赤穂市加里屋にある赤穂藩の城跡の公園。
そう、あの赤穂浪士の赤穂である。
ところで赤穂というと、どうでもいい話なんだけど、高校生の頃に好きだった子の名が「赤穂」(読みは別)といったので、まだ余韻の残る若い頃はここらを通って道標に「赤穂」の文字を見るたびにキュンとしたりしてたもんだけど、歳とるとそんな潅漑もなく、むしろ思い返せば見た目と雰囲気が可愛いだけの面白味ない女性にこだわってたのが馬鹿らしく、今では逆に妙に小恥ずかしい気分だったりする。
そんなわけで赤穂は立ち寄ったことがなかった。 ので、今回は余計なことは考えずに素直に城に寄ってみた。
まず「清水門跡」より入城。割とあちこちに案内図が立ってたので解りやすく二の丸堀をまわってすぐに本丸門に着いた。
本丸門の門櫓をくぐると本丸庭園。
本丸御殿のあった場所には間取りが示された台になってた。
どーんとでかい御殿ではなく沢山の部屋の繋がった連格式の屋敷だったようだ。
その屋敷の縁側には池があってなるほど優雅な庭園だった。
そしてその脇に堂々とそびえる天守台。
天守は築かれなかったそうだけど台だけでも妙に立派。
登れるので上ってみた。
往時の城の南側は二の丸の先がすぐに海だったそうだけど、今は海は遠く、二の丸の森や城外のホテルなどで何も見えなかった。
そして北側はもう本丸を見下ろすだけの展望。
まぁ城址公園としての本丸庭園を見るには広く一面見渡せてイイ眺め。
そしてまた少し歩いて、立派に復元されてた厩口門から本丸を出た。
二の丸から三の丸に歩くと武家屋敷跡の広場が並び、中央の一角に「大石邸長屋門」があった。
かの大石内蔵助の暮らした屋敷の門である。門は閉まってた。
(中は大石神社になってるから神社から回れば見れたようだ)
そのお向かいに「近藤源八宅跡長屋門」というのがあり、こちらは中に入れた。
残っているのはその長屋門の一部だけだけど、江戸時代の質素な生活ぶりを想像できておもしろい。
城内で江戸時代から残る建築物はこの二つの長屋門だけだそうだ。
その先が大手門。
思いのほか質素な門だったけど、脇に再現されてた隅櫓と共に見栄えのいい城郭風景になっていた。
(でも、城外の御菓子屋の店舗の方が櫓風と御殿風な立派すぎる建物で困惑)
そういえばここまでの間に何回か見かけてた「櫓、、内部特別公開(無料)」とかいうのはここかと思ってたけど違った。。閉まってた。
まぁ中入って面白そうな櫓でもないので外見みて満足。
あれ?じゃあ入れるのはどこだ?と思い、「近藤源八宅跡長屋門」にあった案内所に戻って聞いてみたら、本丸の門櫓がそうだったらしい。ああ、よく読んだらちゃんとそう書いてあるじゃん。
ってわけで、もう一回本丸に戻ってみた。
ら、いつの間にかボランティアガイドの人がパンフ配ってたりしてて「櫓門内部公開してます」の看板も出てた。
さっきは来るの早すぎたのか。
この櫓門は平成に入ってから復元されたものらしいけど、そんな新しさは感じずしっとり落ち着いてイイ感じ。
まぁ眺めは目の前の城内だけだけど、正面の二の丸庭園は整備中で閉鎖されてるのが覗けた。
最後に「二の丸門跡」の案内板の裏に「かんかん石」というのがあるのに気付いた。
説明どおり、小石で叩くと「カンカン」といい音が鳴った。
けど、この石が城とどう関係してるのか、どこにあったものか、いつごろからあったものかとか何も説明なく、「で?」って感じだった。
さて、感想としては、江戸時代に建てられた近世城郭ということだけど、庭園がメインで立派過ぎるお屋敷という印象。
wikiとかで「外様小藩にしては過ぎたる城で財政を圧迫」と書かれてるのも然りと思えた。
年譜を見ると城が完成して40年で浅野氏改易。
忠臣蔵はあまり詳しくは知らなかったけど、浅野は浅野で問題あったように思える。
とはいえ、こうしてふらりと寄る城としては、余計なものがあまりなく本丸二の丸三の丸までの城郭の間取りと堀と石垣がちゃんとしてて城をたっぷり感じられる素晴らしい城跡。
歩いてて面白くいい散歩になった。