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日中線しだれ桜散歩道

ファイル 1938-1.jpg喜多方市千苅中道上から青葉台までの3kmの自転車歩行者道。
昭和59年(1984)に廃線になった国鉄日中線の線路跡に作られた長いしだれ桜の並木道。
「しだれ桜並木↑」の案内に釣られてやって来て停めた臨時駐車場が丁度中間地点だった。

実はどんな感じか全然知らずに何気なく来てみたんだけど、これはなかなか、、っていうか凄くイイ並木道。
しだれ桜は割と若く背が低いんだけど、逆にそのくらいが程良い高さで目の前くらいの高さにしだれる桜並木!しかも密度濃く並んで、青空と相まってすごくきれいだった。

えっと、、
どっちに向かって歩こうかと少し悩んだけど、取りあえず白い山の見える北方向に進んでみた。

ファイル 1938-2.jpg

いやーこれは知らなかったなぁー。
平日だけど結構な人が歩いていて賑わっていた。
これは明日からの週末はかなり混み合うんじゃないかな。平日休みとった日に来れて良かった。思わぬ収穫。大金星。

ほんのちょっと進むとなにやら蒸気機関車があった。
C11型の小型蒸気機関車で説明は何もなかったけど、この路線を走ってた車輌なのかな。

この廃線になった日中線は昭和13年(1938)の開業で、元々は今市から米沢を結ぶ「野岩羽線」の一部区間として開通した路線だったそうだ。国道で言うと121号だね。

ファイル 1938-3.jpg

説明には「太平洋戦争やその後の社会情勢により実現には至らず」なんて書かれてるけど、、その121号でさえマトモに米沢まで通じる道が開通したのが平成に入ってからだから、構想だけで完成することもなく昭和59年(1984)に廃線になったのもムベナルカナ。無理矢理でも開通してたら東北中央部の発展の仕方も変わってたのかな?

さてウキウキでしだれ桜のカーテンの道を進む。
そううえば「さくらまつり」だけに、脇の道沿いに屋台の店が出てるところもあったけど、みんな歩いてて桜に夢中で買って食べてる人は余り見かけなかった。健全な花見だねw
これが週末で混雑して歩くのが大変になったら売れるんじゃないかな。

途中、公園っぽく木々の緑が増える部分もありつつ、抜けるとまた桜のカーテン。

ファイル 1938-4.jpg

これはまるで道の両側に滝が流れているような枝垂れ具合。
まるでモーゼか空海が割った海の道。いやいやそんな厳しさはなく華やな楽園の直線道。なんかニヤニヤしちゃう。

そして工場脇の一部だけは染井吉野の桜が白めの花びらを風に飛ばしていた。
その先が一番濃い「桜のトンネル」と表現されてた区間かな。
その先に覗く白い山にはピントも合わないくらいの勢いの桜に包まれた。
これはすごい。暖簾だ。コイン洗車機だ。
桜色のシャワーをくぐり抜けた。

ファイル 1938-5.jpg

濃い部分の先は少し落ち着きつつもまだまだずっと桜は続く。
落ち着いた気がしてたけど写真で見ると全然相変わらずの華やかさ。麻痺してきてたかもね。

そんな麻痺を緩和させるかのように、少し先には水仙の花が植えられて、ウエハースのようだった。


そして459号との交差点。
ここには横断歩道が無く、警備員が立ってて70m横の交差点に誘導された。ここらで引き返す人も多いのかな、その先の道は空いて静かに歩けるようになった。(ちなみにこの459号の場所に「会津村松駅」があったらしい。そっかこ459号って前はこの道じゃなくて狭い一通の別ルートだったっけ)

ファイル 1938-6.jpg

最後の区間を悠々と歩くと、散歩道の終点は唐突に途切れるように終わってて、とくに何もなかった。
広場になって休憩所や売店くらいあるかと思った。。
ここが喜多方駅から3km地点てことかな。随分歩いた気がしたけど1.5kmしか歩いてなかったのか。。(またその1.5km戻らなきゃだけどね、、タクシーでも待ってたらいいのに、、)

てわけで来た道を戻る。
意外と一度通った戻りの道は早く感じるもんだ。(立ち止まって写真を撮る回数が減ったからかもしれない)
途中でベンチで休憩しつつ、座った位置から見上げる枝垂れ桜とか楽しんだ。
んー、降りかかるように延びている枝垂れた感じは、やっぱ写真じゃイマイチ良く分からないなぁ、、撮り方かなぁ、、写真は難しいね。

ファイル 1938-7.jpg

戻ってみたら途中にチューリップも咲いていた。行きには全然気づかなかったw

駐車場まで戻って、更に喜多方駅方面へ、、、は、いいや。
運動不足だから少々疲れたw
でも、充分気分良く一時間チョイかけて3kmほどの花見散歩。
いやいやいやいや大満足。もう今回のドライブはこの先で楽しいトコに寄れなくても充分だわ。なんて思いながら出発した。

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