1990/1/1 mon 伊勢ドライブ
松戸〜6号〜東京〜246号経由)東名高速〜豊川〜151号〜豊橋〜23号〜伊勢(伊勢神宮お参り)

167号〜賢島〜志摩パールライン〜鳥羽〜伊勢湾フェリー〜伊良湖〜259号〜豊橋〜1号〜横浜〜首都高〜三郷〜県道〜松戸

元旦0時に友達乗せて出発。用賀から東名で豊川まで走る。なんでこんなトコでおりたのかを考えると。。23号をずっと走りきってみたかったらしい。

〜当時の記述より抜粋〜

豊橋で23号、少し走ると元旦名物の暴走族(※1)。これうるさいしトロトロだし迷惑甚だしい。もっとスピード出して暴走して欲しいもんだ。こんなんじゃチンドン屋とかわりゃしない(※2)。この暴走族とは蒲郡まで御一緒させていただきました。
23号はこの先異常に狭くなる
(※3)。これ本当に2ケタ国道かよ信じらんねえなぁという感じの狭い田舎道でなかなか楽しい。西尾に出る所で道に迷う(※4)。30分くらい損する。

※1:前の年の元旦も暴走族だらけの状態を味わってた。
※2:ビビ
ってたくせに。。
※3:いまだにこの区間はバイパス未開通。初めて通った時は寂しい道だった。
※4:この頃はまだ23号バイパスが矢作川を渡っておらず、西尾市内の国道ルートが非常に分かりづらかった。

バイパスに乗ってからは楽だった。けど、名古屋でチラチラと雪が降り出した。慌ててスタンドでチェーンを購入。(でも実はこのチェーンはサイズ合わない事が1年後に判明)雪はすぐやんだ。

三重県に入った辺りから天気がよくなって来た。四日市辺りで日が昇った。併し四日市はすごい。正月から工場煙はいてる。〜中略〜やがて伊勢へという所で混み出した。全然動かないので途中わき道にそれて、小さな神社で小便をした(※5)

無事伊勢の内宮に着いた。九時を過ぎていた。
〜中略〜
 お参りした。さすが伊勢神宮だけあって広かった。お神酒をついでくれるバイトのねえちゃんは えれえかわいかった。酒は醸造酒(※6)だった。そういえば着物のねえちゃんは殆ど見なかった。(※7)

※5:あ、こっちの神社が初詣じゃん!
※6:家では純米酒ばかり飲んでた。生意気な20歳だった。
※7:元旦から着物なんて都心くらいなもんだろ。。

このあと志摩方面をドライブ。167号を賢島まで走った。
このころは国道を起点から終点まで走りきるのが楽しかったようだ。
賢島は来てみて地図見て初めて島だって事に気付いた。今から思えば初めて渡った離島って事になるな。。特に景色眺められるトコもなくピンと来なかった。

そして志摩パールラインという有料道路(現在は無料開放)を走る。このあたりは、コンソールにガムテープで固定した8mmビデオカメラ(ハンディカム初代機)で撮影しながらドライブしたけど、如何せん正面しか写せないのと揺れがひどいのと会話がアホ過ぎてとても見るに耐えない映像でガッカリだった。。

ここらの海岸線はなんか人造湖のように山肌が海に沈んで行ってるようなリアスっぽい海岸で、まわりにある家が海と密接に接触して建ってるような感じがよかった。特に麻生の浦大橋という所が良かった。

そして鳥羽に戻ってフェリー乗り場に行く。フェリーに乗る車は多く整理券が配られた。まだ二時だというのに乗れるのは五時頃と聞いてさすがに友達もブーたれてた。
ここで昼食に「味噌カツ定食」を食べた。初の味噌カツで初の黒味噌の味噌汁はイマイチだった。。
そして初フェリー。

予定より30分くらい早い船に乗れた。俺は自分の車と一緒に船に乗って移動するというのが異常に楽しくワクワクしてた。

船の中でも落ち着かず、客室から出て下の自分の車を見に行ったり、外を見て写真をとったりしてた。たまには船に乗って水平線の彼方を見てるのものんびりしていいものだ。途中で日も暮れて島々の燈台の光や家の光がキレイだった。

↑鳥羽のフェリー乗り場
↑乗船中のCR-X
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伊良湖から259号で豊橋に出る。あ、そうか259号を完走したいから海上区間のフェリーにも乗ったのか
そして豊橋から1号を延々と走る。

この辺りのコンビニエンスストアーは「K」『さあくるけえ』というやつばっかでどこらへんから「7」『セぶんイレぶん』の地域になるか観察してた。結局箱根を越えるまでは「K」が強かった。関東に入ると断然「7」に成るが、神奈川県内にもいくつか「K」があった。

でもさすがに横浜で疲れて首都高に乗って帰る。
家に着いたのが二時前。
全然寝ないでよく走ってたもんだ(若さだね)