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九戸城跡

ファイル 1944-1.jpg二戸市福岡城ノ内にある城跡。
二戸市にあるのに九戸城とはコワイカニ、、って感じだけど、この九戸は戦国時代の城主の名で、二戸は群の名前から市の名前になっただけで中心が二戸という町ってわけではないようだ。

この九戸城。町の裏にあってちょっと分かりづらく、案内を見落とさずに細い道から進んで、自然の崖のような要害が続く堀跡を抜けて大手門前に来たけど、駐車場が見当たらず(観光バス用のしかなかった)案内もなく仕方なく寺の前に停めて歩いた。(「九戸城エントランス広場」というガイドハウスのある駐車場が裁判所の裏の方にあったらしいけど、表通りにもどこにもまるで案内が無かった)

横に咲いた水芭蕉をみながら広い堀跡を歩いて、正面の大手門跡から入城。
路駐してる車を避けてすこし上ると広いニノ丸跡に出た。
っていうか、その広いニノ丸の脇は駐車場っぽくなってんじゃん、、なんで入れて停めさせてくれないんだろうか、、

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先にトイレ。このトイレにも解説があって、発掘調査で見つかった掘立柱建築物に合わせて作ったんだそうだ。変なトコで凝ってるんだなぁ。

さてこの九戸氏(九戸政実)は南部氏の一族で、相続争いで三戸氏が豊臣秀吉に従う形で強引に南部党首になったのに反発。
敵対し兵を挙げたためにこの九戸城で豊臣の軍勢六万五千に囲まれわずか五千の兵で攻防、善戦してすぐには城は落ちなかったそうだ。やっぱ戦のあった城跡は猛々しい印象でいいよね。

助命の和睦の応じて落城。だのに九戸政実ほか全員処刑。籠城してた女子供も全員斬殺。その一斉に斬殺された場所がこのニノ丸だそうだ。くわばらくわばら。
勝った三戸南部氏はその後、盛岡城を作るまでの五年間はここを居城としたそうだけど、、平気なもんなんだね。

ファイル 1944-3.jpg

ニノ丸を大きく歩いて堀切に架かる橋から追手門跡の本丸に渡るところでガイド付きの一行2グループとすれ違った。
武装のコスプレしてる人もいた。

本丸もこれまた広ーくて平らで、天気良ければ走り回りたいような広場だったけれど、雨が降り出してきた。。

眺めは今一つ。北側の二戸市役所方向は木々に隠れてた。

ファイル 1944-4.jpg

西側はいくらかよく見えた。目の前の市街は三ノ丸跡だそうだ。(市街の手前に「九戸城エントランス広場」が見えた。ここで初めて駐車場の存在を知った)
三ノ丸跡(市街)の先には馬淵川が流れていて城としては裏側だそうで、敵が布陣してたのは東の大手門側と北の市役所側だったらしい。そっか地形的には攻めづらい城なんだ。

そして本丸は南側の枡形虎口から出た。
こお虎口の辺りが石垣も残ってたり、隅櫓跡の土塁の上に桜が咲いてたりと城っぽくていい感じだったけど、雨ふってきてたのでのんびりせずに通過。

ファイル 1944-5.jpg

その先には地形図模型があったりして、観光的にもこっちが正面かぁ、、今日はなんかトコトン裏側からまわっちゃってる感じ。。

最後はニノ丸の裏の搦手門跡側から搦め手を三ノ丸に下って戻ろう、、と思ってたけど、さっきのガイド付きの一行がトロトロとそっちに進んでいったのでヤメ。
ていうか雨足が強くなって来ちゃったので、むしろわざわざ廻らなくて正解。まっすぐ大手門から引き返した。

ドライブ先の寄り道で、歩いてる途中で雨に降られて急ぎ足で車に戻ったのははじめてかも。ちょっとぬれちゃった。

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