で、加古川でマックした(※1)
この加古川や姫路は市街地が一通になってて、正確には大阪に向かわないと2号じゃないみたいだ
(※2)

さて天気もとても良く、道もスムーズでたまに柿の木が見えたりして、あー秋だねえなんて本当のんびりしててよかった。

※1:土地柄でいうならマックではなくマクドかな。
※2:国道をトレースして国道走覇!なんて喜んでた時期なので、こういうことにうるさい。

←2号、備前市三石
今はなき岡山県道1号との交差点。
あ、、道路標示が映り込みで見えない。。

↑2号、赤穂市有年辺りかな?
霧がモヤってキラキラ綺麗だった。
11/22 sun
 中国ドライブ
25号〜天理〜24号(追突事故)〜京都〜367号〜上中〜27号〜小浜〜162号(西名阪経由)阪神高速〜西宮〜43号〜神戸〜2号〜尾道〜尾道大橋〜向島317号県道で島を廻る)尾道大橋〜尾道〜2号〜広島〜54号〜松江〜9号〜京都〜1号〜岡崎〜東名高速(浜名湖S.Aで車中泊)
〜当時の記述より抜粋〜

6時に目が醒める。特にこの先何方へ行こうか考えてなかった、紀伊半島を走り回っても良かったし、大阪,神戸あたりブラブラしててもいいし2号を行ける所まで行くのも良かった。そのどこでもいいや状態で25号からそのまんま西名阪に乗って阪神高速に乗る。

阪神高速から見た通天閣→
思ってたよりずっと小さかった。。

この二年前の四国の帰りに乗って以来二度目の阪神高速だけど、相変わらずどういう道に成ってるのか知らずに乗って、地名も何も分からず、結局知ってる地名の尼崎,神戸方面に走った。目的地を決めてない者には都市高速は不向きである。走りながら地図なんか見れないしね。

西宮の「この先別料金」でおりて43号を走る。 〜中略〜 んで、神戸で2号になってから、ずっと2号えんえんとコースでのんびり走った。 というか此方は朝で道がガラガラでもみんな60kmくらいで安全運転してるもんで必然的にのんびりになってしまった。東京と違って生活に時間的ゆとりがあるのだろうか?
岡山に出た。岡山から先はこの時初めて走る。

2号、岡山市街と路面電車→

岡山といえばやっぱり殺人事件(※3)である。金田一耕助と磯川警部と田舎の駐在さんと古びた家というイメージだったけど、当然そんな雰囲気があるわけもなく、特に何もなかった。

※3:横溝正史の推理小説で岡山が舞台のものが多かった。

此処らでフィルムがきれたのでコンビニに寄ろうと思って気付いたけど、中部,関東や東北に比べても此方の方は国道沿いにコンビニが殆どない。朝早くとか夜遅く行動しない人々なのだろうか(※4)

※4:国道沿いにはタマタマ無かっただけかもしれないけど。。JR山陽本線もすぐ脇を走ってるような区間なので、全然ないのが不思議だった。東北より全然田舎って気がした。

昼すぎて広島県に入って福山まで来てやっとコンビニがあった。

福山から少し走ると、巨大なクレーンが見えた。尾道造船所のクレーンだった。造船所は赤煉瓦の壁でレトロだった。

←2号、尾道市山波町。
クレーンがデカい!
over! 尾道造船所の変電所の赤煉瓦。

そういえば尾道は大林宣彦の映画で何度も見てた町だって事を思い出し、この先暫く映画のイメージで走る事に成る。

大きな橋がかかってたので地図で見ると因島(※5)に渡れる橋で、150円なのでせっかくだからと思って渡った。
橋の上からの眺めは良かった。尾道の町や小さな港が一望出来た。

2号、尾道大橋の袂→
尾道水道越しに尾道市街が見える

※5:因島ではなく「向島」。ずーっと勘違いしてる。

因島(※5)に渡ってからどこか展望のきく所でパノラマ写真を撮りたいなぁ。と思ったものの高見山という山の上にも展望する所はなく(※6)(ホテルにでも泊まれば別だろうけど)結局一周してまた橋を渡り戻る。

※6:いやいや高見山の頂上には360°見渡せる素晴らしい展望台が有るそうだ。
この日はどうやら道を間違えて、高見リゾートホテルへの道に行ってしまったようだ。すごく残念。

↑ミラー越しに瀬戸内海が見えた。
あれが因島!

みかん狩りって始めて見た↓

↑向島の西岸の御幸瀬戸
川みたいだけど島に挟まれた海。釣りをしてる人が多く長閑だった。穴のあいた岩が面白い。
因島(※5)も尾道も走り回ってみたら何となく同じで「高校生が自転車で坂を登っている」そんな感じの所だった(※7)。忘れられた心の片隅の輝かしき呪わしき青春を封じ込めた(※8)取り残された町という雰囲気でなんか不思議な感じがした。

※7:見覚えのある所ばかりだったのでかなり大林映画の印象にひたれた。
※8:その大林映画はわりと好きな方だけど、あまり青春青春言ってるのも囚われ過ぎで呪わしく妄想的に感じる。

まだ時間は2時頃だというのに伸びた西日の黄色い光が、尾道の(勝手な)イメージを誇張した(呪わしき望郷感という)気分を引きずったまま広島に向かう。

三原、東広島と渋滞して広島には4時過ぎの夕暮れ時に着いた。

この前の晩のラジオドラマでカンボジア難民の反乱軍と共に戦う孤児の物語りとか聴いたせいもあって少々戦災センチに成ってたのかどーだか、広島は夕暮れの雰囲気も手伝って妙に気持ち悪かった。
一瞬にして死滅した都市というのが胸に重く怖かった。この死滅の象徴の原爆ドームってどう捉えたらいいんだろう?逃げるように素通りして54号に折れた。
↑54号から原爆ドーム。
ちょうど夕陽を背にして不気味さ満天。

←54号広島市街。
なんか路面電車があると必ず写真撮ってるような。。

そのまま54号を走って広島市街を抜けた。市街を抜けるとすぐ田舎道で気分的に癒された。でもすぐに日が暮れて真っ暗になった。

この日はここからもスゴい。のんびりラジオを聴きながら夜の54号を宍道湖まで抜けて9号を走って、その夜のうちに京都を抜ける。激しさはないけど絶好調って感じ。9号の鳥取からは一度通った道なので勝手知ったるっていうかなんというか気楽だった。
京都に出たのが12時半。夜中の京都はやっぱり暴走族みたいなのが張り切ってた。。そして1号に出る。

そうそうこの日はじめて山科で天下一ラーメンを食べた。まだ東京に進出する前だと思う。初めて食べた天一のコッテリに驚いた。なんじゃこりゃ。完食したけどあまり好きになれなかった。。

さてもうお馴染みの1号をずっと走る。で名古屋も越えた頃にはさすがに疲れて来た。

そんなわけで岡崎まで来る「もー月曜日は早く帰ってのんびりしよー道も混みそーだし」と思って東名に乗り浜名湖S.Sで一睡する。これが4時。


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