横手公園

横手市城山町にある城跡の公園。

横手城は東北では最も早く建てたという昭和の模擬天守のある城跡だけど、そう言えば一度も寄ろうと思った事はなかったねぇ。。

で、今日は珍しく横手で泊まったし、早朝の道は凍ってそうだから少しでも日が昇って気温上がってから出発したいとこだったので寄ってみた。

町の端の山にある城だけど駐車場は上にあったのでほとんど登らなくて済むありがたい城跡公園。(この駐車場のトコが真冬には伝統行事でカマクラ作られる広場らしい)

模擬天守は少しだけ石段を登る。傾斜もゆるく楽々でさすがに一気に登城。
その上は「二の丸跡」とあった。一番高い所っぽいけど本丸じゃないんだ。

このは天守など無かった城だから何処に造ってもよかったんだろうね。そう言えば東北では天守があったのは会津若松くらいで、天守代わりの櫓とかは幾つかあるけど、模擬とはいえこれほど堂々とした天守型建築物は他にないよね。昇ってきた朝日に照らされ始めた姿を眺めた。

この二の丸跡はけっこう広いけど展望は余り開けておらず、裏の池の公園の方が少し見えてたけどその先の山から昇った朝日が眩しくてよく見えなかった。
足元の土や枯れ葉はカチンコチンに凍って固まってて梅の花もまだツボミ、関東の感覚で言ったら二月の下旬くらいって感じかな。ひと月戻っちゃった。

少しだけ残雪もあり、東屋は閉鎖されてた。立ってた案内板が城の説明かと思って、見たら「小野寺氏彰徳碑」という石碑の説明だった。小野寺氏は奥州合戦の戦功でこの地方を得て後に横手城を築いて拠点としてた大名だけど、秀吉に削られ、家康に改易させられた。

二の丸はくるりとひとまわりして石段を下って下の広場で横手市街を展望。いい眺め。

遠くに鳥の群れが飛ぶのが見えた。北に帰る渡り鳥かな。ここらにしてはもう春間近なくらいなんだろう。

で、この広場は「武者溜まり」とあった。三の丸とかじゃないのね。本丸と二の丸の間の軍勢の集合場所だとか。
間ってことは二の丸の反対側が本丸ね。「大手門跡」の先に本丸の頂があった。大手門は多聞櫓と連続の門櫓だったそうだ。なんか多聞櫓は11基あったそうだ。ひとつくらい残ってればねぇ。

二の丸と同じくらいの高さの頂の坂を登って「本丸跡」。
少し林っぽく木が多い先になんか荒れてて廃れた感じの神社があるだけだった。

神社の名前かと思った石碑には「朝倉城跡」とあった。それが正式名称なのかな。
崩れそうな社殿を遠巻きに裏にまわってみたら、拝殿につづいてそうな本殿がまるっと無かった。何処かに移転したヌケガラなのかな。それならそれでなんとかすればいいのになぁ。

日が差してきてたけどやっぱり地面はカチンコチンに凍ってた。そんな中にフキノトウが生えてた。やっぱり少しは春のようだ。

本丸跡を下りて、腰曲輪みたいな周りを進んでみた。閉鎖された東屋のあたりは眺めよかったし、もう少し進んだら市街の東側も見えて泊まってたホテルも覗けた。こんな端だったのか。

そして裏側には本丸に上れる歩道橋の階段があった。え、こんな下り口あったっけ??まぁ閉鎖されてたけどね。

表に戻って、簾で隠された城跡公園の案内図とか恨めしくみつつ、雪に閉ざされた記念碑を遠目に見つつ車に戻った。
春の前のこんな時季だからか公園としても城跡としてもパッとせず、少々荒れた印象の所だった。

帰ってから調べた。
横手城(朝倉城)は室町時代に小野寺氏によって築城。内乱の攻防ありつつ関ヶ原の後に改易になって佐竹の城になった。幕末の佐竹は官軍側なので仙台と庄内に攻められて落城、建築物全部焼け落ちたそうだ。
戦場になった城だったんだ。そこら辺のことを詳しく現地で知りたかったなぁ。

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