所沢市坂之下にある昭和初期の実業家松永安左エ門の旧別荘地。
戦後に東京国立博物館に寄贈されたもので、何故か木曜日にだけ一般公開されている。
昭和初期のここら辺はどんなだったんだろう?
来てみたら駐車場の目の前はスクラップ工場で作業音大きく鳴り響いてたし、国道は渋滞して轟音と排ガスが流れててとても別荘地とは思えない場所だった。
その門の内側のやや広めの駐車場は、枯葉で半分埋まってて明らかに周りから隔離された雰囲気だった。
で、紅葉残る林の斜面の小道を登ると、さっそくデーンと大きな茅葺屋敷が現れた。
これがメインの屋敷として使われてた「黄林閣」
これは東久留米の名主だった村野家の庄屋屋敷を譲り受けて移築したものだそうだ。
(なんで興味持ったのかは取敢えず伏せときますwww)
天保年間の建築で江戸後期の様式がよく残っているとして国重要文化財になっている。
でも座敷は「あがらないでください」とあった。。
んー残念。
取敢えず土間には入れた。これがまた広い土間で、かまどもなんか普通に使ってそうな感じ。
天井も高く、奥には屋根裏への階段が、、もちろん「立入禁止」
土間側から覗いた座敷は、日あたりよく広くていい。
けどこれは縁側の玄関の列で、横に中の間の列、奥の間の列と並んでいるらしい。
で、今度は外に出て、外から覗く。
玄関の間から中の間までは見えた。エンボスかかった木の襖が珍しい感じ。
その隣は廊下越しに覗く次の間と上の間。
日当たりよくポカポカで日向ぼっこするならここだな、、とか思ったけど、そういう屋敷じゃないよね(^^ゞ
これだけの大きな屋敷を構えてた庄屋さんはどんな暮らししてたんだろうか。。
何か感じるものあるかと期待して来てみたけど、でかくて立派というだけで他には特別何も感じなかった。
そして塀に沿って奥へ歩くと、渡り廊下で繋がった書斎のはなれ「斜月亭」や、茶室の「久木庵」があった。
こちらは戦前の建築だけど、由緒ある廃材を使用だとか。
この三棟をして柳瀬荘ということだそうだ。
んー黄林閣の立派さは良かったけど、外見しか見れないし、わざわざいさんで来るほどでもなかったかなっていうのは正直な感想。
無料なかわりに誰も見かけず、通り道に箒が放っぽり出されていたりして少々残念だった。