小田原市早川の城跡。
豊臣秀吉の小田原攻めの時に本陣を置くために開いて建てた城跡。
一夜にして建てた総石垣の城郭と言う演出で小田原勢を驚かせた為に一夜城と呼ばれた。
ん?本当の名前は何て言ったんだ?
石垣城?石垣山っていうのは此処に石垣の城郭が出来上がってから呼ばれ始めたと解説されてたけど。。
それと、小田原陥落後はいつまで使われて廃城になったのかという解説はなかった。。使い捨て?
そんな廃城跡だけど、ちゃんと道も整備されて気軽にピクニック出来る自然公園になっていた。
僕は城跡を見に来たので、敢えて少々崩れ気味の城郭の石段を登って入城。
南曲輪、西曲輪と進んだら、行き止まりだった。。
でも道にはなって無い先に進むと崩れたままの城郭の大石が見れて「おお!廃城」っていう雰囲気を楽しめた。
そのまま裏から回って登った上が天守台跡だった。
此処がこの石垣山の頂上らしく、ちゃんと水準点(261.16m)もあった。
天守あったのかなぁ?
不明らしいけど、なかったでしょう。多分。
そして天守台の前の林の広場が本丸跡だった。
築城当時にどれだけ崩して均したか知らないけど、城にするのに最適な山だねぇ。
その本丸の先に展望台があった。
眺めはばっちり。小田原市街が手に捕るように見下ろせた。
さすがそのために作った城だね。
小田原城もハッキリ見えた。もっとも今ある小田原城天守は江戸時代に建てたものの復元だから、往事は全然違う小田原城を見下ろしてたんだろうけどね。
本丸の下の開けた広場が二の丸跡。
ボール遊びをする家族や弁当を広げる家族連れを見かけた。
トイレもあってピクニックにいい広場。
往時は馬屋があったそうだ。
広場の端にこんもりと櫓台跡があって、その奥の北側(北曲輪?)の先も展望台になってた。
箱根の山々をバックに早川の谷間と小田急線が見下ろせた。
西湘バイパスの箱根口出口のかまぼこ屋と美術館が並ぶ大渋滞ゾーンだ。
ちゃんとここからも東に小田原市街まで見渡せて、小田原城も見えた。
展望台手前の櫓台跡を曲がって少し下ると、クレーターみたいな窪みの広場の井戸曲輪。
此処の石垣は往事のものの侭の姿だそうだ。へー。
これで全部かな?
いやぁ、なかなか眺め良く歩き安く、情報も程良く少なく、想像しながら歩けるいい城郭跡だった。
最後は枕木が並んだピクニック道で山を下りた。