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燈籠坂大師

富津市萩生にある寺。

そこへ行く道の切り通しのトンネルが人気のスポット。
自分は以前に友達の案内で来たことあったので寄るつもりもなかったんだけど、食事した手前の店の店内にあった写真を見て妹が「ここ行きたい」とリクエスト。まぁ別に軽く歩くだけだからいいかと来てみた。

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駐車場から歩くとまずトンネル。
これも鶴嘴の跡が残る手掘りのトンネルで、岩の層模様まで見えて雰囲気あるけどメインではない。

抜けた先の丁字路を右に曲がるとその切り通しのトンネルが見える。
「おぉこれはすごいね」
と、妹が思った以上に沸いて燥いで大好評で、え、そんなかと思いつつ、やっぱりダイナミックな高い切り通しとトンネルはいい景色。妹も歳とって素直になったなぁ、、なんて思いつつ進んだ。

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道はキレイな舗装路で割と広く悠々歩けてトンネル部では涼しい風も流れてて気持ちよかった。そして洞内に反響するセミの声にヒグラシのものも交じってて殊更感じよかった。

抜けた先が燈籠坂大師への階段の入口。ここで折り返すつもりだったけど、妹が乗り気で「上にも登ってみよう」というので、まぁ前回は登ってないから悪くないと、妹に続いてゆっくり登った。

階段は途中で男坂と女坂に別れていた。「まぁ普通こういうのは女坂の方が傾斜が緩やかなんだよね」というと妹は迷わずそっちへ進んだ。

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奥の折り返しで小休止。ひとりなら一気に登るくらいだけど、楽でいいや。お堂への道の景色もわるくない。
また歩き始めた妹が「うわぁっヘビヘビ」と驚いてたのでナニナニと覗くとトカゲがいた。えーかわいいじゃんw

そして最後は自分が先になって登ると先に海も見えてきた。ちょっと遠いいけど海が見えるのはイイね。
っていうか、下の説明では弘仁11年(820)に日光へ行く途中の弘法大師が通った時に岩に自画像を刻んだのがこの地で、その後里人が大使を慕ってその場所に常夜燈を立てて漁をする人の灯台とし「燈籠坂大師」として親交を深めたとあったけど、、灯台にするには海遠いいなぁ。

そして登り切ってお参り。鳥居あってすっかり神社のつもりで一礼二拍手で柏手たたいたけど、大師は寺院だよね。。まぁいいか。

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その横にまだ少し段があり道が続いてたので進んでみた。途中で見かけたコガネムシでまた妹が驚いてた。乙女かよww

で、頂点の切り通しを抜けると尾根の道に突き当たり「←造海城」という道標が立ってた。あーなんかここ城跡だって言ってたね。
ってことで少し進んでみたら「未整備のため危険 自己責任で登城ください」というのも立ってて、すぐに岩を登るような細道。もうちょっと進んでみたけどサンダルで歩くようなとこじゃないし妹もいるのでヤメて引き返した。

ファイル 3061-5.jpgそして最後は男坂の方から下った。
こっちが正面だね。でも下るのも急でいい眺めなくらいだから素直に女坂から登ってきて正解だったと思った。

帰りは他の観光客とすれ違いながらまた切り通しのトンネルを抜けた。帰りの方が一層ヒグラシの反響が大きくていい感じだった。
妹が「けっこう車停まってた割に歩いてたのウチだけだったね」と言っててナルホド。他の車の人達はみんな城跡まで歩いてるってこと??まぁいいか。

ちなみにこの造海城は戦国時代の真理谷武田の城で、ネットで見た鳥観図イラストは凄くカッコイイ海に突き出た山城だった。けど、やっぱかなり険しそうなので行かなくて正解。
幕末にはこの城跡に砲台も築かれたそうで、切り通しの箇所も多いらしい。
で、ここからは邪推だけど、その台場の砲台跡がホントは灯台にしてた燈籠坂大師だったんじゃないのかな。。砲台を築くときに撤去されて、もっと行きやすい途中の今の場所に移したとか。

どちらにしても、少しは整備して切り通しの箇所や歴史をちゃんと解説したらもっとちゃんとした城跡に砲台含めた観光名所になるのになぁ。。と思った。

ちなみに前回の点景

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