秋田市千秋公園の秋田市街中心地にある城跡。
以前行った「秋田城跡」は律令政権時代の城跡、で、こっちは江戸時代から明治維新まであった佐竹の城跡。
前もホントはこっちにくるつもりだったのが先に見かけた「秋田城跡」に気まぐれで寄って満足して帰ったりしてたので、こっちもいずれは来たいと思っていた。
で、ナビ地図見る限り城跡公園用の駐車場っていうのがどこかわからず、それらしいトコに来たら観光バス専用だったので咄嗟に見かけた目の前の病院のコインPに停めて(この病院が三ノ丸跡だったらしい)黒門跡から入城。
したら、、規制予告の立板があって、
「9/18 15:00~20:00 『千秋花火』花火打上のため 立入禁止」と書かれてた。ふーん18日ね、、って今日じゃん!
今の時間は2時。んー、まぁ一時間あれば余裕かな、、と進んだ。(コインPが病院利用以外でも30分まで無料だったので、元々それまでに戻るつもりだったから丁度よかった)
広い二の丸跡に進むと警備の人がうろうろしてた。
そして広場には花火打上の準備がされていて、わー変なときに来ちゃったなぁ、、とか思ったけど、意外と歩いてる一般の人もまだいてあまり気にならなかった。
長坂門跡の逆を登ると、復元された表門門櫓の手前にある唯一の現存建築物「御物頭御番所」は、文化財だけに花火の火の粉対策なのかしっかり隠されて立入禁止にされていた。。これは残念。
まあいいや先を急ごう。
そしてヤケに広い本丸に出た。二の丸より広い本丸だった。
「三森山」の三つの頂点を削って平らにして築城したんだそうだ。なんかすごいな。明治13年(1880)の大火事までは櫓も御殿もみんな残ってたらしい。
なんか分かりやすい構造の城で攻略しやすそうに思ったけど、戊申の役では寸前まで迫った庄内藩が攻め入ることなく撤退。運がイイ。
そんな本丸を横切って、西側の多聞長屋跡の土塁の上を進んで「御隅櫓」に進んだ。
この御隅櫓は、、現存物でも復元物でもない復興天守的な建物。
あれ?そうだっけ?なんで来たいと思ってたんだっけ?
なんでも、元々あった二階櫓までは場所も形も忠実に再現しつつ、その上に天守風な展望階を付け足しちゃった微妙な建物だそうだ。
城跡としてはナシだけど、公園としてはアリかな。
この微妙な勿体なさと許せてしまうチグハグ感がこそばゆい。
中は鉄コン造でエレベーターのある有料の展望資料館。
入って展望してみると、北の目の前の小学校からの東側は南まで公園の森でほぼ展望ナシ。西正面の秋田市街はさすがによく見下ろせた。
けど、ついさっきポートタワーで展望して来ちゃったばかりだから正直あまりピンとこない眺めだった。
気になったのは手前の森の松の木。先に大きい松ボックリが沢山付いてて、子供のチ○コみたいにツンとしてて可愛かったw
そして資料館を見ながら下に下る。城のジオラマ模型は大きくてなかなか良かった。(撮影禁止じゃないそうなので写真撮ったけどブレブレだったので割愛)
櫓を出て、土塁の北側を帯曲輪門跡まで歩いて下って裏門跡から二の丸に下った。
その下には胡井池というのがあって「大賀ハス」という千葉の蓮を譲り受けて栽培してるとか案内があったので覗いてみた。
ら、葉の大きい蓮は花咲いてなかった。。けど、葉の小さい方は白い花が咲いていた。どっちが「大賀ハス」?
帰ってから調べたら葉の大きいのが「大賀ハス」
この白いのは蓮ですらなく睡蓮だそうだ。まだ花はぜんぜんわからないや。。
そして花火打上現場の二の丸広場を警備員の誘導に従って抜けて、あとは足早に城を下った。
駐車場へ戻ったのが2時半ちょい。うわー微妙に30分越えちゃった。
なんとも微妙な城歩きだったけど、まぁまぁ感じの良い公園になってて、戊辰ですぐに新政府に付いた佐竹の勝利と思えた。(改易前の元いた水戸城とは対照的に思える)