五泉市村松乙にある公園。
村松の城はどこにあったんだ?と探して来てみた公園。
駐車場は裏の方で南西側の奥から入ったので、表の道に面したこの正面口の写真は順番あとだけどアシカラズ。
なんか「村松郷土博物館」の入り口とあるだけで公園の名前の表記がなく、ここが城跡でいいんだよな?と思ったけど(一応下に小さく「城跡公園内」とはあった)、駐車場の方は堀になってて土塁もあって城跡公園っぽくなっていた。
その堀の跡を渡って公園に入った。
土塁にはスズメが集まって戯れてた。天気悪いけど朝って感じ。
その土塁の上から園内を見ると、広く舗装された道の歩きやすい林の公園だった。
まずその郷土博物館があった。もちろん朝から開いてるわけはなく空振り。(村松城の立派なジオラマ模型があったらしい。。)
館の前には「村松藩の紋入り手洗い鉢」というのがあった。城関連のアイテムが見れてホッとした。
これは江戸時代に藩主が上野寛永寺に寄進したものを寄贈されたものだそうで、素材はこの村松城の外堀に使ってた大沢石だそうだ。
園内を歩くと、中央部がこんもり盛り上がってて東屋があった。まさか天守台跡じゃないだろうなと登ってみたけど何の説明もなかった。
けど、降りて北側にまわると村松城の案内解説版があった。こんな隠すようなトコに立てずに公園の入り口近くに立てればいいのに。。
案内によると、この地は元々地方豪族の館跡だった所に村上藩の分家の堀氏が陣屋を構え、町を整備し、9代藩主の時に城主格となったので嘉永3年(1850)に大改修をして城にしたそうだ。
でも慶応4年(1868)の戊辰戦争で落城焼失して廃城。その後は堀と土塁しか残っていなかったものを昭和63年に整備して公園にしたそうだ。
歴史短く小さな城であってもしっかり戦役によって没した城とあれば、お飾りの城なんかよりずっと立派でもっと堂々と城跡公園と名乗ってほしいなぁ、と思いつつ北東奥に進むと、東側も堀跡が囲っててしっかり城跡だった。
さてさて、城跡メインで立ち寄ったので城の部分からまわったけど、おそらくこの公園のメインは入口に静態保存されたレトロな列車じゃないかな。一番目立ってた。
これは五泉から加茂の間を大正12年から昭和60年まで走ってた蒲原鉄道の車両だそうで、公園の一角が線路だったのでここに展示してるとのこと。ああ、公園できたの廃線後か。
それと、園内はあちこちにやたらと黄色い実が落ちまくってた。
これは梅の実のようで、木に小学三年生のお願いで「授業で使うので梅の実を分けてください」と貼紙があった。逆に地域の人も遠慮の伝播で取りずらくなっちゃって全然取られまいまま落ちて転がってるんじゃないのかなぁ、、とか邪推。
南側の中央にあった小屋は屋台庫で「式三番城町屋台」という江戸後期の天明8年(1788)に造られたもので現役の祭礼で使われてる文化財が覗けた。けど、写真は映り込みでまたもや残念。
最後にたくさん咲いててきれいだったシモツケソウの花を眺めつつ車に戻った。
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