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金沢城公園

ファイル 4056-1.jpg金沢市丸の内にある城跡公園。

言わずと知れた加賀百万石の前田利家の城。
築城時にはあったらしい天守は江戸時代初期から無く今は現存櫓のある城跡。
今まで何度か来て周りをフラフラ廻ったことはあるけど、何故か寄ろうと思ったことは無く、石川県で行きたいトコあったかなぁ、、と考えても浮かばなかった城。何故だ?今日もホントは金沢スルーで能登半島を少しまわるつもりだったんだけどね。

そういえばさっき福井で福井城に行ったら車も停められず工事中でもあったので諦めて、空振りだったのもあって、じゃあ金沢城とかどうだろうかと考えた。(ふつう逆だろねw)

さて、大きな有料立体駐車場から兼六園を避けて櫓の見える方に歩くと前田利家像とか立派な黒松とかあったけど、こっちに城の入口は無く、兼六園の方から上がって橋を渡らなきゃいけないらしかった。えー、まじぇ?ヤメて帰ろうかな。。とか思ったけど、せっかく来たからそっちにまわった。

兼六園に進む紺屋坂は土産屋の並ぶ側を歩かなければスイスイで登れた。
連休の翌週にもかかわらず初詣のような混雑の兼六園の入口を横目に石川橋を渡った。

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そして「石川門」から入城。この門は天明8年(1788)に再建された現存物。表門と櫓門、続櫓に隅櫓と一体となった枡形の搦手門で、まるまる国重要文化財。四角い海鼠と四角い櫓にツルっと直立した石垣が妙な外見で独特。

入城すると三の丸の広場手前に入口休憩所があってトイレに入ってみたら城のジオラマ模型がドンとあった。
そしてボランティアガイドの人が集まてったので「たのめますか」というと「他の人とご一緒でよければ」という話だったけど、現存櫓のこと聞いたら「現存櫓は3時半で閉まるからご自分で廻られた方が間違いないですよ」と言われたので諦めた。っていうか中入れたんだ。知らなかった。

という事でまずはその国重文の現存物「石川門」を裏からまわって入ってみた。

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おおいいね。カッチリしててキレイだね。これホントに現存物かと思うくらいしっかり綺麗に整ってた。二重櫓の二階には上がれなかったけど続櫓から門櫓までずっと歩いて廻ってみれた。門櫓は思った以上に中が広くて驚いた。そして戻ってくるとき続櫓からは目の前の兼六園方向がよく眺められた。

外に出て、三の丸広場から五十間長屋を眺めつつ、本来の順路である橋爪門には進まず内堀を横目に鶴の丸広場に進み、休憩所に入って城案内の3D上映とか見た。そして本丸の石垣を少し進んで登り口に折れた。

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で、半分のぼると「鶴丸倉庫」弘化5年(1848)にに再建された現存の土蔵。国重文。
藩政の江戸時代には武具庫、維新後の軍政の時には被服庫、戦後の大学で使用してた時には文学部の校舎として使用。現在は能登半島地震の影響で非公開。正面から眺めて通過。

そして本丸跡に上がると、ここは完全な森林公園。モリアオガエルがいるらしい。
どっかに天守台が埋もれているんですかね。天守は慶長7年(1602)の落雷で焼失。その後は三階櫓が建っていたが宝暦9年(1759)の宝暦の大火で他の建物もろとも焼失。そこから放棄されて森になったそうだ。そんなこと言わないで本丸になんか建てといてよと言いたい所だけど、二ノ丸三の丸の門や御殿を再建するだけでも大変だったんだろう。なんせ大火は城を含めた金沢の町の九割を焼き尽くしたほどなのだから。

そんな本丸跡は東側(東の丸)の端にある辰巳櫓跡や丑寅櫓跡にも行きたい所だけど、行かずに西側の端に進んだ。

鉄門跡の石垣を抜けると西側の端には三十間長屋。安政5年(1858)に再建された現存の土蔵。国重文。
長屋とあるけど武器庫として使用されたいわゆる多門櫓。軍政時には兵舎、大学時には書庫として使用してたそうだ。
3時過ぎに来たので急がなくても見れるくらいの余裕かな。目の前の楓の紅葉が綺麗で写真撮ってる人が多かったけど、一先ず先に中に入った。

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中はやっぱりカッチリしっかり綺麗に整ってた。ここは二階にも上がれて天井の端の木の組方も面白かった。
そして格子窓から西側の市街が見えた。高いビルは北國新聞、その裏が武家屋敷で、手前が尾山神社。意外と距離あった。

外に出て楓を眺め、極楽橋を渡ったら、横に見る堀の先の紅葉も綺麗だった。そっちに行きたいトコだけど、時間を考えて、先に二の丸広場の御殿復元工事現場の壁に沿って進んだ。

そして金沢城の新シンボル、菱櫓から五十間長屋に橋爪門続櫓の連郭、平成13年(2001)に木造復元された建物でここだけは有料観覧だけど320円払って入った。っていうかこっちは4時半までだからそんなに急がなくても良かったんだ。

っていうかさすが新築、と言っても24年はたってるのか。これで一本の釘も使ってないというんだから驚きの歴史的木造建設。すごいよね。実物も新築の頃にはこんなだったんかね。

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そしてさすが五十間は長いね。っていうか此処もやっぱりすごく広く感じた。普通の城の多門櫓ってこんな広いんかな。二倍くらいの太さがありそうな感じするけど気のせい?
で、あちこちに城の解説や工法の解説などあって、モニターでさっきの休憩所の映像もやってたし、ジオラマ模型もあったし骨組み模型もあった。じっくり見てたらすごい時間くいそうだからサーッと見つつ進んだ。

一番面白かったのは菱櫓。ホントに菱形の建物で、横は普通だけど縦は細く床も天井も菱形で階段の口も菱形だった。へんなのー。此処からは三の丸広場と正門の河北門がよく見えた。

さーっとまわって20分で出た。橋爪門をくぐりたい所だけどやめて、少し二の丸を戻ってさっきの紅葉が綺麗だった西端に進んでみた。

こっちは松坂門跡の石垣の外の斜面に紅葉の木々が集まってて、いやいやまさかここまでの紅葉に包まれるとは思ってなかったので驚いた。周りの人も「これは大正解」「兼六園いかなくても充分」とか言ってたり外国人観光客も大はしゃぎだった。兼六園だったらこんな紅葉ポイントは大混雑で大変だろうね。

すぐ前の横道を折れて坂を下った先が「玉泉院丸庭園」。なんと金沢城は東隣に兼六園とかありながら城内西にも庭園があるのか。これは平成27年(2015)に復元された庭園だそうだ。けど、道は途中で通行止め。地震の石垣被災を復旧作業中だそうだ。「色紙短冊積石垣」までは行けて観賞できた。

そしてゆっくり引き返して二の丸まで戻ったら、次は人気の少ない北側に進んでみた。

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その先には「旧第六旅団司令部」というのがあった。軍政時代の名残の建築物、明治31年(1898)建築の陸軍の司令部庁舎。城的には煉瓦のように並ぶ刻印の石垣とか変なのがあったけど、ここはほーんとだーれもいなかった。
っていうか、いままでみてきた城跡で、その後の軍政時代の遺構とか建物が残ってる城ってあったかな?(佐倉城の木の落書きくらいしか浮かばない)どんな歴史でも現存する建物は貴重だしそういう歴史も含めて史跡を歩けるのはいい城跡だと思う。大学時代の建物も何か一つくらいは残しておいてもかったんじゃないかな。

そして「切手門」をくぐって(意外とこの門も現存物だそうな)広ーい新丸広場を見下ろしつつ内堀に沿って東に歩いた。

そしてその角がさっき中を歩いた「菱櫓」。北側から見ると細くて変な櫓。
三の丸広場の表に出て振り返ると、立派な五十間長屋の手前にちゃんとした形の「菱櫓」。やっぱ変な櫓で面白い。

最後の最後で「橋爪門」をくぐってみた。平成27年(2015)に復元された門で、この外側が二の門、中に一の門があり石垣と二重堀で囲われた枡形で二の丸の正門だそうだ。あ、ここから鶴の丸には出れないのね。

これでもう帰るかと、そういえばくぐってない三の丸正門の河北門は遠めに写真撮るだけで石川門に戻った。後から思えばなんで河北門をくぐらなかったのか訳ワカメ。実はここも門櫓の中に入れたそうだし、二重の枡形門で外から見るとニラミ櫓台という変なのがあったらしい。。

って感じで、見どころ多過ぎの非常に濃い城跡公園。こんなすごい城だとは思わなかった。そりゃ加賀百万石だもんね。特異で不思議で面白い城。寄る気になって良かった。

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