記事一覧

観音山梅の里

ファイル 3435-1.jpg市貝町市塙にある梅林。

栃木県の梅のスポットで検索して来てみた。なんかWebでは咲いてるのかよくわからなかったけど、茨城でも咲いてたし、さすがに三月で咲いてないって事は無いだろうと思って来てみた。

来る道が細い区間あって、なんか怪しい所だなぁ、、とか思ったけど、来てみたら山の表を纏った見事な梅林で、しかも城跡だし、いいねいいねと気分沸いて到着。駐車場も梅林の入り口近くに停められた。

催物のテントは片付けてたようで、少し来る時間遅かったのかもだけど、純粋に梅の花見を楽しみたかったので問題無し。(と、思ってたら、実は明日の日曜からの一週間が「梅まつり」だったようで、設営してるトコだったようだ)

まずは入口にあった「村上観音山」の案内板を読んでから梅林に進んだ。標高は172.1mで中腹に観音堂があるそうだ。

さて、山登り。まぁ公園くらいの感覚で登れそうな小山だし、梅は満開で木の数も多く密度濃く、上からの眺めも期待して足取り軽く(体は重く)、登ってる人は何人もいたけど混んでるという程ではないので自分のペースでゆっくり登れた。

ファイル 3435-2.jpg

山肌を斜めにまっすぐ進んで、下から見えてた「村上城跡」の看板くらいの高さまで上がって振り返るともういい眺め。手前の梅林が濃く見えて爛漫。白い花メインだけどこっち側は桃色も混じって目立ってた。

梅林を抜けて竹林の端から東屋まで登った。「村上城跡」の看板の上で「観音山梅の里」の看板の高さ、ここが梅林の頂かな。一面見下せて気持ちよかった。

ファイル 3435-3.jpg

手前の梅林と駐車場、川の前の田畑の向かいにも梅林があって、車で来るときの道と抜けた梅林も見えた。

さて、看板の先の反対側から下りようかな、、と思ったけど、看板の裏の段の上にはまだ先に登る道が見えたので進んでみた。そういえば観音堂があるんだったよね。

もう普通の山林になってたけど「園路→」なんていう看板も立ってて、一応こっちまでが散策コースなのかな。園内マップとかあればいいのに。。
っていうか、坂の上は建物の裏でこれがお寺かな?(そうらしい)園路とかいいながら完全に裏から廻る形だったけど、その裏庭に大きな梅の木が二本あって見事に満開で花を広げていた。いや、梅的には正しい順路だな。

そして建物の先に見えた観音堂の手前に鳥居があって更に山道の登り口があって、まだ山の頂点は全然先だった。。っていうか鳥居の脇に「村上城跡」の案内板があって、見たらここが大手口だそうで、ここからが城跡って事らしかった。

ファイル 3435-4.jpg

正直、鳥居だけだったら登らなかっただろうけど、城跡ならばと登ってみた。
堀のような溝のやや急な坂を登ると、更にその先に急な石段がもう一段あった。。けど、その石段の上の頂上部のまわりはいかにも堀で割った姿で城跡らしく、気分沸いて興味と共に登れた。

登り切った上は杉の木陰の傾斜のある空間で奥に祠があるのが見えた。ここが本丸かな、、と思ってその奥の祠に進んでみたら、杉林の外に梅の木が見えて、まだ道は続いてた。

で、木陰を抜けると梅の木は幾つもあって梅林だったし、傾斜の先が頂点の本丸だった。
ここも満開で立派な梅林。そしてここらの梅は枝だけでなく幹からもちょぼちょぼ咲いてたりした。
っていうか、しっかり「梅園」とか看板立ってたけど、これ、梅を見に来た人はここまで登って見なきゃ勿体ないよね。やっぱり案内マップを駐車場に建てるべきだと思うなぁ。

ファイル 3435-5.jpg

古文書に「文治3年(1187)に平宗清の守る村上城が落ちた」と出てるそうで平安時代末から城だったそうだ。その200年後の永和7年(1378)に益子氏の一族の村上新助吉藤によって現在の遺構の城が築かれて三代五十年居住したそうだ。
でも本丸にしては平らではなく少し傾斜のある広場で、これは地形の変化?それとも室町時代の山城ってこういうもんなの?建物は?と気になった。
まぁそれより梅が綺麗で香り良くいい雰囲気。一番奥に鳥居があって小さな石祠が立っていた。これが奥の院てことかな。「きれいな梅の景色をごちそうさま」と拝んだ。

本丸のまわりは土塁で囲まれてて、石祠の裏の土塁の上には三角点があって「観音山標高172.2m」とあった。山頂の標示があるのは登った達成感あってありがたい。そして登った先が花満開で気分いい。城跡に興味持っててよかった。

さて、後から登ってきた人もチラホラいたので、来た道は戻らずに本丸中ほどの土塁の脇から堀への道を下ってみた。
うん、なかなか深めの堀で城感バッチリ。本丸の梅を見上げたりしながら堀を進んで下って石段の前に戻った。

下の鳥居からの坂道は何人かの上る人とすれ違った。みんなハァハァ言って登ってたので(自分だけじゃないと)ホッとした。

ファイル 3435-6.jpg

さて、鳥居を出て観音堂へ進んだ。
いや、思ったよりも大きなお堂で額もアリ彫刻もアリ賽銭箱アリで本堂扱いだった。(一応さっきの建物が本堂という事らしい)
拝んで正面から眺めてたら、格子の先に観音像が見えた。あれ?こんな御開帳のような状態でいいの?と近くに上がって見てみたらもう格子の間からバッチリ見れた。おおおおいいなぁ、他の寺院スポットもこうであってほしいよなぁーと沸いた。〇〇観音とかいうスポットでも見れることは稀だもんな。(〇〇地蔵くらいでも見れなかったりする)
この千手観音立像は徳一国師の作で鎌倉時代のものだそうだ。(けど、実はこれは前立というもので、ご本尊の行基菩薩像は平安時代のもので奥にある秘仏ということのようだ)
ちなみに寺の寿命院永徳寺は弘仁6年(815)平安時代中期に開基だそうで、城より前なのね。何気に平安、鎌倉、室町と時代を思わせるスポット。梅をたよりに訪れられてよかった。

お堂をひとまわりまわって、その前の石段を下った。ら、このすぐ下に駐車場があった。。なんだ、こっちに廻って来れば梅林は登らずとも見下せたのか。。と思ったけど、登りながら見る梅林は良かったから別にいいか。

ってことで、その駐車場を横目に梅林の右端側(東側)に廻ってそっちから下ってみた。ら、下りながら見る梅林がなんとも見事。まるで梅の花の雲海を見ているような感じだった。
そして坂を下って雲海に近づき、その海に潜るように梅林の下に入ったトコで横道があったのでまた梅林に入ってみた。まさにダイブした気分。

ファイル 3435-7.jpg

水面の飛沫のような梅の花を見上げながらその梅の海の中を歩いた。あーそれで梅の字と海の字は似てるのかなー?なんてアホなこと考えつつゆっくり歩いた。
梅林は他にも歩いてる人がいたけど、心なしか乳児を連れた夫婦が多く感じた。秋から冬に生まれた子がいたら春一番のこの爛漫で写真撮りたいだろうねーと温かい目で見つつ邪魔しないように通り過ぎた。(最近、乳児をあやして配信する推しの子を見たりしてるからか、寛容になれてたりする)

そして梅の合間から下の駐車場の自分の車が覗けたりして気分良く下れた。
いやぁもう存分に梅を楽しめて御満悦。
梅は桜より先に冬の終わりを感じさせてくれる花だし、桜と違って純粋に花見として楽しめるからいいな。駐車場もそんなに混まないしね。(いや、場所に寄るか、、)

この日の日誌

タグ:植:花 楽:登 楽:眺 景:季 観:城 観:寺 観:像

コメント一覧

コメント投稿

投稿フォーム
名前
Eメール
URL
コメント
削除キー
公開設定