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中之嶽神社

ファイル 1684-1.jpg下仁田町上小坂の妙義山南西の登山口にある神社。
何度も来てる妙義山の道で、ここの大きな大黒像も見てたので一度はお詣りしようかと思ってて今回が初めて。

入口の石柱にも鳥居にも「中之嶽神社」とあってそれが大黒の神社かと思ってたけどそうではなく、一緒の境内にある「大國神社」が大黒さま(大國主)を祀った神社だった。

大黒像は平成17年(2005)の建立、高さ20mで日本一だそうだ。

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「大國神社」は弘仁9年(819)に妙義山に登った藤原冬嗣と弘法大師が大國主を奉ったそうで、社殿前には狛犬ならぬ狛大黒が左右に並んでいた。

で、「中之嶽神社」はここから急で長い石段を登る。
そのまま先が登山道になってるようで、石段の下に登山マップや登山者カード入れがあった。妙義山は鎖場も多く滑落事故の多い山。登る人は入山届を書かなきゃいけない。

神社にふらりと立ち寄るだけなので気にせず登り始めた。
運動不足の身にはなんかもう登山の気分でゆっくり登った。妙義神社よりは楽だったと思う。

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「中之嶽神社」は、東征の折に日本武尊が妙義山に登ったということで後の欽明天皇年間(六世紀中盤)に祭神として建立。
大きな岩の根の窪みにはまるように社殿があった。
しばらく岩を見上げながらウロウロして息を整えてから参拝した。

その後も少し周りを見ていたら道標があって、右に進めば410mで見晴台、670mで石門、左は200mで轟岩とあった。
右の見晴台方向は登山コースの本道なので進むつもりはまるでなく、左はオマケみたいに書かれてたコースだし200mくらいならすぐだからちょこっとその「轟岩」っていうのを見てみようかな、、と進んでみた。
が、少し進むと道がよくわからなくなり、多分ぐるっと回る所を少し近道でみんな通って道っぽくなっちゃった斜面みたいなトコをゆっくり登ってみた。

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ら、ちゃんと途中に「この先轟岩登山道」という張り紙があった。(この先っていうんだからやっぱりここはコース外だったんだろう)
でもその先の登山道は岩場の斜面。。
どう進むのか足場を考えながら滑らないように気をつけてぐんぐん登った。(あれ?なんか四国でもこんなようなトコ登ってたような)
これ、、コースだよね、登山道だよね、上級でも初級でもない端のコースだよね。本道はどんだけの登山道なんだ?
と、両手で岩をしっかり掴みながら一歩づつ登ってその上に出たら、石の祠のある見通しのいい場所に出た。

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振り返った妙義の山々がドーンと大きくぐるっと見えていい眺め。
周りには白い花(マルバアオダモ?)が咲いていた。
んーなんか登った感あってもう満足。
道はまだ続いてる感じしたけど、どれが轟岩だか分からないし、ちょっと散歩くらいのつもりだし、登山カード書いてないし、っていうかホンのこれだけ登っただけでもエラく疲れてもう勘弁、ここで引き返すことにした。
(帰って調べたら、あとホンの少し進めばデカイ轟岩に出て梯子で岩の上に登れるガクブルの怖いコースで、近年死亡事故も起こってる所だったそうだ)

で、来た道を引き返したら、、
これ、、岩場って登りより下りの方が怖いね、、
こーんなトコ登ってきちゃったのか、、まじで滑ったら落ちて死にそう。と後悔しながら屈んで一歩一歩しっかりと下った。
っていうか山登る人ってすごいよなぁ、この程度でビビっててなさけない。いやまじでイモトアヤコ尊敬するよ。

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岩場を下ってやっと足元の落ち着く土の道まで降りてひと安心。たったこれだけだけどエラく草臥れた。。
もう全回の波といい今回といい、ちょっと調子に乗って進みすぎるのを自粛しないといけないな。あくまで休憩の寄道。さわり程度の軽いふらつきと心しないと。(記事もくどくなるし)

神社まで戻ってなんかホッとした。急でも石段は安心して下りられるのがいいね。
景色や大黒像を眺めながらゆっくり下った。

そして駐車場でまた周り山々を眺めたり、奥の先にあるトイレに歩きがてら振り返って正面の妙義山を写真におさめた。

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今登って来たのってどこら辺だろう?とみるとホンの手前の全体の膝元くらいな感じのトコのようだった。
これが轟岩かな?とズームした写真は、帰ってから見たら岩の上に人が登っていた。ホント凄いな。

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