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皇居東御苑

ファイル 3588-1.jpg千代田区千代田にある皇居の庭園。
言わずと知れた江戸城跡。無料で一般開放されている城址公園。城歩きの最後の最後までには来たいと思ってはいたけど、北の丸公園にある科学技術館でのイベントに来てて、昼の部と夕方の部の空き時間があったので歩いてみようと思った。
まぁ直接車で来たわけじゃないので点景にしないつもりだったけど、逆に今後まずドライブ中に立ち寄るという事はないだろうなと思って纏めておこうかと思った。

ってわけで、北の丸公園からなので北桔橋門からの入園。
警備する警官の前をおとなしく抜けて北桔橋、平川濠と乾濠を見下ろしながら橋を渡り高麗門だけの北桔橋門をくぐった。(往時は橋を跳ね上げて閉じていた門だったそうだ)

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入ると本丸の北の奧で早速目の前に大きくどっしりと天守台が見えた。でかいね。
これは江戸時代初期から16年毎に建てられた三つ目の天守が大火で焼失した後に再建した天守台の現存物で、それまでは少し南にあったそうだ。
結局天守は不要と決まってここに天守が立つことはなかったんだけど、天守台だけはずっと残したのは何故でしょう?そういえば天守台だけあって天守を建てなかった城って結構あるよね。はやりだったのかな。

天守台の上はちょっとした展望台。外人客が寛いでた。眺めは本丸跡の広場だけだったけど、大手町のビル街が城壁のように守って見えた。

蒸し暑いし風邪気味だからこれだけでもう引き返そうかなと思ってたけど、時間はまだあるのでやっぱり歩いた。
天守台を下りると大奥跡の芝生広場。でも日向は暑いしトイレに行きたかったので広場へは進まずに脇の林に進んだ。

トイレの先に石室の案内があった。林ではやたらと蚊に刺されてかゆかったけどもっと露出の多い外人さんも平気で歩き回ってたので、負けてられないと進んでみると、カッチリした石の室があった。これも現存物。火事の時などに大奥の調度品を避難させた所だそうだ。

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暑いからそのまま日陰の森を進むと富士見多聞、江戸城で唯一現存する多門長屋だそうで内部も公開されてて撮影OKだった。おお。
けどなんか内部は全然雰囲気なくほんとに現存物??って感じだった。まぁ1659年築らしいからそのままって事はないだろうけど。
格子の窓からは蓮池濠が覗けてホントにハスだらけだった。西の丸の皇居の門長屋も見下ろせた。(見下ろしていいものかどうか。。)

後はそのまま南の端に進んで富士見櫓!と思ってたけど道がよく分からなかった。。すぐ背から見れる筈なんだけど、過ぎちゃって石垣の出口(中雀門跡)の下り坂に進んじゃった。
まぁいいや、櫓は裏からより下から見上げた方がカッコイイよなーと思って下った。
坂の下には大番所というのがあった。

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そして坂の下の中之門跡の先の広い道は南方向は閉鎖されてて富士見櫓の方へは行けなかった。。皇居一般参観の時間しか入れないようだ。そうだったんだっけ。あら残念。本丸内に残る唯一の現存櫓にして天守のない期間は天守代わりの象徴とされてた三重櫓。だけどまぁ仕方ない。ドライブ中に若干遠目だけど内堀通りからも見えるしいいかなとあっさり諦めた。

広い道の前には長い百人番所があり、大手三之門跡の前には短い同心番所。この三つの番所は現存物だそうで、なんで番所だけこんなに残ってるんだろうね。明治後も番で使われたのかな?

大手三之門跡の先に三の丸尚蔵館があったけど、これは建て替え中で取り壊してた。。あら残念。(二の丸と三ノ丸の境がピンとこなかったけど大手三之門跡の先は元は堀で尚蔵館などは埋め立てた堀の上だったようだ)

もう歩き疲れたのでこのまま大手門を出て地下鉄で戻ろうかな、、とか思ったけど、売店で休憩して地図見てたら地下鉄こそ大回りで園内抜けて戻っても歩く距離は変わらなそうなので、ちょっと戻って白鳥濠と高い石垣に沿った二の丸の太い道に進んだ。

この太い道と右手の雑木林が二の丸御殿があった場所だそうで、すっきりと長い道は気分的に疲れるので脇の林に入ってみた。こっちの林は蚊がおらず心地よかった。
その雑木林から覗けた二の丸庭園はなんか見憶えがあったので遠回りだと思いつつも進んでみた。
諏訪の茶屋や池のある庭園。ああ、そうだ、上野に住んでた昔に父親が上京した伯父の都内観光に「行く行く」と着いてきたっけ。すぐ飽きてブーブーだったっけ。そういえば天守台も見てたっけ。思い出した。昔は玉砂利の道で歩きづらかったよなぁ。東御苑はそれ以来かな。(小学校の社会科見学でも来た気がするけど、、多分友達とふざけながら歩いてたんだろうな、、記憶ないや。楽しくない方が記憶には残るのかもしれないw)
庭園の端には都道府県の木がそれぞれ植わってた。高知はやなせ杉だそうだ。赤い毒々しい花が目立ってたのは鹿児島のカイコウズ。いまだ薩摩の主張が江戸で咲くってとこか。

ファイル 3588-5.jpg

最後は梅林坂を上って北桔橋門に戻った。この梅林坂は案内に「太田道灌がこのあたりに天神社を祀り、数百株の梅を植えた」と徳川以前の戦国時代の江戸城からの名残の場所が初めて登場。江戸時代にも梅林があったのか分からないけど、平川門に出るトコにあるのが梅林門と言ったそうだから多少はあったんだろうと思う。

北桔橋門は昔は門櫓と多聞で桝形に囲われ、番所があり両脇に櫓が睨む厳重な裏口。いまはすっきり。一応警備の番所はあるけどね。門を出て来た道を戻った。

代官町通りの歩道橋から振り返ったら、乾濠の石垣がカッコよかった。江戸城跡はこの堀の石垣が一番の見どころかもね。
城歩きならホントは西の丸の外周の内堀も半蔵門や桜田門など見つつまわってひとまわりしてこその江戸城なのかもしれない。けど一時間のひとまわりでもうじゅうぶん、夏は無理。運動不足にも無理。
5時の開場にもまだ早くその更に45分後の開演には余裕ありすぎだけど、あとは北の丸公園に戻って陰でTシャツ着替えてグデーとして時間潰した。


ちなみに帰ってから知ったけど、てっきり改装中の三の丸尚蔵館にあると思いこんでいた江戸城天守復元模型は、そうではなくて本丸の広場東の展望所手前の休憩所にあったんだそうだ。そっか、本丸の東側は歩いてないもんな。。ちょっと悔しいけどまぁ仕方ない。江戸城の広さと石垣の高さはそのまま残された巨大な城というのが実感できたので充分。
そしてドライブの立ち寄りでは無くちょっと反則ではあるけど点景にも纏められたので満足。


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