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松原神社

敦賀市松原町にある神社。

来てみたら神社には駐車場がない袋小路でちょこっとバックして転回。
すく後ろにある「武田耕雲斎等の墓」の方に停めてそっちを先に歩いた。

ファイル 2507-1.jpg武田耕雲斎は幕末の水戸藩で尊王攘夷で立ち上がった「天狗党」が攘夷の魁となるべく京の慶喜に嘆願するために軍を率いて登って来た時に首領を担っていた人物。

幕末と言えば薩長が主役な流れだけど本来は水戸こそ主役張るべき藩だった筈で、序盤飛ばしてたけど内部の分裂ですっかり脇役以下になってしまって、、と歴史素人ながら残念に思っていた。
さてそんな内部分裂ではじき出された天狗党が京を目指して進軍して、辿り着くことなく途中で幕府に捕縛されて処刑されたのがこの敦賀。
この墓の裏の寺で352名が斬首されたそうだ。

ファイル 2507-2.jpg

まぁ、そんな場所なので興味あって来てみたもののあまりいい感じのするところではなく、、武田耕雲斎の立派な立像も立ってはいたけど、なんというか戸惑った。

ファイル 2507-3.jpgそして神社。
折り返して松原神社に歩いた。

この松原神社は処刑された人を含む411柱の天狗党党士を祀った神社だそうな。
境内はまるで気比の松原の一部かと思うような松林。(明治時代頃はここまで松原だったそうだ)
西日の木漏れ日で明るく雰囲気いい神社だった。

そしてお参り。ん?手前のが拝殿?その裏の本殿前の門に賽銭箱があった。

ファイル 2507-4.jpg

そして松林の隅にあった倉庫のような建物が「ニシン蔵」
捕縛された天狗党が処刑されるまでの冬の間に幕府に監禁されていた十六棟の蔵のうちの一つで、この境内に移築された実物だそうだけど、キレイに整ってるからほぼ復元改築に近い修繕をされたのだろう。
実際は寒くて臭くて劣悪なボロ蔵で一棟に50~60人、ろくな食料も衣服も与えられずにつめこまれたそうだ。
現在は「水戸烈士記念館」ということだけど錠がかかって閉まってた。
ガラス越しに覗くと簡単な資料展示と俳句の札が並んでいた。

ドライブで茨城を廻ることは多く、その筑波山で挙兵した天狗党には一時期興味持って調べたりしたけど、やっぱり略奪の暴徒の悪印象に始まり、反対派(諸生党)との内乱で血みどろの逆襲合戦、そんな経歴の中で唯一規律が保たれて立派だった武田耕雲斎が指揮した武装上洛は、失敗して半数が斬首半数が遠島という結果。
暴徒の過激派という印象も強いから肩入れする気はないけれど、暴発せずに捕縛され処刑というこの結果には武士としての矜持を感じた。そしてそんな最後の地に来てみたわけだけど、やっぱりあまりいい気分の所ではないよね。

ファイル 2507-5.jpgさて、少々気持ち沈みつつ出発。
あとはせっかくだからとすぐ近くの「気比の松原」に向かってみた。
車で松林を通り抜けるだけのつもりだったけど広い駐車場があるみたいなので休憩した。
(ここは別項目にするべきかと思ってたけどあまり内容無い軽い寄道なので一緒にしちゃった)

少し松林を歩いてみようかと車を下りたけど、松林の案内図みても石碑が数ヶ所あるだけで何もないっぽかった。
取り敢えず林の道を歩いてみたけど、その先に何があるわけではないので面白味もなく、横に折れて海に出てみた。

ファイル 2507-6.jpg

松林のすぐ前が海だった。
敦賀湾の一番奥でちょっと湖のような感じもする浜辺の景色。波の断面の水はキレイに見えた。
軽くひとまわりして車に戻った。

ちなみにこの気比の松原は昔は氣比神社の神苑だったらしい。ってことは氣比神社までずっと続いてたのか。もっともっと深い松林だったんだなぁ。

タグ:観:史 観:宮 観:建 景:森 景:海

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