352号、車の窓から見る海水浴場↓→
これは泳いだとことは別の海岸。
どこだろ?
こうして何気に眺める賑やかな海岸も、一風景としては悪くない。テントはヤだけど。
1992/8/15,16 sat,sun 新潟ドライブ
1日目
松戸〜県道〜三郷〜首都高〜高井戸〜都道〜青梅〜411号〜甲府〜20号〜塩尻〜19号〜長野〜18号〜上越〜9号

2日目
〜新潟〜116号(県道経由)〜間瀬〜402号〜柏崎〜116号(県道経由)〜出雲崎(海水浴+仮眠)352号〜長岡〜351号〜栃尾〜290号〜入広瀬〜252号〜只見〜289号〜田島〜400号〜小川〜291号〜取手〜6号〜松戸

この年は数台の車でツルんでドライブする事が多く、自分の車を出さないで海水浴に行ったりって事もあって、その反動か、ホントに1人でドライブする時は思いっきり気侭に走ってた。この日もかなり適当気侭にドライブ。

1日目

なんとなく以前食べた奥多摩のヤマメ丼を思い出し、奥多摩に向かう。

モロお盆時で大渋滞してたけど目的地がないから御構いなしで、トロトロと渋滞に混ざってラジオ(文化放送「伊東四郎のあっぱれ土曜ワイド」なつかしー)を楽しみながら青梅街道を走る。

奥多摩湖を過ぎると道が空いたので気分よく駆け抜けてるウチに柳沢峠まで来てしまい、結局ヤマメは食べずに通過した。

愛宕有料トンネル(現在は無料)で甲府市街を抜けて韮崎手前で20号に出た。

↑411号、柳沢峠からの下り。富士山が見えた。
〜当時の記述より抜粋〜

20号に出る手前で「20号諏訪方面8/15、花火の為渋滞」と出てたので、今から行きゃ少しは見れるかなと思ってわざわざ諏訪に向かう。で、やっぱり交通量は多く諏訪には9時頃到着。最後のあたりがちょっとだけ見れた。

その後もフラフラとラジオ(「松任谷由美のオールナイトニッポン」とか)を聞きながら、何も考えずにひたすら走った。
で、そのまんま寝ずに新潟まで走る。

2日目

夜通し走ってて夜白み始めた頃にはガソリンがなくなって来た。が、当時の新潟県内、24時間のスタンドがまるでなかった。

困りながら116号を走ったら(※1)早起きのじいさんがたまたま開けたっぽかったスタンドがやってたので命からがら入った。助かった。

※1:どうせヒマだからタマにはガス欠でもいいかなって気もあったりして

↑ミラー越しに朝靄の田圃。
over! 燃料の心配が失せていい気分の爽やかな朝。
さすがに寝ないのはキツイから何処かの海岸で甲羅干しがてら寝ようとか考えて、89年の夏に来た田ノ浦海岸という素朴で好印象の海岸に再び来てみた。。ら。。
見ると浜はアウトドアーファミリーだかなんだかのテントでびっしり占領され尽くしていた。そしてテントの間にはバーベキューの後とゴミの山(※2)

※2:楽園喪失気分、かなり幻滅。

ちょっと良さそうな小さな海岸はみんなテントが群生してた。

もう海はやめようと思ったり、いやせっかくだしと迷いながら325号に出て柏崎まで来て8号116号でまた出雲崎まで戻って来た。

で、結局普通の海水浴場が一番無難な気がして出雲崎の手前の石地海水浴場で軽い海水浴&甲羅干し休憩。「気侭」なわりに水着の用意はちゃんとしていたりして。

うれしかったのは普通の砂浜なのに股くらいの水位でも砂の模様が読めるくらい水がキレイで、やっぱ日本海ずらぜ(※3)。で、潮に浸かったり女の子のおしりを見てたり(※4)で10時半までのんびりして人が増えたあたりであがった(※5)

※3:「〜ずら」というドカベンの殿馬の方言は新潟の方の言葉だと聞いた憶えがあった為引用した。
※4:23歳にして胸より尻に目が行くなんてジジ臭い。。。
※5:結局ほとんど寝てない。

その後も少し先で車を停めて海眺めたりしてのんびりした。
本当は車で少し寝ようと思ったけどエアコンの効きも怪しいくらい日射し強く、それどころではなかった。

日本海とCR-X→
over! 無限のステッカー貼ってやんの。。

あとは長岡を抜けて351号で栃尾に出た。
栃尾の商店街は殆どの店が休みなのに、まだ七夕の飾り付けがくたびれながら残ってて、人通りも無く熱い日射しとのコントラストが妙に寂しかった。

←351号、栃尾市街。笹の葉カラカラ。

そして只見から田島に抜けて西那須野に抜けて294号に出る。

そのあたりで夕焼けになった。夏の終わりの夕暮れは何故か涙が出そうなくらい感傷的になりがちで、死んだ両親の事なぞ思い出しサンチマンタリスムにひたりながら帰って来た。(お盆だしね)
ちなみに

この日「田ノ浦海岸」という「思い出の海岸」を喪失したかわりに、次の週に友人と(友人の車で)行った「笹川流れ」が新しい「思い出の海岸」になる。何だかんだ言ってやっぱり新潟の海は好きだな〜。