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中の島公園

ファイル 2457-1.jpg五霞町山王の利根川から分離したばかりの江戸川の口の洲にある公園。
公園の東口の橋の先は千葉県で、関宿側からも行きやすい。

夕陽を見るつもりで寄った江戸川の先の土手で、この「中の島公園入口」という橋が架かってたので、夕日がもっとよく見える場所があるかな?と歩いてみた。

橋の上に県境の標示は無くどこまで千葉県なのか分からなかったけど、県を越えるという意識はあった。2月は千葉から出るつもりないとか言いながら、まぁ歩きならいいかと出ちゃったw

こっちの県境側の橋の下には水は流れておらず、増水時には流れたっぽい跡の草むらになってたけど、陸でつながってるなら中の島まで千葉県に欲しいところだ。一応川の流域ではあって少し下流から水が流れ出していた。地下で調整してるのかな?
夕陽と流れ出てる変な川を見、背中の関宿城博物館の復興天守と月を振りかえりつつ橋を渡った。

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そして渡り切った所で秩父の山並みに日が落ちた。
富士山は見えなかったけど振り返ると筑波山はクッキリ見えてた。

夕焼けだけ見て車に戻るつもりだったけど、まだしばらくは明るいだろうし、なんかいろいろあるっぽいから散歩ついでにと公園を歩いてみた。

まず「治水の歴史への招待」という灼けて見づらい案内板を見つつ坂を下ると、現在の江戸川の本流と水門が見えた。
そして公園の中に進むと小さなトラス橋があった。これは明治40年(1907)に市川に架けられた総武鉄道の「江戸川橋梁」だそうだ。なぜここに?
渡った先正面に関宿城博物館が見えた。

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園内は梅が咲き始めていて白梅はポチポチだったけど紅梅はキレイに咲いていた。もう少し明るい時間に来れればよかったかな。

「棒出しの石」というのもあった。棒だしというのは川の分岐の口を狭めるために造られた突きだした土手の事、それに使われた石。
洪水対策でもあるけど、ここの江戸川は下流に向けての落差が乏しかったので流れをつくる為でもあったらしい。
明治時代に川の流路を変えて昭和になって水閘門が出来たので退役となったそうだ。

展望台かなーとか期待したのは昭和中期に使われた「旧水位観測所」だそうで、もちろん入れなかった。。
その先のトイレも撤去作業中で閉鎖されていた。見たかんじ新しそうに見えたけど場所が場所だけに上下水たいへんなのかな。

そして関宿水閘門を渡った。土木遺産だそうだ。
まず水門を渡って上から川を眺めた。
上流側には利根川からの口がわずかに覗けて、その先には圏央道の高架が見えた。
この部分の江戸川は明治時代に掘り造られた区間。その前までは中の島まで普通に陸続きだったわけで、それ故に江戸川の先まで茨城県なわけだ。

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流れのある下流も見つつ渡り進んで、次は閘門を渡った。
小さめの閘門で役目終えて開いたまんまの現在は水位の差もなく寂しい限り。
っていうか完成が昭和に入ってからじゃ、どれだけの船が通ったんだろう。もう水運の時代じゃなくなってたのでは?

渡った先は何もない土手で、土手に上ってみようと思ってたら階段は立入禁止だった。。
ってことでここで折り返し、関宿水閘門を戻った。

公園に戻って、来た時通ってない中央を抜けてみた。大きな石碑「利根川治水大石碑」があった。
下の写真で石碑の脇に見えるのが、トロッコのレールで作られた藤棚
利根川の改修工事で河道の浚渫と掘削による排土運搬に使われたトロッコのレールだそうだ。
そしてその後ろに見える樹が、実はこの公園のシンボルだったらしい樹齢100年で関東最大級の大コブシの木。3月下旬には見事な花が咲くそうだけど、保全対策で枝が切られててちょっと侘しい姿。それでも満開になったらキレイなのかな?

それより他の枝が豊かな木の方が、暮れなずむ空をバックにかっこいいシルエットでよかった。
鳥も多く枝から枝に飛び回ってたけど、この時間じゃ撮れないね。

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そして県境の橋を渡って千葉の入り口に戻った。
振り返ってみると、秩父の山並みがよく見えた。北に少し離れて見える山は、、浅間山かな?

最後に土手脇に静態保存された浚渫船とキャタピラの浚渫機を眺めて駐車場に戻った。
日が暮れてグンと寒くなって誰もいなくなった公園だったけど楽しく歩けた。
でもやっぱもう少し早く来て関宿城博物館も行けばよかったなぁ、、と思った。またこよ。

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