松阪市殿町にある城跡公園。
松坂城の「坂」は大阪と同じように昔は土偏だったそうだ。
まずはパッと見の印象、石垣が高く綺麗に並んでかっこいい城だった。
さっそく登ると、先ず一段上に「歴史民俗博物館」というのがあって、本日入館無料とあったので入ってみた。
この建物は明治45年に建てられた図書館だそうだ。
中には松阪の商家の玄関が再現されていたりして意外と面白かったけど、明治45年の建物を感じさせるのは階段くらいだった。
さてさて城に戻る。
真っ直ぐ登って城郭先に進むと月見櫓跡。ここが一番眺めよく、城の正面の西側の市役所から伊勢湾方面の市街中心部が見渡せた。
城壁の縁には段もなくギリギリまで進んで下を覗けて高さを感じられた。おー城郭だ!って感じ。高いの苦手な人はこのくらいでもダメかな?
そしてそんな城壁の上を歩けるのが嬉しいね。
月見櫓跡からは東に進んで二の丸跡を見下ろしながら太鼓櫓跡まで進んだ。
二の丸への間にある寺?の門のイチョウがキレイだった。
ここで城壁から下りて、もう一段上の本丸跡に上がって天守跡に登った。ここがてっぺんだね。
ここには昔、三層の天守が立っていたそうだけど、江戸時代初期に台風で倒壊してそれ以降再建されなかったそうだ。
そんな天守跡の傍らには敵見櫓跡が続いていて連郭式のかっこいい城だったんじゃないかなぁと思えた。
この松坂城は織田の家臣だった蒲生氏が築いた城だけど、数年で会津に移封になりその後幾度か城主を変えて、江戸時代は紀州藩の飛び領地となって城代が置かれたそうだ。だから和歌山に遠慮して台風にかこつけて取り壊したってトコだろうね。せっかくの立派な城郭が勿体ない気もするけど、そのおかげで城より城下が栄えて立派な商人町になったそうだから町としてはある意味理想的なのかもね。
この天守からの本丸の周りも城壁の端を半周歩けた。やっぱり端を歩けるとその聳える高さや内側の本丸の広さを実感できていいね。
そして南側の「松阪開府之碑」の石碑の立つ金間櫓跡で城壁から下りた。
で、また一段下ってさっきの城壁の続き、中御門跡の先の西側もずっと城壁の端を歩けるようなので進んでみた。
西側は石垣の下は「本居宣長記念館」の裏で上は梅園になってて裏側感が満ちた雰囲気、だのにちゃんとずっと石垣上を歩けるようになってるのが凄い。やっぱりカッコいい城だ。
あまり大きい声では言えないけど自宅近所の人んちの塀を伝って冒険するのが好きだった子供の頃の感覚を(特に妹が大好きで困ったw)補完するような城跡でウキウキしながら歩いた。
同じような写真ばかりで申し訳ないけどウキウキの分だけ大量に写真撮って歩いたのでご愛嬌。
この西側の角には櫓跡とかなくてノンストップで北西側に回った。
北西の角だけには眺める山の案内板が立っていた。
引き続き北側の城壁。
真っ直ぐだったのは西側だけで北西側はまたジグザグになってて面白い。
途中で石垣の下にいた猫と目が合った。普段なら塀の上とか高いトコでのんびりしてそうなニャンコを逆に見下ろすのは気持ちいい。
そして北端の藤見櫓跡で北に折れる。藤の木は無かったけど足元にさっき行った「歴史民俗博物館」が見下ろせた。
そしてカツカツ折れて鐘の櫓跡でおしまい。これで一周。キレイにひとまわりできて大満足。これはいい城だ。
城壁から下りてまた南側に回って中御門跡から下におりた。
その石段の途中にさっきイチョウが綺麗だった寺の門ぽいのがあって、寄ってみたらここは寺じゃなくて本居宣長旧宅「鈴屋」という国指定史跡。本居宣長は江戸時代の国学者だそうだ。
明治時代に廃城で公園になった後に城下の町内から移築したそうで、元は城主隠居邸があった廓だそうで、城より城下の栄えた松阪らしいね。
でーもここ「鈴屋」は入館有料だそうなので通過した。
二の丸跡に下りるとここは公園らしい広場になってて、シート敷いて弁当食べてる人なども多くいて寛いだ休憩の空間になっていた。
そんな中央に上からも見えていた大きな藤棚があった。これは伊勢湾の奥の愛知県鍋田村(現弥富市)にあった樹齢200年の「森津の藤」を株分けして移したものなので通算樹齢300数10年、、だそうだ。花はなくても充分立派。(だけどできれば藤見櫓の前に植えて欲しかったな)
そして二の丸前からは足元の町並みが間近に見下ろせた。
そんな町の先に天守みたいな櫓みたいな建物が見えた。なんだあれ?(歯科医院だそうだ、、)
ゆっくり眺めて、南東の正面みたいな裏門跡から下った。
とても満足な城跡で歩いて楽しかった。
ココまで散歩心をくすぐられる楽しい城壁の城跡は初めてだ。
っていうか、まさかと思うけどひょっとしたら明治の廃城後の公園になった時に「歩いて回りやすい城跡公園」として大整備したとかじゃないだろうか、、(いや、まさかじゃないだろう)
どちらにしても充分楽しめた。来てよかった。