1994/8/7 sun 九州ドライブ | ||||||||||||||||
〜324号〜本渡〜266号〜三角〜フェリー(三角島原国道フェリー)〜島原(火砕流を見る)〜57号〜長崎〜206号〜早岐〜35号〜武雄〜34号〜佐賀〜208号〜熊本〜57号〜大分(南大分のBH宿泊) | ![]() |
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少しウトウトはするものの結局寝付かれずに車中泊ヤメ。三角に戻れば朝になるかもと思って引き返す。でも同じ道通るのはイヤなので266号で上島の南側を走った。 | ||||||||||||||||
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上島南岸の266号はずっと海沿いの気持ちいい道。早朝から割と多くの釣り人が歩いていて活気があった。 走っている内に夜が白んで来た。 |
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↑266号、天草五橋の中間の大池島から、天草松島越しに登る太陽。
226号、大矢野島→ |
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始発の一時間前くらいに三角港に着いた。(始発は七時くらいかな?)少し港近辺を散歩した。
そして乗船。国道57号の国道フェリ−って割には小型で可愛らしい船だった。 ←57号、国道フェリーから三角港。 |
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57号、三角ノ瀬戸から266号の天門橋→
フェリーで寝ようと思ってたものの、どうもフェリーに乗るとワクワクして海を眺めてしまう。 |
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そして島原に着いた。 島原といえば当時まだ記憶に新しい雲仙普賢岳の噴火による大火砕流(1991〜95年。。新しいどころかこの頃まだ溶岩噴出停止してなかったんだ。。)の跡を見に少しだけ251号を走って深江まで往復した。 水無川流域は灰だらけの凄い景色だったけど、快晴だったから悲愴感はなかった。 |
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↑251号、安徳。大火砕流跡越しに見る雲仙普賢岳
251号から海方面の大火砕流跡→ そして島原に戻って、57号をドライブ。57号は雲仙に登る道。グングン登る。 |
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中腹に「火砕流後展望台」みたいな休憩所が作られてて団体客の集合写真用の台とか用意してあったけど、、不謹慎じゃないかな?(自分は棚にあげて)
雲仙は温泉だらけだった。道はしっかりしてたけど二桁国道のわりには細めですごいルートだなあと思った。そしてそのまま57号で長崎に出る。 長崎は狭い谷間に都市が所狭しと収まった不思議な町だった。ここも素通りして206号に出た。 |
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そのまま206号を走って202号と合流した西海橋あたりに大きなおみやげ屋さんがあったので立ち寄ってカステラを買った。 そして西海橋を渡るとハウステンボスが見えて来た。あ。ハウステンボスってこんなトコにあったんだ。。それまで知らなかった。もちろん素通り。 ←202号、ハウステンボス脇。 |
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そして早岐から35号に出る。この35号は佐賀県に入ると共に渋滞。武雄の市街だけ少し流れてそのまま34号も渋滞。やっとこさっとこ佐賀まで辿り着いて208号に曲る。 | ||||||||||||||||
柳川の水郷に前々から興味が有ったので、柳川でちょっと208号から離れ、市街の中心に出る。
町中を水路に沿ってぐるぐる走り回った。車からじゃ水郷の様子は見れなかった。(そりゃそうだ)でも取り敢えず流して走ってるだけでも味の有る気分いい街だった。 柳川市街→ |
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そして208号に戻りそのまま熊本まで走る。
熊本からは57号に出る。この57号の国道沿いのラーメン屋で熊本ラーメンを食べた。旨かった。僕は都内でうまれて初めて食べたトンコツラーメンは熊本ラーメンだったので、やっぱり九州のラーメンンなら熊本が一番好きだな。 この先は夕方の渋滞。阿蘇まで行く前に日が暮れた。もう一度阿蘇山が観れるかと思ってたけど残念でした。。 竹田あたりで車を停めて宿泊施設の本で大分辺りのビジネスホテルを探して電話した。そして南大分のビジネスホテルに着いたのは10時過ぎ。ここは造りも古くショボかった。ホテルのまわりも市街地だけど何もなく少し歩いたけどつまらなかった。もっと市街中心の方にすれば良かった。。博多のビジネスホテルが良すぎたから余計にこの南大分はショボく感じた。 |
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