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亀城公園

ファイル 3972-1.jpg刈谷市城町にある刈谷城跡の公園。

駐車場は野球場の入口前に4台くらいの小さいのがあって裏の川の方には広い駐車場があったっぽかったけど、別に球場関係者用と書かれてるわけでもないのでそこに停めて歩いた。

公園は城跡本丸部分らしくこんもりと小さい丘になってた。
入口近くに案内板があってそれが公園の地図かと思ったけど、よく見たら「構想」とあり、こういう風に改築する予定ですという案内地図だった。
それによれば「石垣・隅櫓・堀などを復元」するそうだ。わー来るの早かった。いつ造るんだろうか。(そういえば野球場は無くなって堀と広場と駐車場になってた。。解体されちゃうのか?)

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そして舗装されて歩きやすい坂を上って本丸に出た。
公園ぽい公園だけど「亀城公園」の石碑にはちゃんと刈谷城からの歴史が書かれてたし「刈谷城本丸跡」の標柱や案内もあった。

刈谷城は天文2年(1533)に水野忠政の築城で亀城とも呼ばれ、徳川家康の生母於大の方の育った城だそうだ。城主は変わりながら明治まで残り廃城。その後国や士族や町の所有となり、昭和の初期に公園となったものの大戦中は高射砲陣地になり、昭和44年に高台一帯を日本庭園に造成して整備された公園になったそうだ。もうこれは城の跡はほとんど残ってないということだね。

それでもその本丸跡の西縁は土塁の体をなしており、その上に植木の刈り込まれた道ができていた。うん、まぁ城跡らしいかな。
木々茂って日陰がちな道で途中一ヵ所割られて赤い橋が架かってた。その先を少し上ると建物があった。

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中に入ると冷房きいてて天国だった。いやいやそれよか刈谷城の模型があった。この本城とある上の郭と本丸とある腰郭みたいな一段下の郭が公園だね。復元するという隅櫓は石垣側の赤い屋根のもので、この建物がある所が白い櫓のある所だね。

この建物は展望台にはなっておらず二階は予約利用者しか上がれなかった。

冷房を惜しみながら外に出た。表に下ると案内があって、この建物は大正時代に士族の会合場所として造られた「十朋亭」という建物で、昭和47年に改築したそうだ。江戸時代の城の頃には戌亥櫓という三層の櫓があった所だそうだ。ん?三層?模型では屋根二階だけど中は三層?

さてこの「十朋亭」の裏からもまた土塁の上の道が続いてたので、また上がって林の木陰を歩いた。

途中、クヌギの実が沢山落ちてたので、クヌギの木を見上げつつ合間の空を見上げつつ生った実を眺めた。日陰が多いのは日差し暑い夏には嬉しいけど、少しは外を眺められる箇所も欲しいものだ。
っていうか、気がつけば蚊に刺されまくってて痒くて参った。

そして土塁の西側はどん詰まりで少し戻って下った。
ずっと近くで聞こえてたセミの声に本体を探しながら歩いてたんだけど、最近どうもセミが見つけられなくて悔しい。今日は辛うじて一匹見つけられてよかった。(けど写真見てみたらアブラゼミでガッカリ)

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土塁から下ると藤棚とキジのいるゲージがあった。奥で大人しくしてるキジをよく見ようとゲージに近づいたけど、日陰に入ったとたんに蚊の襲来を目視。すぐに日向に逃げ出たら去った。こ、こいつら、、鬼かよ。

腰郭っぽい一段下に下ると子供用の遊具があった。っていうか懐かしい遊具!まだ設置してるトコあったんだね。これ、高速で回して楽しかったなぁ。

ファイル 3972-5.jpgそして水堀跡の城池。これは堀にしては広いから公園にするときに池として広げたんじゃないかなーとか邪推したけど、これは実際この大きさの現存遺構らしい。失礼しました。

近付くと水はきれいではなかったけど、トンボは沢山飛び回ってた。シオカラとコシアキで珍しくはないけど、コシアキトンボはずっと飛び回ってるイメージなので枝に停まってるのは珍しいなと写真撮った。

っていうかやっぱここも蚊が多くて辟易。ひと回りしようかと思ってたけどヤメて車に戻った。蚊には困ったけど歩くにはいいくらいの城跡公園だった。(車で塗りまくった「ウナコーワエース プレミアムL」がすぐ効いた。こういう薬は高いの買ってて正解だわ)

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