小豆島町岩谷の436号沿いにある大阪城築城残石の岩丁場跡。
「八人の石工が一度に犠牲となったとの伝説がある巨大な残石を中心にして海岸までの山中に数百個の石があり、その中の主要な数十個残石の間を縫って進む延長二百四十メートルの路」とあった。
そしてこの辺りは徳川家光の命で黒田長政が採石した地区だそうな。(大河には関係ないか。。残念)
んーどうしようかな、日も陰った大禍時に森の道を240mかぁ、、とか思いながらちょっと歩いてみたら、森に入った途端にもう岩がゴロゴロ沢山あってちょっと面白くなって結局歩き進んだ。
どの岩にも大きなノミの跡や石工の組の刻印が残されている様で、案内版が幾つも幾つも立っていた。
へーへーと見ながら進むと、道はどんどん下り段で、その分登るわけだからもう下りたくないなぁ、、と思ってたらすぐに森を抜けた。
森を出るトコに割る途中みたいな大きな岩があって、こういう感じで割って八人巻き込まれちゃったのね、、と想像しつつ進むと、その先にその「八人石」という大きな岩と小さい供養塔があった。
八人犠牲になって名に残るくらいだから、普通はそんなに犠牲者の出ない作業なのかな、、こんな斜面から岩を割って運び出してなんて考えたら人力だけの昔は恐ろしく重労働だよね。
そういうことまで考えると築城すっるって言うのは凄い事だよね。
城を歩く時はそういうことも考えて石垣とか眺めてみようと思った。