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本佐倉城跡

ファイル 3412-1.jpg酒々井町本佐倉にある城跡。国指定史跡。

ドライブではかなりの頻度で通る酒々井の町はずれにある城跡なので、いつか行きたいとは思ってたけど間の道が細そうで(実際に細く狭い)ついついいつも避けてて行った事がなく、今日やっとこれた。
道は細いけど、駐車場は広く楽々止めて歩けた。

この本佐倉城は、一族内の抗争を経た末期の千葉氏宗家最後の九代の居城。室町時代に造られ戦国時代の末に北条と共に小田原で敗れて千葉氏も滅んで廃城になった。

てっきり、その後江戸時代に造られた佐倉城に対してこっちが本当の佐倉城だよって意味で「本」佐倉城と後年呼ぶようになったものだとばかり思ってたけど、そうではなくて「本佐倉」の城ってことのようだ。

まず駐車場は東山馬場という所で案内所とトイレがあったけど、案内所は閉まってた。まぁ正月だしね。
馬場からは棚田のように段になった先でⅣ郭に続いていた。なんか案内図を見ても曲輪の名前も「城山」「奥ノ山」「セッテイ山」とかあってどっちが正面かとか造りが把握できなかったけど、まぁ取り敢えず順路通り進んで坂を上った。
ありがたいことに案内は数多く立ってて細かく説明されていた。

「Ⅳ郭」の中間から「城山」と「奥ノ山」の間の大堀切に折れて裏に抜けて「城山」に上がった。

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虎口で折れて門跡まで上ると城山郭、つまり本丸。
ここに主殿や会所などの建物や櫓があったそうだ。案内では同時期の他の城跡の復元された建物の写真などを載せて丁寧に発掘の説明がされていた。素晴らしい。

このデブでも苦もなく登れてたくらいの高さなので展望も左程でもないだろうと端から覗いてみたけど、ちょうど正面に駐車場の馬場と東山が見えた。自分の車が見えたので嬉しい。

端の土塁の上を歩いて城山郭をひとまわりまわって、奥ノ山郭につながってたという土橋跡から堀切を覗いたりして、虎口を戻った。

そして裏から次は隣の奥ノ山に上がっていた。ここは裏の道が細くてワイルドだった。
城山よりも広い曲輪で(まぁ二の丸って普通は本丸より大きいよね)、案内に寄ると「妙見郭」という別名の郭だそうで妙見宮があったそうだ。

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妙見宮は千葉氏の守護神の北辰妙見尊星王(北極星)を祀る神社。今は千葉市の千葉神社が本宮になってるけど、こっちに移った千葉氏が滅びなかったらどうなってたかね。
宮跡にはベンチがあってポカポカだったので少し休んで青空をみあげたりした。

宮跡の前からは下り坂になってて、一段下はそのまま「倉跡」という曲輪につながってた。ああ、順路通りに先に城山に進んだけど、城としては馬場からⅣ郭、倉跡、奥ノ山と進んで城山って順番なのかな。

この倉跡も広い段々畑状になってて、中間で横断する道があったので折れてみた。
その北側の端の先の林の中には諏訪神社という小さな祠の神社があった。ここは神社じゃなくて櫓がほしいトコだよなぁと思った。

Ⅳ郭に進んでそのまま進めば駐車場、だけど来た道に戻った先にも北への横道があり東山につながってたので折れてみた。

東山は城壁のような小山で簡易的な階段が掛けられてたので上ってみた。ら、ここは一番眺めのいい展望所!広く北の開拓田の風景が気持ちよく眺められた。

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その先には筑波山が頭を出し、中間の線路には京成本線の八両の車両が横断するのが見えた。
案内も立ってて、印旛沼の汀線は線路の先だったとあった。えー?この城のすぐ下の田圃の部分は全部印旛沼(香取海の入江)だったんじゃないの?築城の当時にそこまで沼が後退してたんだったらその間に堀や土塁とか水路とか造らなきゃダメでしょ。
と、思いそういう目で見ることにして想像した。

振り返ると後ろには馬場の駐車場が見えて自分の車が見えた。良良

この東山は、ホントに壁のように細いまま印旛沼から城山を隠すように続いていて、峰に道もあったので進んでみた。
途中で見上げると小鳥が囀りながら枝の間を戯れていた。写真に撮ったらメジロだった。カワ。

道は途中小屋くらいならギリ建つかなってくらいの幅で、細い所は両脇の傾斜が見下ろせた。
進んだ東の先には何もなくて、櫓も立たないような行き止まりだった(山は途中で逆T字になってて北の端には物見があったそうだ)。来た道ををり返した。何もなかったけど楽しい山歩きだった。

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これで駐車場に戻るつもりだったけど、ちょこっと深い東山虎口を抜けて北の「東光寺ビョウ」に出てみた。
ここは曲輪なのかどういう役割なのかは調査中だそうで、ビョウというのが何なのか謎だそうで、寺もなかったそうだ。。見て思ったのが浜。船でも並べてたんじゃないの。

景色いいのでもう少しだけ廻ろうかと歩いてみた。浜の方までは出ずに山裾を横に進んでみた。

すこし先の南奥虎口で折れて、倉跡とセッテイ山の間の深い堀切の谷底を進んだ。
切株とか放置されててなんか怪しい雰囲気だなぁと思ってたら案の定、先は竹やぶで荒れてて抜けられなさそうだった。無理はせずに引きかえした。

また東光寺ビョウを少し進んで土塁の裏のセッテイ虎口で折れた。
振り返って見た東光寺ビョウがいい湾曲、海水浴場っぽかった。

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セッテイ虎口の先はセッテイ山の裏の空堀。道は細い森の道。位置がわかってなかったら入り込みたくないような道だったけど、城跡だけにすぐ抜けられっるのは分かってたから気楽に歩けた。

途中にセッテイ空堀の案内も立ってて安心できた。ここは深さ16mのこの城最大の空堀だそうだ。そういえばセッテイ曲輪への道はなかった気がする。人質とか特別な接待とか厳重に警戒した場所だったらしい。

やがて舗装路に出ると電柱もあった。途中に荒上地区に上る横道があったけど、曲がる気もなく進んだ。(荒上は大きな外郭で大手門があったらしい。そっちが正面?)

そして民家が見えてまともな道に出た。ここらも鳥が多く、近くで囀るのはムクドリかヒヨドリかと思ったけど写真で見たらツグミだった。

城跡の南側を歩くと中央あたりに大きな案内板が出てて、太い道も通ってて舗装された駐車場もあって、こっちが正面なのか?と思えった。

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ここには中池といういけがあったそうだ。まぁそれは印旛沼の名残でしょ。田圃部分は全部印旛沼だったと思うけど、東側から奥のここら辺は築城時には干上がって泥沼湿地で水が残ってたのが中池って事だと思う。

そして向かいの根古谷の岬も出城的な外郭(向根古屋城とも)だそうで、ふもとの「根古谷の館」に鳥観図があるというので行ってみたけど、閉鎖されてたしさっきの大きな案内板には見劣りした。っ駐車場にあった案内所に移転したんだろうね。

あとは畦道を歩いたりしてまわって駐車場に戻った。
駐車場の入口の自販機は「本佐倉城にようこそ」カラーで、マスコットキャラクターの「勝っタネ!くん」が描かれてた。
ラインナップを見るとなんと「酒々井の水」という深井戸水が売られたので思わず買ってみた。普通にうまい水だった。ナイス。
(マックスコーヒーが残ってたけど水の方が飲みたかったから丁度よかった)

大きな城だとは思ってたけど軽くまわるつもりが1時間45分も歩いてしまった。
でも広さで行ったら地元の小金城の方が広そうだし、立派さで行ったら高さのある臼井城の方が立派に思える。
千葉氏宗家最後の城としてはやっぱり場所も地味だしパッとしない印象のままだった。


なんか久々の城歩き(五月ぶり)
というのも城はついついいつも写真撮り過ぎちゃってその後の作業が大変なので、常に作業が溜まってた去年は極力避けていた。
で、今年からはもう文章を削って簡単な場所に説明くらいの項目にしようと心に決めてたので、それなら城も平気だろうと奮起して歩いたんだけど、、
文章も削れてなくて、、
画像も振り分けられず、、
結局、手間かけて楽しんで纏めてしまった。。

城跡を丁寧に紹介するサイトなんか他にいくらでもあるので、ドライブの日誌のオマケのこの項目などは「城跡あるいた」「途中から只の森歩きになった」「楽しかった」だけでいいのに。。ついついこんなです。
次回から気を付けよう。反省。


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