鶴岡市羽黒町松ケ岡にある国指定史跡。
明治維新後に庄内藩士が開墾開拓した拠点の地で、瓦葺上州島村式三階建の蚕室というものが五棟も現存している。
この蚕室が外から見るだけでも大きく立派でいい雰囲気。
そんな貴重な史跡でありながらその建物は、記念館だけでなく映画資料館、食事処、陶芸教室などに利用されていて、ちゃんとした時間にくれば色々楽しめる体験村っぽい感じになってるようだ。
もちろんまだ早朝でどこも開いてはおらず、人もいなかったのでかえって静かにその建物を見て回れた。一人で史跡として思いめぐらせながら歩くにはいい時間だと思う。
駐車場から一番手前は四号養蚕室で「庄内農具館」になっている。
その向かいが五号養蚕室で「庄内映画村資料館」。
入口の掲示板の建物案内とかもこってて面白そう。
五号の隣の三号養蚕室は「庄内映画村」の事務所のようで、そういえば最近よく聞く(俳優女優のブログとかで見かける)「山形での時代劇ロケセット」というのが近くにあるらしい。寂れた廃村や山中の宿町のシーンなどは殆どそこでの撮影のようだ。
その間に工芸教室や蚕蔵や陶芸教室があり、二号養蚕室が食事処、一号養蚕室が「松ヶ岡開墾記念館」になっていた。
蚕室の桜通りを抜けると一番奥は「松ヶ岡本陣」。
これも国指定史跡。
だけど「本日貸切」だそうだ。(貸切は一日8000円と出てた)
どうせここも中を見れる時間じゃないから何の問題も無し。佇まいだけ見てまわった。
元和8年(1622)に鶴岡城整備のための仮殿として建築、その後郊外に移築して藩主の休憩室として使われていたものを明治に此処に移築して本陣(集会所兼事務所)としたそうだ。
前の神社のこんもりした丘があってその途中から少し下ろせた。
さてまっすぐ駐車場に戻って、最後に駐車場の先にあった「新徴屋敷」を見てみた。
これは庄内藩配下の江戸市中警備「新徴組」の隊士が戊辰戦争後に庄内藩士として鶴岡に住むときに造られた屋敷で、すぐにこの松ヶ岡に移築して開墾士各戸の住宅として使われた物だそうだ。
京の「新撰組」に比べると「新徴組」というのはまるで知名度が無く、ここにきて初めてそれに関わる遺構を見た。へー。
戊辰戦争で最後まで負けることなく奮戦して恭順した庄内藩は、他藩より寛容な処分で(薩摩の西郷隆盛の指示とされている)流刑になることもなく、廃藩置県後の藩士はこんな領内の土地を開墾して暮らせたのかと思うとちょっと不思議。
もちろん地元だけでなく北海道へ開墾に向かった元藩士も多数いたけど、そっちも薩摩の黒田、西郷が先導ということでやる気出てただろうし、ここで培った養蚕と桑園開墾技術も活かせたそうだ。
(っていうか江戸の薩摩藩邸焼き討ちって庄内藩だった筈だけど怨んでないんだ、、あれはやらせか?)
気まぐれで来てみた割には面白い所で、庄内藩に関する興味も持ててなかなかイイ散歩になった。天気も良くなってきた。