそこそと散歩してきただけにホテルはちょっと入りづらい気分だったので風呂は諦めて車のエアコンの風をガンガン浴びて出発した。(日帰り湯はホテルの横の奥への道の坂を上がった上にあったらしい、、案内あったかな?全然気が付かなかった)

まぁこんなだったけど、景色は楽しめた夕方の散歩でなかなか良かった。一応ウミウは見れたしね。

タグ:動:鳥 観:園 景:海 景:岬 景:崖 楽:眺 楽<残 植:花

茨城空港

ファイル 3316-1.jpg小美玉市与沢にある空港。

飛行場としての名は百里飛行場。戦前に海軍の飛行場として建設され、戦後は航空自衛隊百里基地となり、平成になって民間共用化して平成22年(2010)に開港した新しい空港。

僕は出来たばかりの頃に友達と来たことがあって二度目。
今日はたまたま近くを通っただけで、意外と妹が乗り気だったので寄ってみた次第。飛行機は好きな妹だけど普段はハワイだ海外だと国際線にしか興味なさそうで地方空港なんかバカにしてるかと思いきや意外と素直に飛行機が好きなようだ。(単にタバコ休憩したかっただけかもしれないけど)

ってわけで自分もトイレがてらってくらいのつもりで来てみたけど、なんか奥の方に戦闘機が展示されてるのが見えた!え?前来た時はなかったよな?知らなかった。。とテンション上がってその近くの奥に車を停めて歩いた。

ら、その戦闘機の手前の塚に登って空港を見てる人が何人もいて何かなと思ったら、ちょうど旅客機が滑走路に出て離陸体勢に入るトコだった。え、ナイスタイミングじゃん。
ってわけでうちらも塚に登って飛行機を眺めた。(まさかこれ古墳とかじゃないよな、、汗)

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飛行機は格安航空のスカイマークの便。ここはスカイマークのみの就航だっけ。中国や台湾への国際線もあったけど現在は休航中で国内線のみ。この機はどこ行きだろうね。(札幌だそうだ)
南に進んだ機は端で折り返して離陸体勢。この音が変わるトコはやっぱワクワクするね。
そして離陸。基地をバックにした角度の写真がブレているのは忖度ではなくて只の手振れです。。そして飛んだ。滑走から飛ぶまでずっと見れるのはいいね。妹も楽しんでた。

そして戦闘機。F-4型の機体が二機置かれてて、手前の迷彩色のはRF-4EJ偵察機。
偵察機と言っても改修して偵察任務に使ってただけで中身は戦闘機。ライセンス生産の三菱製。っていうかマッハで飛ぶジェット偵察機で迷彩色って意味あるの?まぁ緑一色だと旧軍の戦闘機の印象とかぶってよろしくないのかな。
尾翼には部隊マークのウッドペッカー、機首にはシャークヘッド。逆に米軍機の印象。自衛隊は軍隊じゃないんだからこんな戦争しそうな色じゃなくて特撮番組の防衛隊みたいな色にすればいいのに。。とか思う。

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もう一機はF-4EJ改要撃戦闘機。
グレー単色の自衛隊らしいカラー。尾翼に描かれた尾白鷲は北海道で発足して百里に配備された302飛行隊の部隊マークだそうだ。
両機ともにこの百里基地で使用されてた機体を借受したものだそうだ。どこで使ってたか分からないような古い練習機とかじゃなくて関心。こういうのは好きな人が見に来るからちゃんとしたものじゃないとね。F-1も並ばないかな。。
スルーかと思ってた妹もじっくり見て写真撮ってたのは意外だった。

そして空港に歩いた。
駐車場の先の西日は雲に隠れたり顔出したりでなんかいい感じの空。でも暑かった。
そういえばこの駐車場って何日停めても無料なんだよね。時間と行く場所が合えば使いやすい空港だとオタの友達が言ってた。僕は結局つかうことなくオタ卒しちゃったけどね。

建物の手前の角が喫煙所のボックス、先中入ってるねと別れてトイレにいそいだ。(この喫煙所は霊ぼなくてメチャクチャ暑かったそうだ)

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空港内はまだ結構人がいて、見るとまだ7時発の神戸便があった。コロナもおとなしくなって少し戻ってきた感じかな。
中央のエスカレーターには七夕飾りが吊られててきれいだった。そしてこのエスカレーターと入口の間は滑走路の床になってて上から振り返ったらかわいかった。

お土産売り場を見てまわって、少し少なくなった気がした自衛隊グッズとか見つつ、屋上展望台に出て滑走路を眺めたりした。
そういえば前は基地方向が角度で隠れる曇りガラスだったけど、なんか普通のガラスになってて基地も見えてた。けど特に基地に何が見えるわけでもなく、気になって見たのは手前の空港の車両、乗客が機に乗降する階段のタラップカーにガルパンが描かれてた。飛行機で大洗に来るファンもいるのかな。
そういえば茨城県庁で振袖のパネルだった観光Vtuberの「茨ひより」さんはCA姿だった。

意外といろいろと楽しめた空港だったけど、惜しむらくはなんか名物のチョイ食いグルメみたいなのがあればまた来たいと思った。また10年たって来てみたら変わってるかな。
 
 
ちなみに前回の点景
地震のちょい前だったんだね

タグ:観:機 観:軍 観:飾 観:キ

浜茶屋 やましょう

ファイル 3315-1.jpg鹿嶋市荒野の51号沿いにある食事処。

そういえばいつもここの「地だこ」の幟が気になってたけど、一度も寄ったことなく通過しちゃってた。
で、今日も妹に「ここらへんでおいしい店ないの」と言われて思い浮かばずに大洗まで行くか―って事になってたけど、51号に出たトコであーそういえばと思い出した。
で、51号をゆっくり進んでれば見逃すはずもない幟や看板が目立つ店で「ここでいい?」と寄ってみた。

駐車場は広く空いてたし午後ももう3時半過ぎてたから暖簾出ててもやってるかわからないよね、、と不安にも思いつつも店に入るとやってて一安心。

食事してる人もチラホラいた。っていうか、コンロで炉端焼きでエビ焼いてた。おお!そういう店か。イイじゃんナイスじゃん。

テーブル席についてメニューを見ると「海の幸バーべーキュー」というページで焼き物を特集。妹はエビ食べたそうだったけど、エビって殻剥くの面倒と思い、ページで一番大きく載ってたハマグリをたのんだ。
あれ?っていうか地だこは?と探すと単品で「鹿島たこ刺身」があるだけだった。。もっとタコメニューが沢山あるのかと思った。
それと店内貼紙にあった「アジたたき定食」(と、妹は生ビール。。)をたのんだ。

まずはガスコンロで焼きハマグリ。結構大きいハマグリで、3つで一人前。二人で食べるにはケンカになりそうw(二人前たのめばいいって話)

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焼けるまで待ち遠しく、殻が開く前に他の料理が出てきちゃったけど、しっかり開いた殻の中の身も大きくおいしかった!いいねいいね。やっぱおいしいね。

そして、貝焼いてて半分忘れてたけど、一番の目的だった「鹿島たこ刺身」やや厚めの大きめに切られた刺身。どれどれどんなもんかと食べた。

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ら、これがまたおいしかった!
鹿島のタコうまいじゃん!ナイスナイス。
ここに寄ってよかったと嬉しくなるくらいおいしかった。
なんでこれをもっと目立つメニューにしないんだろう?数が少ないのかな?「うん、これはうまい」と妹にも大好評だった。

そしてアジのたたきも身がしっかりしてておいしかったし、定食にはハマグリ汁がついてた。ご飯も釜炊きで食べ放題とか。(おかわりしなかったけど)

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なーんかすごい大当たりの食事。うっかり通過しなくてよかった。
どの品もおいしかったけど、やっぱりメインはタコだね。おいしかった。
満足で店を出て、敷地内に並んだ販売店の方ものぞいてみた。

ファイル 3315-5.jpgけど、こんなにでっかく「鹿嶋たこ販売」とあるのにタコは売ってなかった。季節じゃないらしい。そっか。タコの旬の季節って冬だったのか、、知らなかった。(西日本では夏だとか、、)

ってことは冬に来たらもっとおいしいのかな?また冬に来てみようかな。
店ももっとタコメニュー増やしてるかな?タコ丼とか。
とか期待しつつ、駐車場奥のアジサイとかも眺めつつ、妹の煙を待って出発した。

タグ:餐:魚 餐:貝 食:焼 食:定

鹿島神宮

ファイル 3314-1.jpg鹿嶋市宮中にある神社。

『日本三大神宮』の一つで、常陸国の一宮。
何度か来たことあったけど、そういえば神社にお参りしたのはあまりなく久々かも。点景にしてたつもりでしてなかった。。(香取は三回もしてるのに)あ、いや、裏の奥の御手洗池だけは来てて点景にしてたか。

そうそう、この鹿島神宮は駐車場が有料なんだよね。だから無料の香取は何度も寄ってるけど、よく考えたらお参りには一回しか、いやもう一回は来てるかな、、ってくらいしか来た事なかった。
で、前の暑い夏に裏の御手洗池に行ってみたら、そっちの駐車場は無料だったので鹿島神宮に来るならこっちだなと思ったんだっけ。

今回は妹のリクエスト。御朱印とか集めてるんだってさ。
もちろん正面は過ぎて駅の横から裏にまわって御手洗池の駐車場に来てみた。駐車場はそんなに混んでなくて森の日影側に停められた。ラッキー。
前来た時は夏でも涼しかったけど、今日はどうだろう?と思ったけど、やっぱりこの森からひんやりした風が漂って出てて駐車場からして少しだけ涼しかった。ナイス。

そして池まで歩くとやっぱり涼しい木陰で正に夏向き。妹もイイネと喜んでた。「わかってる兄貴でよかったでしょー感謝して」

惜しむらくは透明度バッチリの清らかな池だけど、写真だと映り込みが激しいのと、浮いた落葉であまりキレイに見えないとこかな。角度考えて撮ればよかった。。

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池の奥の湧水が流れ出るトコは少し並んでたけど、柄杓で手を洗って涼んだ。やっぱここはイイねぇ。

で、ここから鹿島神宮の境内へと樹叢を歩いた。
樹叢は丘になってるのでまずは少しだけ登る。少し人が多かったけど、自分も妹もわりと抜かし気味に登れた。そうだよね、九州では「運動不足」と言われたけど、こういうトコ来ると自分よりも更に運動不足っぽい人が多いんだよね。でも部活帰りっぽいJK達にはガンガン抜かれた。でも部活できるくらいの感染状況になって良かったよねと妹と話しながら進んだ。

坂を上り切るとすぐ先が奥宮だった。まずはこちらにお参り。
国の重文の奥宮の社殿は改修されてそんなに経ってない感じかな、キレイな木造でピンとこないけど慶長10年(1605)築の古いもの。今の本宮本殿を建てる前はこれがその位置にあった本宮だったそうだ。
茅葺で来た道の西の池の方向に向いていた。こっちからは池で身を清めてから参る正しいルートなのかもね。実はこの奥宮に来たのは初めて。前に来た時は樹叢の森は歩かなかったからね。

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その後は、南に歩けば神宮本殿だけど、まずはそのまま深い森の道を真っ直ぐ東に進んでみた。
南に進む森の道は二本あって、奥宮の前の西側の道も少し先の東側の道も同じくらいの太い道だった。その東側の道の交差点にはナマズに乗った武甕槌神の像があってカッコよかった。
とりあえずまだ曲がらずにもう少し進むと鳥居があって「要石」があった。

見るとその要石は中央にポツンと小さく埋まってたけど、これは実は地上に出た頭は小さいけど地下では計り知れないほど大きく、地震のナマズを抑えている石とのこと。ほおほお。
地中を想像して眺めてたら、警備の人が来て賽銭を拾い始めた。儀式的にではなく作業的に拾ってたのでなんか怪しく見えちゃった。

西への道はここまででこの先は立入禁止になってたので少し引き返して西側の道を南に折れた。
こっちの道はほとんど人通りなく、長ーく深い森の道をひた歩いた。でも道は広く木洩れ日きらめいてたけど涼しげで歩きやすかった。でも妹と話しながらのんびり歩いてたからいいけど、ひとりだったらやっぱいいやと引き返したかも。
深い森を堪能して10分ほど歩き、表の駐車場に抜ける手前で折れて境内正面口の赤い楼門に出た。

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楼門は江戸時代初期の寛永11年(1634)に造られたもので、国重文で日本三大楼門のひとつ。ここは三大なんとかだらけだなぁ。個人的には香取神宮ので見慣れてて全然違和感なかった。そっくりだよなぁ。同型かなぁ?
なので、逆にその楼門くぐって入った境内が思ってた景色じゃなくて不思議な感じだった。あれ?鹿島神宮ってこんな感じだったんだっけ?、、って頭の中では香取が浮かんでた。

で、またここでも夏越の大祓いの茅の輪をくぐって進むと、その先の右が拝殿。ここも西に向いてるのね。っていうか、社殿は「令和の大改修」で工事中の幕に覆われてた。んー残念。(奥宮は改修が終わったトコだったらしい)まぁ仕方ないね。この姿もレアかなとおもいつつお参り。

その背の境内左側の大きな社務所は大きく新しい建物で、授与所は冷房効いてた。
妹の御朱印の用が終わるまでここで座って休んでいたかったけど、御朱印は奥の社務所の方が受付で別だった。まぁイスは少なく休憩所なわけじゃないからずっといるわけにもいかず名残惜しみながら冷房から出た。(御朱印待つ時間はやっぱり冷房が恋しくて祈祷殿を覗いて涼んだりした)

授与所の前には仮殿というのもあって、これも国重文。元和4年(1618)建立。今の本殿の前の年に建てたもの。本殿を立て直す時に神様を遷してた宮。だったら改修してる今もこっちメインにしてもいいんじゃない?そういうもんじゃないのかな。

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さて、妹の御朱印も得て、戻りは東側の森の道を歩いた。こっちは人が多くメイン通り。奥宮まで歩く人は多いようだ。

その東の森の道の中間には鹿園があって沢山のシカが飼われていた。へええ、これは知らなかった。
案内によると鹿は鹿島神宮の御祭神の武甕槌大神の使いだそうで、奈良公園のシカの起源はこの鹿島のシカが使いで行ったものだとか。へええ、まじか。そして昔は奈良公園並みに沢山のシカが森にいたそうだけど一時期絶えてしまって、昭和32年に奈良の春日神社と東京の神田明神からシカを逆輸入してこの鹿園を造ったそうだ。知らなかった。
売店でエサを買えば人気者になれたようだけど、他の人があげてるのを見てるだけでいいな。

そして奥宮から来た坂道を下って御手洗池に戻った。やっぱここが一番涼し気だわ。

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駐車場までは池から流れる水路を辿って公園の池の方に廻ってみた。こっちの方が木陰だからね。水路の水はさすがにキレイに撮れた。
公園の池にはザリガニが沢山いたけど、写真は水面の映り込みで何が何だか。こっちの池は濁ってて残念なイメージだったけど、今日は意外とキレイに見えた。映り込みのせいかな。。

一時間半弱の散策とお参り。暑い夏の日にはぴったりの爽やかスポットで、本宮境内では汗ばんで冷房が恋しかったけど、駐車場では車に乗ってもすぐにエアコンがんがんということもなく、穏やかに出発できた。
 
 
ちなみに前回の御手洗池

タグ:観:宮 観:門 観:池 観:水 観:重 観:石 観:道 景:森 楽:歩 動:獣

水郷潮来あやめ園

ファイル 3313-1.jpg潮来市あやめにある公園。

潮来駅からすぐの裏の川沿いにある菖蒲の花の公園で期間中は「あやめまつり」が開催される場所。
妹のリクエストで取り敢えず来てはみたけど、もうとっくに時期は過ぎてるでしょって感じで閑散としててそんなに広くない駐車場も悠々停められた。(まぁ、逆に期間中の混雑した時には来たくないけどね)

車を下りたら夏の暑さ。でも梅雨が明けたらこんなもんじゃないんだろうなぁ、、(とか思ったけど翌日史上最速で梅雨明け宣言された。。)

閉まってた「あやめまつり大会本部」の窓に貼られたポスターを見ると開催期間は5/20~6/19。先週までだそうだけど、今年は熱いからどの花も咲く時季早かっただろうから遅くとも五月中には来ないとダメだろうねーと思った。

でも、他にもチラホラ歩いてる人はいたし、どんな感じの公園かと歩いてみた。
園内はもう花のない藤棚の道が本部前から川沿いにすっと続いていたので歩きやすかった。

で、先月なら一面に花が咲いていたであろうあやめ園の花畑にはよく見れば少しは咲き残った花も見れた。
でも花よりも先に目についたのは橋の前に橋幸夫の「潮来の伊太郎象」。歌碑がありボタンを押したら歌が流れた。そうだよね、潮来と言ったらこれだよね。(とかいいつつ、自分は「飛べ孫悟空」とかザぼんちの漫才ネタでしか聞いた事なかった世代だけどね、、)

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川の所は船着場で期間中はここから櫓船に乗れるらしい。高そうだけど。覗くと船はあったけどもう終了してて閑散としてた。川はジェットスキーが走りまわってた。

そしてそのまま川沿いの藤棚の道を下流に向かって歩いてみた。右手に川で左手に緑の花畑(花田?菖蒲田?)。チラホラ咲き残った花があってよかった。白いのもあった。その花畑の中央にも道があるけど、チラホラとしか咲いてないからそっちは歩く気にならなかった。日向で暑いし。

川は少し進むと「櫓船 折り返し」と出てた。船、、意外と短距離かも。

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県道の橋の下はガッツリ日陰で少し涼しかった。その先は対岸に船屋があって客少ないからか大声で「乗っていきませんか」と声かけられた。妹も乗り気じゃなくて無視しちゃってたけど、後から歩いてきてた客はなんか交渉してたから乗ったのかも。

そして公園の端の水門まで歩いて、水門に上がってその外の広い常陸利根川を眺めた。おもしろい眺めでもないけどね。屋形船が係留されていた。

これで折り返し、町中にまわるのも面白くないから川沿いの来た道を戻った。
櫓船っぽいのも通るのが見えたけど、櫓じゃなくてモーターだった。遊覧船か。

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自分は途中から花畑の中央の方の道に出てみて日向を歩いた。
「全国市町村あやめサミット記念花壇」というのがあって、見てみたら会津のアヤメだけ咲き残ってた。 っていうか、全国という割には東日本の県しかなく、あやめ園って東だけだったんだっけ?とか一瞬思っちゃった(んなわけない)

っていうか、こんな炎天下でも咲き残っててくれた花には感謝だね。
車に戻ったら速攻で冷房ガンガン焚いてあー生き返ったーって感じだった。

タグ:観:園 観:像 観:船 景:川 楽:音 植:花

大宝八幡宮

ファイル 3312-1.jpg下妻市大宝にある神社。

旧国道を走ってて「あじさい祭」の幟を見かけて気になって来てみた初めての場所。こんな大きな神社があるなんて全然知らなかった。
大きな鳥居の横の広い無料駐車場に車を停めて歩いた。

その鳥居の下のちょっと焼けて見ずらい神社の案内を見ると、御祭神は誉田別命、足仲彦命、気長足姫命、つまり、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の八幡宮トリオ。社伝によれば大宝元年(701)に藤原時忠が宇佐八幡を勧請した神社で、関東最古の八幡宮ということだそうだ。

参道も太く真っすぐで中間には門があって阿吽の仁王像が立ってた。あれ?神社だよな?とか思いつつくぐると、その先はアジサイだらけ、、かと思いきや、チラホラ程度だった。あれ?あじさい祭だよな?

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横の手水舎の前には「重軽石」があり、持って軽く感じたら願いが叶うという石があった。けど見てみたら小さかった。。これ、重く感じることあるの?

そして手水はアジサイが飾られててちょっとあじさい祭りっぽい感じだった。なんかお洒落な感じ。
手水はカメ、横には七福神の宝船やカエルもあった。
近くには石の甕があり、洒落た毬の浮く水面には赤い金魚が泳いでて、猫のフィギュアが釣り糸を垂らしてた。

そして拝殿は更にお洒落に飾られた和傘の裏からの灯りがキレイで、曇ってトーンの低い時間にピッタリで見惚れた。看板の狛犬の絵に添えられた「雨だって嬉しくなるね」という文もイイ。
ごってりこてこてに飾るのではなく部分部分を引き立たせてて凄く素敵だった。不思議な気分でお参りした。

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そっか大量のあじさいよりも、目立ち引き立つくらいのあじさいがさりげなく咲いてるあじさい祭りというのもいいもんだ。
とか思いながら、裏の本殿にまわって奥にも歩いてみた。

境内は末社も多かったけど、その合間に御神木も多く「菩提樹」とあったり「夫婦檜」というのもあった。
根の部分が契りを交わしてるヒノキだそうだけど、写真では手前の夫婦石で隠してしまった。。申し訳ない。

そして何気にあったカエルの像、苔でミドリっぽくなっててまさにカエルだった。小さなカエルが沢山引っ付いてた。

大宝城跡の石碑がある辺りが一番奥かなーとか思ってたけど、その先に続く道を覗いてみたら、、
ななんとなんと、その先の坂の下があじさい園だった。
おおお、これは驚いた。さっきはさりげなく咲いてるくらいのあじさいで妙に納得してたけど、まさか奥の裏にこんなに咲いてるとは思わなかった。なーんだしっかりあじさい祭りじゃん。アジサイは奥に沢山あるよってもっとアピールしなさいよ。自分みたいに端の端まで見て行こうっていう人じゃなかったらお参りだけして帰っちゃうかもよ。

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林から先に覗けた緑の田圃の中を関東鉄道の車輛が通るのが見えた。すぐ先が線路だった。

この一面は水色のアジサイ一色だったけど、先に進むと赤いのもチラホラ見えた。
そしてここにも大宝城跡の案内板があった。(同じものが大鳥居の下や神社手前の森にもあった)
「大宝城」は平安から南北朝までの時代にあった城。南朝の拠点となった城で、三方を沼に囲まれた要害だったそうだけど、興国4,
康永2年(1343)に落城。城主の下妻氏は討死したそうだ。

じゃあ往時はここらは沼岸かなーとか思いながら進むと、まだまだ先にもアジサイが咲いてて、これはこれは図らずも望んでたようなあじさいスポット。近所だったら有料になりそうなくらいの数と密度で、花の種類も多くいろいろ咲いていた。

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斜面にも咲いてて、カナブンも花の中で戯れていた。
この斜面は城の土塁なのかな(そうらしい)ぐるっと回って折り返すと斜面(土塁)の上にも道があってアジサイに包まれながら歩けた。なんかもう国史跡の城跡のあじさい園なんて至れり尽くせりである。

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ひとまわりして満足してまた神社の裏に戻った。したら、本殿の北側にはちゃんと案内が立ってた。今あるこの本殿は天正5年(1577)に下妻城主の多賀谷氏が再建したものだそうだ。え?え?そんな昔の建物なの?って驚くくらい普通な感じに見えてて写真も撮ってなかった。。

他には大正天皇即位記念樹「大王松」とかあり、拝殿に戻るとあじさい園を案内したジオラマがあった。。右回りで進めばよかったのね。。
「平成狛犬」という御利益を得たい箇所を撫でる狛犬があった。目を撫でた(すぐ疲れるので)

他にも境内にはありすぎるくらいいろいろあって濃い神社だった。
まず「蝉鐘楼」。え?神社なのに鐘なの?と思ったけど、その前に瓦や彫刻で幾つものセミがいて珍しかった。蝉は火災難徐の守りだそうだ。で、鐘は嘉慶元年(1456)に鋳造されたもので、天正元年(1574)に多賀谷氏が猿島に出陣した際に戦利品としてぶんどって奉納したんだそうだ。っていうか県指定有形文化財だけど「自由に搗いてください」だそうで、まじか!とひと突き、ゴーーンといい音した。

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更に多様多種の御神木、まず「お乳銀杏」木の乳に触れると母乳の出が良くなるそうで、触れませんでした。
「奥州紅」は奥州征伐へ向かう源氏の必勝祈願の故事に因んだ木だとか。
「なんじゃもんじゃの木」は10mのヒトツバタゴ。ここらへんは趣味的な感じがする。
最後に歌手の相川七瀬がデビュー25周年記念に植樹した榊とかあった。ん?相川七瀬ってここら辺の出身?

と、まぁ、「?」も多かったけど、とにかく情報量の多い神社で、曇り空の午後遅くながら思いがけず楽しく歩き回れた。

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土浦城跡

ファイル 3306-1.jpg土浦市中央の125号沿いにある城跡公園。

ここはこの点景のコーナーを作ったばかりの12年前にきたことがあって、駐車場込みの「土浦市立博物館」の入館料がえらく安くて(105円)休憩がてら何度来てもいいなぁ、、とか思いつつ、その後来てなくて久々の立ち寄り。
なので博物館なんかはあまり覚えてなくて新鮮な感じ。こんな城みたいな建物だったっけ。

中は土浦市の事がメインで城の事はそんなに濃くは解説してなかったけど、やっぱ城のジオラマ模型は良くて、じっくり眺めた。
こんなに堀は丸かったかなぁ、、ほんと亀城というだけあって亀のような感じ。

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他にも江戸時代の水戸街道に面した薬種業店舗住宅の「色川家屋敷模型」や江戸後期の農村名主の「富岡家住宅模型」、明治期の「土浦小学校模型」とかもあって満足。
歴史の所では周りに基地が多い軍都のわりには基地や戦時中の事がスルーな感じしたけど、そこらへんは別の資料館があるからここではあえて、、ってトコかな。

さて
そして博物館を出て土浦城跡の亀城公園を歩く。
博物館からは橋で水堀を渡るとすぐに本丸。往時はこちらに入口などはなかったようだ。
そして往時の本丸には書院造で400畳ある本丸館があり、明治維新の廃藩置県後も新治県の県庁舎として使われてたものの、明治17年に火災で焼失。何気に明治初期に御殿を焼失してる城って多いよね。

本丸入ってすぐ脇が西櫓。
戦後まで残ってたのに昭和24年の台風被害で破損。復元予定で解体したものの、再現されたのは平成に入ってからだそうだ(平成4年)。ここは公開されてなかった。

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公開されてるのは反対側の東櫓。
こちらは明治17年の本丸館の火災で破壊されて解体。平成10年に復元されたもの。
博物館との共通券で半券見せて入れた。いいね。

中に土浦城の資料展示があり、土浦市立博物館の別館としての城の解説を補完してた。
まず気になったのが「櫓門の大太鼓」江戸時代に櫓門上の太鼓櫓で城下に時刻を知らせ続けた太鼓。皮は平成22年(2010)に張替えたものの胴本体は明和7年(1770)に作られた現物。里謡にも歌われた城の象徴的な名物だったらしい。

そういえば江戸時代より前の城の事はふれてなかった。まぁそれ以前は小田城の支城としての小さな城でちゃんとしてはいなかったんだろうけど、攻防があったなら興味あるなぁ。
攻防といえば幕末も水戸に近い割に戦乱はなかったようだ。

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二階にも上がれて、東西南北各方向見下ろせた。まぁあ平城の二階だからプチ展望って程でもないけど、見えないよりはいい。

櫓を出て土塁の上を歩いて復元された土塀を見ながら櫓門に進んだ。
この櫓門が現存物。関東では本丸の櫓門が残っているのは唯一此処だけだという事だけど、内側からの見た目は太鼓櫓の下は細めの柱だけでちょっとハリボテっぽい感じがするのと、しっかりキレイに改修されてて復元された他の櫓との差を感じられなかったのが残念。

この櫓門の太鼓櫓でさっきの太鼓を打ってたそうだけど、ここってどこから入るんだろう?裏にも横にも入口がないんだよね。門の裏の下から梯子で登ってたのかな。

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門を出て堀を渡り、振り返って櫓門を眺めつつ二の丸の広場へ歩いた。
二ノ丸の端には川口門という屋根付きの高麗門があって、くぐって眺めた。
これは武家屋敷と町屋の間を仕切っていた門だそうで本来はもっと先の城の端にあったものだけど、江戸時代末期の現存物。本来はもっと大きいニ之門があった場所だそうな。出世したのね。

後は二ノ丸の公園内をフラリと歩いた。サッカーボールで遊ぶ青年とかいて市街の中心にしては広くてのんびりした公園のムード。
端の石のベンチの上にゴミのように乗ってたのがよく見るとカワイイ亀だった。ああ、亀城公園だからね。亀城ってなんか弱そうなかわいい名前だよね。

他に二ノ丸で気になったのは「亀城のシイ」という県指定天然記念物のスダジイ。
幹周7m、樹高16m、樹齢約500年の江戸時代の往時の城中を見てきた椎の木。スダジイって他では結構崩れた形の樹が多い印象だけど、これはキレイな形のいい樹で、葉も青々と元気だった。
ん?陸軍兵士の落書きが掘られてるんじゃなったっけ?他の城と記憶混ざったかな(それは佐倉城。。)

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あと、歩いてたらでっかな松ぼっくりが落ちてたので、見上げたらモノスゴイ松ぼっくりを蓄えた松があって、落ちて来そうだったw
菖蒲はいい色で咲いてて、前来た時より整備されてた印象。猿もまだいた。この猿小屋は前のままで、柵が細かくてよく見えないのが残念。猿はダラダラしてた。

という感じで博物館を含めて一時間弱の城散歩。軽くまわれて程良く楽しいドライブがてらに丁度いいくらいの城跡公園。やっぱいいわ。
そしてやや忘れてるくらい久しぶりで来たので新鮮に感じられてよかった。(後で振り返ってみたら同じ場所で同じアングルで撮った写真が多くて笑った。12年前でも自分は自分だなぁ、、そりゃそうか)


ちなみに前回の点景

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さん歩の駅サンSUNさぬま

ファイル 3239-1.jpg下妻市砂沼新田の県道沿いにある観光交流センター。

前に通った時に駐車場があったのを憶えていて、トイレ行きたかったから来てみた。
砂沼の南端の堤防前で下妻市街なので混んではいたけど、夕方だけに出る車も多く入れ替わりですんなり停められた。

建物前には屋台も出て並んでて、桜祭りとかそういうのかな?と思ったけどそういうわけではなかった。コロナで桜祭りとかやらないか。(翌週に桜祭りがあったらしい)

で、建物はよくわかってる感じの物産販売店になってて、最近の道の駅並みの豊富な品揃えっぽく洒落たレイアウトで興味深かったけど、いかんせんお腹空いてなかったので、パーッと見るだけだった。
っていうかトイレトイレ。

トイレは二階で、階段を上がると上はカフェになってた。っていうか、観光案内所とあった手前の部分までテーブルが並んで食い込んでて、フラフラしてたら「いらっしゃいませ」とか言われちゃって、気まずく感じて外に出ちゃった。。トイレはどこだったんだ。。

砂沼と桜を眺めつつ堤防を歩いてみて、「砂沼ランニングコース」という案内図を見て、堤防の東端にもトイレがあるのを確認して進んだ。

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桜はちょうどいいくらい満開で咲いていて、いい間隔で植えられていたので、沼を眺めつつ桜を見つつそして筑波山を見つつで気分良く歩けた。

「茨城百景」の案内板によると、砂沼は周囲6㎞の農業用溜池、江戸時代中期に干拓で水田になったけど水不足が続いたので再び溜池としてよみがえったそうだ。ってことは、元々は天然の沼だったって事かな?鬼怒川が氾濫して出来た沼地って感じだったのかなと想像。
最近のこうした沼や池はやたらとキラキラっぽいダジャレの効いた「〇〇〇っ湖」とか名称が付きがちだけど、ここは砂沼のままなのが好印象。それでいいんだよ。(一応「砂沼湖」とかいう中途半端な呼称もあるらしいけどw)

そしてその先でやっと目的のトイレに入れた。
そのトイレ前が一番桜が濃かったかな。いい感じで包まれて春爛漫。

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トイレから出れば丁度傾いた西日が沼の水面に映って眩しく輝いていた。桜の花越しに眺めていい感じ。

東岸はこの先ずっと桜が並んでいそうな感じで、少し歩いてみた。
この先は沼の中央くらいに「観桜苑」という砂沼広域公園の中心部があって、名前からして桜ももっと咲いてそうな感じだけど、そこまで行っちゃったら戻るの億劫になりそうなのですぐに折り返した。すぐに日も暮れそうだしね。今日は南端だけで充分。

ちなみにその「観桜苑」の方は以前何度か寄って歩いてたので、一度くらいは点景にしてるもんだと思ってた。けど、してなかった。。あれ?
日誌探してみたら、少し時季はずしてたけど八重桜がキレイな時に歩いてた。。以前は花がキレイなだけでは点景にしてなかったのか。

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2010.04.25

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