つくばみらい市上平柳にある資料館。
「間宮林蔵」はあの世界の地図にも載った間宮海峡の地名になった間宮さん。この地出身の江戸時代後期の探検家。
主に北海道(蝦夷)から樺太の探検測量をして正確な地図を作成した人。伊能忠敬と蝦夷で出会って測量技術を学び、伊能の続きを引き継ぐ形で蝦夷と樺太を地図にしたそうだ。
この人と伊能忠敬はやっぱり地図が好きな者からすれば神様みたいな存在で、前々から気になってた。
で、今年行った宗谷岬で間宮林蔵の像を見て思い出し、帰ったらすぐに行こうと思ってたんだけど。。
なんかねー、、利根川沿いだとばかり記憶違いしてて、あれ?どこだったっけ?地図で見掛けてたと思ったんだけどなぁ?と、ちゃんと探さずに何となくいつも過ぎてた。けど、行く気になってナビで検索したらちゃんと出て、小貝川沿いだった。あーこっちか。
凄い辺鄙な細い田舎道の先に在る割には、ちゃんとした新しめの記念館で、100円の入館料は全然惜しくない感じだった。
門を入るとまずは間宮林蔵像。宗谷岬で写真撮れなかったからここで無念を晴らした。
館内は撮影禁止。あしからず。
模型とかは無く地図の複製資料等が並んでたのでじっくり見てまわった。九月に北海道行って樺太も眺めていたので見てて面白かった。
測量しながら歩いたんだよな、、あの広い大地を。しかも道なんか無い時代に。すげーな。
さて、記念館の前には移築復元された間宮林蔵生家があって、そっちも気になってた。
地図とかじっくり見過ぎて時間なくなっちゃったり日が暮れちゃったりしないようにと心掛けてたけど、外に出るとまだまだ明るくてホッとした。
案内によると屋敷はここの南西50mにあった江戸時代後期のもの。
間宮林蔵は15,6歳まで住んでたそうだ。
見取り図を見ると移築前の方が大きく部屋数も大きいのは何故だ?移築先の土地の問題か?
でも中に入ってみたら、それでも十分大きい農民家に思えた。
でも一介の農民の子供がその才能を役人に認められて、幕府にも認められて、世界歴史的な偉業をやりとげたというのは凄い事。英雄だね。埋もれなくて良かったねぇ。
最後に門を出たら、正面に夕日に照らされた筑波山がキレイに見えた。
彼の冒険家もこの筑波山を眺めて育ったのかと思うと感慨深かった。