土浦市上高津にある史跡公園。
「上高津貝塚」は国指定史跡だそうだ。
案内見てちょっと来てみたら、住宅地の裏ながら広い駐車場もあったので休憩によさそうなところだった。
駐車場の前の公園の反対側には「土浦市立考古資料館」というのもあったんだけど、入館無料ではなかったので取り敢えずパス。公園の方に歩いてみた。
ら、けっこう広い公園のようで入り口から見えるすぐ先には屋根の付いた「貝層断面展示施設」というのがあった!
おお、これはこれは。貝塚の断面をのぞけるようになってる。こういうのが見たかった。さっそく入ってみた。
積もった貝殻は何年分だろうか、っていうか、昔の人ってそんなに貝ばかり食べてたんだろうか。シジミが集まってる層とハマグリが集まってる層があるってことは、食べ物の流行りがあったってことかな。それとも目の前の霞ヶ浦(香取の海)が塩水から汽水化して獲れる貝が変わったって事かな?
獣や魚の骨も交じってるのに貝殻だらけなのはやっぱり貝ばかり好んで食べてたってことだよね。(そうではなくて貝殻だけが崩れずに残りやすかったって事らしい)
さて、その展示施設の裏には駆け回りたくなるくらいの広場があって対向側の先に竪穴式住居があった。へーいいねぇ。
今日は猛暑も収まり心地良いくらいの暑さだったので、広場の周りの道をひと回り(420m)歩いてみた。
時計回りに南東から南に少し歩くと和式トイレくらいの「大型炉」という凹みがあり、ここで昔は塩を作ってたそうだ。
そしてその先には「掘立柱建物」というのが発掘された穴の上に再現されていた。これは作業場のようなものだったらしい。
東側をぐるっと廻って、北東側の貝塚の層があるというあたりは、ねこじゃらしの草原になっていた。眺めて歩いてたら羽の大きい青黒いトンボが飛んでいて「チョウトンボ」かな?と思い、写真撮ろうとどこかに停まるのを待って眺めてたけど、停まる様子はなくずっと飛んでた。飛んでるところは撮れないかな?と思ったけど何枚か形分かる写真も撮れてチョウトンボだと確信した。
さて、北側にはずっと見えてた竪穴式住居が三棟再現されていた。
中も入れるようだけど、入口が狭く低いので覗いてみるだけにした。
この区画にはもう一棟の住居跡があるそうだけど再現されたのは三棟で、よく見ると少しずつ形が違ってて入口の大きさも違ってた。
最後に見た一番前の一棟は他のより入口が少し高めに見えたので中に入ってみた。意外と明るく涼しかった。けどまぁ天気イイ日の昼間に屋内にいることはなかったんだろうけどね。
そしてまた和式トイレみたいな凹みがあったけど、こちらは墓壙という亡くなった人を埋めた穴だそうだ。いくつか並んでた。
そして東側には展望台みたいなのがあって、昔は霞ヶ浦の水位が3m高くて此処の台地のすぐ先まで海がせまってて、ここから海が眺められてただろうということだ。
といわれても、目の前の森の木々で台地の先の市街地も覗けずピンとこない想像だよりの風景だった。。
虫はトンボだけでなくバッタも沢山いて、広場の入り口まで戻ると栗の木や桜の木の蝉がまだうるさかった。
昔の人は虫は食わなかったのかな?虫よりは木の実の方がうまいか。
そして一周して広場を出た。フラリ歩るく気になるくらいの気温でよかった。
駐車場に戻って出発しようかと思ったけど、広場も楽しめたしせっかくだからと「考古資料館」も行ってみた。
有料とはいっても105円程度なのでちょこっとでも楽しめれば損はない。っていうか公園でそのくらいは楽しんでた。
内容は主に縄文時代のこの周辺のことで、出土品からかなり広くいろんな地域の人々と交流があったそうだ。とくにここは塩を作ってたから多様な品と交換で集まってたようだ。そっか、霞ヶ浦が塩水の入り江なら生活しやすいよな。ジオラマ模型もあって満足。
それと、館のロビー前には大きな水槽で霞ヶ浦の魚が泳いでいた。ここにいる魚はみんな骨が発掘されたそうで昔獲って食べられてた魚だと書かれてたけど、みんな淡水魚だよね。それと鯉も縄文時代から日本にいたのかな?
あと、二階は展望室になってたけど、みえるのは目の前の駐車場だけで残念。
そしてその展望室にはさっき見たような貝の層が切り出されて置かれていた。てっきり貝塚の一部かと思いきやそうではなく、これは市内で掘られた地層の貝化石層だそうで、自然に沢山の貝や生き物が生息する豊かな海辺だったようだ。
意外といろいろ楽しめるところで、ドライブの休憩にはバッチリだし虫を追いながらの散歩も楽しかった。
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