輪島市門前町の249号沿いにある史跡。
旧国道っぽい側道に見かけて何だろう?と思って寄ってみた。
駐車場はちょっと先の裏にあってその間の路面に段差ができてたのは地震の影響なのかな。歩いて表に戻って案内板を見てみた。

名前から、特別な樹が生えた林なのかな、、なんて思ってたけど全然違ってて、「瑩山禅師が定賢律師と出会った地」だということだそうだ。仏教のスポットね。正直よくわかんないけど、せっかく立寄ったので階段を上ってみた。
けど、上にあった案内板は「三味線地蔵」のものでそこの林がどうのということはなかった。横に並べられた岩は石碑かと思ってみたけど、なんでもない岩のようでそれの案内は無かった。
「三味線地蔵」に関しては江戸時代の話で、越中の薬売りがある夜三味線を弾く美しい歌声の瞽女に惚れてヤッちゃったんだけど、翌朝みたアバタ面で冷めて、この羯鼓林で川の谷底に突き落として殺害。それ以降「助けて」という声が谷底から聞こえるようになったので地蔵を安置して供養した。という酷い話。まぁだいたいこういう所はそういう感じだよね。
その地蔵はもう一段上のようで、せっかくだから登ってみた。

けど、上にあった祠は扉が閉じてて地蔵は見えなかった。。姿は見ずに拝めということなのかな。
残念ではあったけど、少し眺め良かったので登ってよかった。
昔はここは川との狭間のチョットした峠だったのかね。
で、裏を見ると深い切り通しがあって崖のようになってた。これはいつ造られた道だろう。初代の国道とかかな。江戸時代にあった川側の崖はもっと深かったのかね。酷い話だね。
その切り通しに見えたケヤキのような木の葉のが旺盛で目立ってた。これは能登ヒバ(アテ)かな?能登らしい樹が見れてナイス。
そして階段を下ってその裏の切り通しを見てみた。いい感じ。整備されてるようで荒れてないから不安なく歩けた。(じつはこの切り通しが、昔からあった「羯鼓林」の峠なんだそうだ。何の説明もないんだもんなぁ。。)
そして表の側道で駐車場に戻った。その時に間の段差をよくみてみた。これ、やっぱり地震の痕かね。

そして駐車場の前のコンクリの囲いの中に並んだ石碑は、左の二つが倒れたままだった。よくみると一番左のはお地蔵さんで首が取れてた。おいたわしい。
ふと横を見ると、その脇がさっきの切り通しだった。なんだそのまま通り抜けて駐車場に来れたのか。
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