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置賜さくら回廊-白鷹町-

白鷹町の「置賜さくら回廊」
リストアップや番号があるわけではないようなので、全部で幾つの桜の古木があるのか分からないけど、とりあえずサイトで見ると長井市に倍するくらいの桜があるようで、とりあえず片っ端から順に寄ってってみた。
で、
あまり項目増やすのもナンだし、どこも一分咲き未満だし、ってことで白鷹町内のものはひとまとめにしました。

まず最初は南から白鷹町に入ってすぐの「釜ノ越桜」
ここは「釜ノ越農村公園」になってて駐車場も幾つかあって売店とかもあって一番ちゃんとしてた。
咲いてないから勿論まだ有料になってない駐車場に停めて歩くと、白い冠雪が残る山をバックに赤いつぼみを纏った桜の樹が見えた。
、、、けど、近づいてみると背後に並んだ若い桜の樹で、「釜ノ越桜」の古木はちょっとくたびれた雰囲気だった。

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樹齢約800年のエドヒガン。
ここに居陣した源義家(八幡太郎)が樹下の石で釜戸を築いて兵糧を炊いたそうだ。
んー咲くのかな?
とりあえずつぼみを付けた枝は出てたのでちゃんと咲くようではあった。まぁ他にも桜の樹は沢山あるので花見する公園としては賑わいそうだ。


二つ目は県道のすぐ先の「薬師桜」
ここは駐輪場くらいの入りずらい駐車場があるけど面倒なので路駐で歩いた。満開に咲いたらこうはいかないだろう。
で、桜は背は低めだけどとても風流な姿で薬師堂前に格好良く鎮座。ぐるっと周りを歩きながらじっくり見ると花を咲かしている蕾もチラホラあって喜ばしい。吹き抜けの洞があったりして『回廊』内の樹としてはこれが一番素敵だった。

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樹齢1200年のエドヒガン。
この桜には征夷大将軍坂上田村麻呂の恋の伝説があるとか、、ほらね。
薬師堂には子供の前掛けが重ねて修められていた。一番上のは「妖怪○オッチ」だった。。妖怪を修めちゃっていいのだろうかw


すぐ先で「御衣黄桜」「オオタ桜」というのも案内を見かけて脇道に入ってみたけど、コレはどれか判らずにぐるっと回って「薬師桜」に戻ってしまった。。


少し進んで三つ目は「十二の桜」
ここは花見用の設営が行われていて、何台もの軽トラと大勢の人が集まっていた。
取り敢えず駐車場で降りて歩くと、幾つもの桜が並んでいて、十二あるから十二の桜なのかな?とか思ったけどそういうわけでもなさそうで、貫禄ある一本が多分それだと思えた。
ここの案内板は細かく丁寧に書かれていたけど、細かい分かえって分かりずらかった。。
ベンチの枕木を填めてる横をすり抜けて歩いて回った。

結局樹齢は何年なんだ。二度老衰して根生えの新芽に世代交代しながら870年成長を繰り返してきた古木って事でいいのかな?
昔は十二神堂というのがあった場所だそうだ。
咲いてる花は一輪も見つけられなかったけど、幹には茸が生え、足元にはフキノトウが顔を出してて春の到来秒読み体制だった。

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次は「山口奨学桜」
明治後期に山口村小学校に植えられた樹齢100年のエドヒガン。
ここも花見用の設営が行われていたので、寄らずにちょっと車から遠目に眺めるだけにした。
100年と若い分だけ形よく、咲いたら見映えいいだろうなぁと容易に想像ついた。


四つ目に寄ったのは「子守堂の桜」
手前の広い駐車場で停めてみたら、そこは学校だったのでヤメて路駐。降りた目の前に小さな桜が勢いよく咲いていた。もうこれでいいじゃん、、とか思いつつまだ咲いてない古木に歩いた。
ら、ここは丘の掛け上がりの途中にあってとても眺めのいい場所にある桜で、花もチラホラ咲き始めてていい感じだった。
タヌキみたいな猫ものんびりしてて、ポカポカで気持ちよかった。

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樹齢1000年のエドヒガン。
この地をおさめた鮎貝家の子守がこの桜の下に草履をぬいだまま消息を絶ったそうで子守堂を建てて祀ったとか。
広くないけど眺めは一番いい桜で、人がいない時に来れて良かった。
1000年もの間ずっと見下ろして眺めてきたんだね。
満開に咲いたらさぞかし素敵だろう。散って花びら舞う姿も良さそう。と想像しながらのんびり眺めた。


そこから細い道を進んで五つ目は「後庵桜」
ここは駐車場が無く「この先車両進入禁止」で路駐して歩いた。咲いてたらこうはいかないね。
その徒歩区間入口の家の庭先にも濃い色の桜が勢いよく咲いていた。(桃?)またまた「もうこれでいいじゃん、、」とか思いつつもやっぱり古木に歩いてみた。

続く幟を辿ると少し距離あって、途中の畑に「鮎貝城本丸跡」とあった。
応永3年(1396)築城で鮎貝氏が治め天正15年(1587)に伊達政宗に謀反を起こして攻略され落城だそうだ。
で、「後庵桜」は、、
その先の民家の前、、じゃなくて奥の物干し台の先にあった。。
なんか入りづらいなぁ、、って気分で軽く拝見した。

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樹齢680年のエドヒガン。
計算すると築城の前からあった樹だね。城が滅ぼされても残った桜っていうのはいいね。
その鮎貝城の北にあった医者の庵の桜で「後庵桜」と呼ばれたそうだ。この家も医者の一家なのかな?
樹は裏の谷間に迫り出す形ではえてて、その谷(堀割??)に簡単な足場の橋が架かってたけど、入り込んでいいものかどうか解らなかったからヤメといた。
桜は咲いてる蕾も見つけられたけどパッとしなかった。


更に細い怪しい道を進んで「赤坂の薬師桜」
ここは細い坂道の上にあって、駐車場もなく、車停められそうな道脇には作業の軽トラが停まってたのでやむなく通過。
一番辺鄙な場所で裏の裏って感じで冒険心はくすぐられる。
車から降りてないから本編の日誌の方に載せたいトコだけどね。

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一時停止して案内板は読めた。樹齢970年のエドヒガン。
ここは旧街道の入口で、最上川の洪水の時に船を繋いだという伝説があるそうだ。(珍しく色気のない伝説だ)
二つ目に行った「薬師桜」と同種で同じ薬師堂の桜だから同年代に植えられたものと考えられる、、、とか書かれてるけど、ちょっとまて、あっちは樹齢1200年じゃなかったか?サバ読み過ぎ。。(恋の伝説もほしいところ)

最上川を渡って白鷹町の町に入る。

ここまで(赤坂の狭路でさえ)分かりやすく続いてた「さくら回廊」の案内が、なぜか町内では途切れててその次の「八乙女種まき桜」というのがドコだか分からなかった。。
町を出そうになって一旦停車して、スマホで見てみて戻った。
けど、この「八乙女種まき桜」はやっぱり案内薄かった。
八乙女八幡神社というのがあるので、まぁ多分そこらへんだろうとは思ったけど、道も狭く駐車場も分からず、表通りから歩く気もなく、結局ヤメて通過。案内がないってことは枯れたか?

で、次で最後の六つ目は「称名寺阿弥陀堂の桜」
ここは案内が一箇所ぬけてた交差点のせいで町を二周しちゃった。。
辿り着いた先はお寺のお墓にある桜で、路駐はしずらくて通過したら称名寺の第二駐車場が近くにあったので、そこから歩いた。

お墓の真ん中の阿弥陀堂はしっかりした造りの坊で、いままで見てきた薬師堂が市井の馴染める雰囲気とは違っていた。
で、その裏にある桜の樹も立派で高く広く立っていた。

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ここだけは現地の案内板が無かった。(阿弥陀堂の案内はあったけど)
ネット調べでは樹齢350年のエドヒガン。
1000年級の古木の中ではなんか若く感じちゃうけど、350年でこれだけ活気あって堂々としてるのは立派。咲いてる部分もあって一番見映えがした。
でもなんだろうね、やっぱり墓地の中ってあまり落ち着かないよね。人んちに入り込んで見てるような感じ。檀家でも縁者でもない不審者とは思われないように写真撮り捲った。


こんなとこかな。
長井市で三箇所(+町内と土手と未確認1)
白鷹町で六箇所(+車で横目通過2未確認1)
いやーまわったね。っていうかこんなに桜の古木がある地域って珍しいんじゃない?
今回は咲いてなかったからこそ、そして朝の内だったからこそひとつひとつ飽きずに幾つも廻れたんだと思う。
多分、咲いてたら一つ二つで満足してるよね。
たまにはこういうルート巡りもいいね。

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