1992/5/30 sat 南紀ドライブ
松戸〜県道〜三郷〜首都高〜横浜〜1号(各バイパス経由)〜豊明〜23号〜松阪〜42号〜朝来〜311号〜本宮(川湯温泉泊)
友達がウチに12時に来て出発。今から思えば、友達は船橋市なのでどこかで落ち合った方がいいような気がする。。
三郷から首都高に乗り横浜まで走って1号に出るお決まりパターンで西に走る。

この日はこの4月に無料化されてから始めての新富士川橋を渡った。走った事のある有料道路が無料化されたのは始めてだったのですごく嬉しかった。
藤枝BPはケチって敬遠。掛川,磐田は払って、ギリギリ6時前で半額だった浜名BPも走る。(まだこの時期は藤枝,掛川,磐田の夜間割引がなかった)雨の浜名BPは始めてだった。

愛知県に入ると振ったりやんだりだったけど、豊橋すぎると土砂降りになった。豊明から23号に入り名古屋市内に入ると小雨になった。名古屋は丁度8時でやや通勤渋滞。名古屋抜けて道が空くのに合わせて雨もやんだ。

四日市も津もスイスイ通り抜け、松阪で42号に出た。42号は走り易い田舎だった。

〜当時の記述より抜粋〜

暫く走ると山の中である。山はごらんのとーりモヤがかかってて
かっこよかった。
〜中略〜 大きな峠っぽいのを越えた辺りから海が見え始めて、お、そろそろ海に出るぞと思って走ったらまだまだ山道だったり、雨がやんで、お、そろそろ晴れて来そうだぞと思って一つ山越えたら小雨が降って来たりで「あっさっき通過した雨に追い付かれちゃったかな」なんて話しをしてた。

↑42号、海山町中里。
走っている自分の車の写真が写してもらえるのが嬉しい。

尾鷲のホームセンターでトイレ休憩。バスタオルがなかったのでついでに買おうと思ったけど置いてなかった。。

ここから先はトンネルを抜ける度に天気が回復。気がつけばすっかり晴れて快晴になった。

晴れ出した途端にはしゃぎ出したマー助(※1)。サンルーフから顔出してみたり「ひとりハコ乗り〜」(※2)とか言って写真撮ったりしてた。俺はサーカス団で働いた事ないから(※3)そんな芸はないけどとりあえず腕出したりしてた。しょーがねぇ連中である。

※1:友達の呼び名。
※2:安全運転義務違反だよね。。(^_^;)
※3:運動神経のいい友達を茶化して「実家はサーカス団でしょ」なんて言ったりしてた。

↑ミラー越しに後続車。「ひとり箱乗り」
 
over! その時写してた写真

この先はしばらく海岸を走る。で、気が付いたのは、此処等の浜は灰色だった(※4)。なんだろ。白くなくてもいいからダークイエローであって欲しいもんだが。

ミラー越しにたまには自分も写してみた↑
車載用の「サムライ」というカメラ。懐かしい。

※4:七里御浜。「御浜小石」と呼ばれる玉砂利の海岸だそうな。。河原みたい。

ずっと休憩もせずに42号をぐるりと周った。途中しばらく遅いタンクローリーに前を遮られてイライラ。でも何とか追越せた。

42号、紀伊姫から見た橋杭岩→
正面から見るとキチンと並んでて面白い。

上富田から311号に曲がる。

しばらく行くと3桁国道らしく途端に道が狭くなる。ところがこの311号は道がキレイ(舗装がキチンとしてる)しかもおにぎりマーク(※1)がちゃんと要所要所安心するくらいに置いてある。なんと親切な3ケタ3ビャク(※2)だろう。和歌山のイメージ(※3)が変わった。で、この311号は古くからある山道だそうで、そういった道標(※4)もあった。おかげで予定通り4時前に宿に着いた。
※1:国道マークの事。
※2:三桁の国道の中でも特に300番台は酷い道が多い印象が強かった。
※3:その時までは、吉幾造の「おら東京さいくだ」の歌詞にあるような田舎は果たしてあるのかというTVの企画番組で和歌山県のあちこちの山村が紹介されたのを見た時のイメージだった。
※4:「熊野古道」の道標の事。現在ある歴史国道という規格は当時はまだ制定されて無かった。
というわけで本宮町、川湯温泉の旅館に泊まる。夕方についてドライブ終了。まだまだ明るいから少し走り足りない気もするけど、もう温泉モードでのんびりした。(友達は僕が風呂入ってる間に軽くひとまわりして来たみたい)

この温泉は目の前の川の河原を掘ると湯が沸き出すという温泉。試しに掘ってみたけど、、人が入れるくらい掘るって事を考えると大変な事で、面倒臭くなってヤメて旅館が掘って用意してある風呂に入った。
夜、酒飲んでから再度入ってたら、後から来たオバちゃん達に囲まれてしまった。。


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