盛岡市内丸にある城址公園。
以前は「岩手公園」という名で明治時代から整備されて親しまれていたそうだけど、近年になって城跡公園が正式名称になったそうだ。(岩手公園は愛称になったそうなのでそう呼んでも間違いではないらしい)
この盛岡市街は何度も来て歩いてて盛岡城も気にはなっていたけど、石垣の大きさから大きな城跡だと思い込んでて、いつか時間あるときにゆっくり歩きたいと思ってた所。
一度歩くつもりで来た時は公園で「まぐわい祭」という祭事を開催しててその祭りを見てて城は歩かなかったーなんて事もあった。(→)
さて、そんな祭りを見てた公園の芝生広場を周りの木の紅葉を見ながら横断。今日は素直に城に歩いた。
内堀跡の鏡ヶ池を渡って木々を抜けると石垣の城壁が見えた。
御台所跡の多目的広場を石垣に沿って進み、赤い橋の架かった石垣の狭間を抜けた。
その狭間の右側が二ノ丸で左側が本丸。
まずは右の二ノ丸に折り返すと紅葉が綺麗な公園だった。
軽くひと回りして赤い橋(渡雲橋)を渡って本丸に進む。往時のここには廊下橋という渡櫓が架かってたそうだ。
そして本丸。
なんか○○曲輪とか通ってもう少し複雑にまわって来るもんかと想像してたのが、シンプルな構造であっさりと本丸に来れてしまって意外すぎた。
何だこれなら祭りの後とか、神社の後とか、じゃじゃ麺を食べた後とかにチョロっと寄るくらいでも来れたなぁ。。とか思いながら紅葉を見て歩き、周りを眺望した。
腰曲輪の桜の葉の紅葉の先に、低い雲を纏った山並みが島のように見えていい眺めだった。
本丸南東部の天守台跡は現在発掘作業中だそうだ。
往時はここに天守代わりの御三階櫓があったそうだ。復元されてもよさそうなものだけど平和で静かな公園という状態を選んだのは奥ゆかしさなのかな。
ビッシリ御殿があったらしい本丸跡の中央には石碑?みたいなのがあった。これは日清戦争で散った南部藩当主子孫の南部中尉銅像が立ってた台座だそうだ。銅像は太平洋戦争で供出されて失い、それ以降台座だけが残ってるそうだ。復元しないのかな?気にならないのかな?逆に頑固なの?
朝からわりと人が多く歩いていたけど、みんな外人だった。外人さんが来て面白い所なのかなぁ、、
一周半ゆっくり廻って東側の御末御門跡へ出て坂道を下った。
本丸二ノ丸と続く石垣を眺めながらそれに沿って進み、三ノ丸に出た。
三ノ丸はあまり広さを感じない公園の入り口みたいなトコで、前に来たことある櫻山神社の裏。
その神社の境内にある烏帽子岩が見えてたけど、その岩以外にも大きな岩っぽいのが頭だけ出してたりして岩の集まったトコだった。
岩が出てるから岩手なのかな?とか思った。(全然違うらしい)
そして猫が沢山いた、、こんな都市中央の公園なのに。。
三ノ丸の裏の神社と鏡ヶ池に下ると、盛岡城跡案内の丁寧な看板があった。城跡公園的にはこっちが入口なのかな。
丁度そのあたりから見た紅葉が綺麗で、写真撮ってる女性もいた。
これでもう駐車場に戻ってもよかったけど、ちょっとあっさりだったのでもう少し散歩。鏡ヶ池に沿って(飲み屋街っぽい)下曲輪跡を歩いてみた。
ふと池(堀)を見ると大きな樹が倒れていた。先月の台風の影響とかかな。
「時鐘」を見て、櫻山神社の鳥居から振り返った。
ここはじゃじゃ麺の有名店「白龍」のある通り。まだ9時なので開いてる店があるわけもなく静かだった。盛岡に来てじゃじゃ麺が食べられないのは寂しいなぁ。
こんなとこで城歩きはおわり。周りの石垣の立派さから大きな城だと思い込んでたけど、それほどでもなかった。
そして盛岡城といえば、以前読んでボロ泣きした小説「壬生義士伝」の主人公の吉村貫一郎の出身地。でもよく考えたら下級武士だから城内の描写などなく(城下はわりとある)城の自慢もしてたような気はするけど歩いてみても特に繋がるようなピンとくるような所はなかった。。
とはいえ
仄かな紅葉の感じもよく散歩としてはいい感じで歩きやすいイイ公園。気分良かったのでもう少し散歩を続けた。
ちなみに櫻山神社の点景→