1988/10/16 sun 富山ドライブ
松戸〜6号〜柏〜16号〜大宮〜17号〜高崎〜18号(途中野尻湖回遊)〜上越〜8号〜富山(市街をドライブ)8号〜高岡〜160号〜七尾〜159号(県道経由)〜氷見〜415号〜高岡〜県道〜富山〜41号〜名古屋〜1号〜東京〜6号〜松戸
たいして金も持たずに日帰りで思いきり行けるトコまで行ってきたドライブ。
だいぶ運転に慣れてきて無茶をし出した最初の長距離(今の感覚なら中距離)ドライブ。金が無いから下道でずっと走った。
家を出たのが夜中の12時。高崎から18号をずっと走る。

長野を越えて夜白み始めると、荒削りな感じの妙高山が見え対照的に靄って静かな野尻湖が見えたのでちょっと寄り道。湖畔を一周してみた。

←朝の野尻湖畔
湖面にモヤが立ってて神秘的
前の山が妙高山

18号を上越まで走り切ったのが7時半。丁度開いたばかりのマックのスルーに入る。ハンバーガー食べながらドライブするのにも慣れて来てた。

上越からは8号を西に走った。

〜当時の記述より抜粋〜

で、上越から西に向かった訳です。この先はずっと漁村で道はしっかりしてて天気はいいし海岸の眺めはいいし潮の香りがいい。地元の「軽」が邪魔さえしなけりゃ最高のドライブだった。そーいえばあのあたりは異様に「すばる」の車が多かったな。もう「れっくす」だらけでやんの。  まあその邪魔な「軽」も糸魚川のあたりで去り、この先が凄い海岸の崖っプチ。絶壁をくりぬいたトンネル(※1)。絶景かな。
〜中略〜 親不知のところなんか高速からの眺めがすごいらしい(※2)けど下から見る高速道路の壮大さっつーか「まあよっくこんなもん造ったなあ」という風に見上げる感覚がいい。

※1:正確には洞門。
※2:当時、部屋に道路の景色のカレンダーを飾っててそこで見てた景色の事。

親不知の景色には感激した。あの長い洞門も絶壁の雰囲気抜群で楽しかった。ばっちり日本海のイメージって感じ。漁村の民家の黒く艶のある瓦屋根も印象的だった。
逆に富山県に入って海沿いを離れると、しばらくつまらない道が続いた。
富山には10時半に着いた。

んで富山でめっけためずらしいもの「市電!」(※3) 〜中略〜 東京でも30年前くらいはこーゆーのがうようよしてたんだなと思うと、なんかその時代の映画の中に飛び込んでしまったような気がして車でずっと線路を辿ったり電車をつけて行ったりしてはしゃいでしまった。なんつってもあの電車のボロッちいこと。隣走ってるとうるせえうるせえ。それがまた楽しかった。

※3:都内にも路面電車はあるけど、一般道を車と共に走る区間は短く路面電車味が薄かった。そういう意味で路面電車が行き来する年を走るのは始めてて新鮮だった。

富山を出て、まだ午前中で時間あったのでちょっと能登半島に向かう。
160号で七尾まで行って給油。日曜日で休みのスタンドだらけで焦った。っていうかそれ以上に満タン給油して残った金が少ない事に気付いて、さすがにこれ以上進んだら帰れなくなると思い159号で引き返す。
でもこの159号は金沢に向かう道だと気付いて途中で県道にまがった。この県道は荒山峠をこえる道で半分以上未舗装だった。。

そして富山に戻って41号に出る。
41号は高原川に沿った渓谷の道。川があまり見えなくて不満だった。(この区間って割と川見える道だと思うけど。。この時は不満だった記憶がある)
高山手前でスゴい渋滞。。にもかかわらず名古屋まで走りきる(何故?)

名古屋に出たのは8時頃。
残金を計算して少し給油。吉野家で腹ごしらえして1号に出たのが9時。。
で、そのまま延々と1号で帰る。若気の至りでなかったら走らない道程だよ。。

で、家に着いたのが翌朝の6時。
正確に言えば日帰りじゃあ無いけど、寝ないでドライブしたので日帰りのつもり。家に着いた時の所持金が30円という際どいドライブ。(まだカードも持って無かったし)。。。若かった。

この日の消費は、
碓氷バイパス
(当時は有料)で¥150。
上越でマック¥560。
七尾で給油33.5Lで¥4690
名古屋で吉野家牛丼大盛
(当時の価格不詳)
+給油10L¥1122
新富士川橋
(当時は有料)¥100
横浜新道¥100

これで残金¥30って。。。
牛丼だけは領収書残ってないけど、¥500?と考えても¥7252しか持ってなかった事になる。。
名古屋ではギリギリの計算をしたんだろうけど。。大盛り喰うか!(^ ^;Δ