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小田城跡

つくば市小田に戦国期まであった城跡。国指定史跡。
前々から気になってはいたものの、国史跡とはいえ江戸時代には廃城になった城跡で平城だと何もなくて記念碑くらいなもんかな、、とか思ってついついいつも通過してた。

ファイル 2196-1.jpgけど、来てみたらちゃんと発掘してその後に整備されているらしく、旧筑波鉄道の小田駅跡に駐車場と案内所があった。へー。

筑波鉄道は廃線になったのが87年だから30年以上前になるんだけど、線路跡はサイクリングコースになっているので、駅のホーム跡もこうして残ってる箇所が多い。

車停めて、まずはその案内所に入ってみた。

「小田城跡 歴史ひろば案内所」というその建物は、公民館みたいな入口だったけど、入ったら中は広い部屋にパネルや出土品などの展示物が配された資料館になってて、まず、大きなジオラマ模型で戦国時代の小田城本丸が再現されていた。(随分とスカスカな城に見えた。。)

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そして、壁の穴を覗くかたちの顔ハメは、カメラの穴もあって壁の裏の鏡に映った姿を撮れるという恥ずかしくない顔ハメ!これはいいね!(いかめつい顔をしてみたけど只の不機嫌そうな顔になってしまった、、)

そしてパネルで順番に城の歴史を見て回わり、終わって最後に床の航空写真を見た。往時の水堀領域が青く塗られていて、わりと大きな平城だったんだーと思えた。

さて、実物の城跡を見に行こうかな!と思ってるとこで、高齢のボランティアガイドのような館の人が配るパンフレットを貰い、気さくに案内話を始めていただけた。

これがこれが、なかなか話がうまく面白いお爺さんで、聞いているうちに話は脱線しまくりw
茨城の話から栃木や縁のある熊本秋田の話、歴史は律令から源平から戦国から幕末に加えて戦争の話まで。戦後は筑波鉄道の話とか「あーそれとあとひとつだけ!」とどんどん話が続いて一時間近く話を聞いてしまった。。いやぁ面白かった。

ってわけで3時半に来たのに城跡に歩き始めたのが4時45分。すっかり夕方。
線路跡を少し歩くと城跡の土塁が見えた。おーちゃんと整備されてたんだ。(調査を終えて2年前に整備された城跡公園になったそうだ)
っていうか、筑波鉄道の線路は見事に城のど真ん中を横断してたんだね。。(まるで城の歴史を無かった事にでもしたかったかの如く、、)廃線になって残念だなーとずっと思ってたけど、こうして発掘調査できて「歴史ひろば」として整備されるのならば、良かったのかなと思えた。

まずは北西隅の土塁に開けられた穴(中にトイレがあった)をくぐって本丸に進んだ。

これはまた随分と広く平らな本丸。
そのまま府庁が入りそうな広さ。溝で区画が分かれていて、この北側は「建物域」だそうだけど、何がどう建っていたのかは不明だそうだ。
そして周りをずっと高い土塁で囲まれていた。時代ごとに少しづつ高くして最後の戦国時代には4mくらいあったそうで、それを復元してるらしい。

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まずは北の虎口まで進んで土塁に上がり北東隅の台の上に歩いた。
振り返ると西日まぶしく、広い本丸を照らしていた。北には筑波山もよく見えた。

土塁上を歩き、一旦切れる東虎口で下って中央の案内板を見た。
また戻って土塁に上り、南東隅に進むと、東に外の東曲輪が見えた。ちゃんと堀に囲まれて曲輪らしい姿だった。

この一番高く盛り上がった南東隅は、城跡が埋もれていた時もそのまま残ってたそうで、昔からずっと立ってたらしい「小田城跡」の石碑があった。

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再現された東池跡(水があまり溜まってなくて残念な池だった)を見ながら下って、屋敷と庭園だったらしい南側の「園地域」を歩いて、もう一つある西池跡に進んだ。こっちの西池跡は掘り下げておらず玉砂利で表していた。

そして南西虎口から外に出てみると、その先に馬出しという出丸のような真四角で大きめの曲輪への橋が架かっていた。

渡ってみると、この馬出の周りに他の曲輪も見え、いくつもの堀と曲輪が重なって広がっているのがよく見えた。
すごいすごい。本丸の周りの部分だけ整備したのではなく、外周の堀と曲輪もいくつも形が見えて大きな城域が感じられて感激。田畑の郊外だからこそ再現できた城郭だね。こういう城跡が見たかった。

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夕方も5時頃になると、犬の散歩の人がちらほらと見えた。
満足して、本丸に戻り、西側の土塁上を歩いて一周し、また北西隅のトンネル抜けて戻ろう!と思ってたら、トイレの穴は閉鎖されてた。。5時までか。
北虎口まで廻って外に出て堀を見ながら駅跡の駐車場に戻った。

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