船橋市宮本にある神社。
この「船橋大神宮」というのは通称で、本名は「意富比神社」という。
歴史は古く境内の石碑によるとヤマトタケルが東国平定で来た時にここによって伊勢を奉じたのが元で、後に天皇がヤマトタケルの跡を辿って来た時に「意富比神社」という名を賜ったそうだ。
日蓮上人から徳川家康に明治天皇も立ち寄られてるそうで、通称の大神宮呼びもそう大げさでもないのかも。
僕が興味持ってたのは明治維新の戊辰の役で、江戸から逃れた幕軍の一部が新政府軍と衝突した船橋戦争で、幕軍が陣を張っていたのがこの船橋大神宮だそうだ。
砲撃によって神社は全焼。船橋の町も火の手が上がりほぼ全焼で幕軍は五井(市原)に撤退。住民にとってはたまったもんじゃないよなぁ。
さて、神社は高台の上にあり、階段の上から振り返ったら少しは船橋市街が見下ろせたのかもだけど、振り返らずに境内へ進んでお参りした。(帰りに見ようと思ってたのに帰りには通らなかった、、)
なるほど、陣を張るにはいい場所なのかな。
神殿は塀に囲まれてて、正面の門に賽銭箱と鈴紐があり遠くから拝むような感じだった。伊勢系というか天皇系らしい神社って感じだった。
これは本殿とか見れないタイプかな、、と周りを回ってみると、裏側には「常盤神社」というのがあった。
幾つも並ぶ他の末社とは違ってしっかりした神社っぽかったので進んでみた。
ら、その参道の横に「灯明台」の案内板があり、鳥居をくぐるとその灯明台が見上げられた。
江戸時代、この高台の神社は境内に常夜灯があって江戸前航行の目印になってたそうだ。その常夜灯も戊辰の船橋の戦いで失ってしまい、明治になって船橋大神宮社殿の再建と共に新たに設置されたのがこの「灯明台」。明治中期まで政府公認の私設灯台として利用してたそうだ。
そして常盤神社は門も社殿も綺麗な色彩。大神宮の祭神は伊勢の天照だから横に本殿が見えていたけどしっとり落ち着いて気をひかなかった。
そしてこっちは徳川を祀ってるそうで、なるほどなって感じ。中央の鯉の彫刻がかわいかった。
なんか色々ありそうだな、、と思って歩いてみたら、境内に駐車場があった。。コインPに停めなくてもよかったのか。。
まぁでも外の駐車場だから神社以外を散歩してもいい自由感はあるよね。ってことで負け惜しみのように近隣を軽く散歩しようと思い、正面の参道を歩いて高台を下ってみた。
途中の鳥居の脇の狛犬には「のぼらないこと」と注意書きがあった。
なるほど、裏から見たら苔むしててかわいらしく、自分が子供だったら登ってみたくなりそうだと思った。
他にはキレイに整った土俵があった。(大元は徳川家康が奉納した土俵だそうで、江戸時代ずっと草相撲が盛んだったそうだ)
神社を出てすぐ先に京成電鉄の大神宮下駅が見えた。
駅周辺なら何か飲食店あるかなーとか思ってに歩いてみたんだけど、開いてる店はなに屋もなかった。。
そのまままっすぐ歩いて14号似出たけど、通り沿いも見える範囲に開いてる店はなかった。
14号を渡ってまっすぐ歩いて歩行者専用の赤い「浜町橋」を渡った。
裏道でこっちに入り込むときに、この橋が歩行者専用じゃなくて車が渡れるくらいの橋なら都合いいのになぁ、、と何度も思った橋。
ここは川ではなくて海だよね。渡った先が埋め立て地。
繁華街からは離れたマイナーな場所っぽい割に人通りはやたら多く、船橋は都会だなぁ、、とか思いながら進んだ。
京葉道路の高架下にはかつて船橋の海で貝を獲っていた「大捲き舟」と海苔養殖作業用の「ベカ舟」が飾りつけられながら展示されていた。昭和中期くらいまでの船橋はまだこれらの船が活躍するような海の風景だったようだ。そんな風景を想像しつつ舟を眺めながらくぐって、その先の団地の下のシャッターが閉まった商店街に出た。
この商店街にあるラーメン屋で船橋名物「ソースラーメン」を食べようと思って来てみたんだけど、通りにラーメン屋は無かった。。
おかしいなぁーと思ってスマホで調べてみたら「閉店」になってた。。(閉業する前に来てたとしても営業時間外だったようで、どちらにしてもアウトだったようだ)
商店街を通り抜けると「ららぽ~と」の入り口だった。
あーそっか、それで人通り多かったのか。
ショッピングセンターに行くつもりはなく(行けば食べるとこあるだろうけど)ここで来た道を引き返した。
神社から先は実のない散歩になっちゃったけど、ダラダラしてた連休の最終日にちょこっとでも歩けてよかったんじゃないかな。
大神宮下駅側から見た大神宮はこんもりして見え、なるほど海からの目印たてるのに丁度いい感じに見えた。
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