1991/9/16 mon 鳥取からドライブ
鳥取(鳥取砂丘観光)9号〜京都〜1号〜大津〜名神高速〜春日井〜19号〜恵那〜中央道〜諏訪〜20号〜下諏訪〜142号〜佐久〜254号(大渋滞の為Uターン)〜佐久〜18号〜高崎〜17号〜前橋〜50号〜佐野〜東北道(首都高経由)三郷〜県道〜松戸
翌日は、振り替え休日の月曜日。

〜当時の記述より抜粋〜

朝は6時すぎに出発して鳥取砂丘へ行く。天気のせいか砂は湿っていた。でもサラサラで細かくてきな粉みたいだった。特にどうという事も無かった。すごいというほどのもんでもないし、特別な感じは持てなかった。 〜中略〜 ここはさすがに朝の7時から土産屋が開いていたので土産を買って展望台登って見て出発。

↑鳥取砂丘。妹 over!

←展望台からの眺め。
なるほど緑地化が進んでるって感じ

↓砂丘海岸。後ろに見える山は駟馳山

少しのんびりして出発。砂丘街道というのを走ってみたけどずっと林の道だった。途中に砂丘海岸というのがあったので寄ってみた。砂丘の砂でサラサラだけど普通の海岸でゴミがおちてた。。
そして9号で京都に向かう。この時の9号の朝の感じがよくて印象深い。

谷間の村って感じがすごく良かった(※1)。天気も快晴になり、朝日がいなかの村に降りそそいでいた。写真を撮りたかったけど逆光だった。 〜中略〜 このごろいろんなTYPEの田舎を見て日本は一部を除いて本当に田舎なんだなとおもった。

※1:この頃の9号は今とルートが違うのか、今通ってもどのあたりでそう感じたのか判らない。たしか石垣で少し道より高く成った家並の間の上り坂の道があったはずだけど、、、記憶違いかな??

ループ橋を下って和田山を過ぎると車が増えて来た。

福知山を過ぎた辺りで怖い事が起きる。俺の前を走ってた大阪ナンバーのすごいオンボロなトラックの後ろのバンパーがいきなり外れてガランゴロンと転がり落ちた(※2)。いやあー車間あけてて良かった。対向車もいなくてよけられて良かった(※3)。あーおっかなかった。

※2:このトラックはパッシングしてもクラクションならしても全然気付かずにそのまま走って途中で曲がっていった。(つまり逃げた)
※3:後ろの車はついてこなかった。停止したか被害受けたかどうなったかは知らない。

↑9号、八木町付近。
なんか電車に抜かされるのが悔しい
さて9号は京都まで走った。京都はすごく天気よかったものの嵐山も清水も渋滞と人込みで駐車場も満車。仕方なく通過。妹が「何か、お土産だけ買いたい」というので時間の短縮も兼ねて大津より高速に乗りS.Aで土産を買わす。

一度乗るとどこまででも追越して駆け抜けたい症候群に囚われてしまうけど、高速でこのまま帰っちゃつまらないので名古屋(春日井IC)で降りて19号を走る。けど渋滞。ずーっとトロトロだった。

で、妹がイライラして「コーソクコーソク」とうるさいので恵那からまた乗った。諏訪で降りて下諏訪から142号に出る。

142号下諏訪郊外→
中山道を和田山峠に向かう谷間の道

佐久からの254号はエライ渋滞で全然動かなかった。内山トンネルを入ってから抜けるのに30分。出てからも更に動かず濃い霧の中50分我慢したけど、さすがに堪えきれずUターン。佐久に戻り18号を走った。

こっちも多少混みながらも動いてたのでUターンして正解。(当時まだ有料だった)碓氷バイパスも凄い霧ながら列はちゃんと動いてた。

そんなこんなでやっとこさ高崎に出た。この渋滞を抜けた後に思った事は「なんでわざわざ高崎に向かってたんだろ(※3)

※3:いやいや多分どっちから回って来ても大渋滞はしてたんだと思うよ。連休ラストだし。

そして50号にでて佐野から東北道に乗る。(こっちの方がわざわざって感じ。多分妹がうるさかったからだと思う)
で、二時に家に着いた。


おしまい
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