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名護屋城跡

唐津市鎮西町名護屋の204号沿いにある城跡。国特別史跡。

今までも何度か通過してたけど、ここはたっぷり時間あってゆっくり歩けるようなときじゃないと寄れないよなぁ、、来るのは難しいかなぁ、、と思ってたので今回みたいな長い連休でこそ来たい場所だった。

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この名護屋城は秀吉の大陸進出の大本営として築城され使われた城。
そして秀吉の死後に廃城になり徳川に破壊棄却されつつ利用されないように閉ざされてたそうだ。なので当然現存の建築物は無い戦国時代最末期の城跡。
更にやっぱり朝鮮出兵という大失敗と思われる歴史の為かあまり目を向けられにくい国特別史跡。歴史好き城好きでなきゃ面白くはない所だよね。

で、取り敢えず適当に歩き回るつもりだったけど、20分後の1時から参加費200円でガイドツアーがあるというので参加することにした。
取り敢えず受付して観光案内所前の大手門口広場で案内板読んだりして待った。

で、1時から開始。参加者は8人ほど(数えたわけではない雰囲気的な人数だけど、、)
ガイドのおじさんの話を聞きながら歩いてまわった。

大まかなとことしてこの城の見所は石垣であり、徳川時代に破壊されたままの跡だそうだ。なるほど角という角はことごとく崩されていた。

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そして石垣の石は普請した大名に寄って積み方も石も違って個性があり石垣ファンにはたまらない遺跡だそうだけど、僕は石垣についてはシロートなのでそそられはしなかった。

登城坂を上り東出丸で呼子湾と呼子大橋方向を眺め、三の丸へ進んだ。
この三の丸は林の中の広い曲輪。真ん中に井戸がポツーンとあるけどガイドは時間の関係で本丸に進む。
ここの城は本丸大手口は三の丸にあって、裏側にある二の丸からは本丸には直接行けないという不思議な構造になっている。こっちが三の丸と二の丸が逆なんじゃないかと思うけど間違っていないらしい。

そして本丸。かなり広い。そしていい眺め。
真ん中にある名護屋城址の石碑は東郷平八郎の字だそうだ。
天守台も広く、当然の事ながら往時は立派な天守閣があったそうだ。
この天守台でガイドツアーは終了。45分間の分かりやすい話で楽しいガイドでした。

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眺めは正面に呼子湾と呼子大橋、加部島から加唐島などの島々が見え、手前の町はどこも陣屋跡。
そして北側には足元に四角い遊撃丸跡の曲輪があり、その先が波戸岬で森だけどほとんど陣屋跡。陣屋ってどんな感じだったんだろうか。

あとは自由にフラフラ。多門櫓跡に隅櫓跡、旧石垣などを辿りながら本丸の隅を歩き、裏の二の丸から通路のような馬場を見下ろした。
そして大手口は通過して本丸北門跡に進んで水手口に下ってみた。
細めの下り口の下は二重の石垣が見えて立派だったけど、どうやらここから水手曲輪には行けないようなので一旦三の丸に折り返した。

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そして南側の二段の石垣の中間の廊下のような馬場跡を通って二の丸跡へ進んで遊撃丸跡へ歩いた。
なるほどこの遊撃丸というのは明国の講和使節が滞在した所。天守台の真下で城を立派に見せ威厳を知らしめるための場所って感じがした。ああ、それでその隣が二の丸って事か。
ここはしばらく石垣の上を歩けて胴の短いトンボ(ハラヒロトンボ)や白いキノコ(ハラタケ?)を見ながら一回りした。

その裏にまわると水手曲輪への段があった。けど、この曲輪は袋小路でやっぱりどっちにも進めず仕方なく来た道を戻った。

二の丸跡は合坂という上る石垣(崩されてて登れないけど)をずっと見ながら外側から通過して弾正丸からの南の森の陣屋跡方向を眺めて、搦手口から下った。

この搦手口は意外と広い口で、シジミチョウにまとわられながらゆっくり下ってみたら下の道はマイナーな暗い道だった。

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馬場の下の石垣を見ながら溜池に進んで大手口広場に戻った。
こんな城内だけのひとまわりだったけど(天守台から)一時間ほど歩いて、天気も回復してて暑くて汗だくになった。
元気な人は此処から陣屋跡とかも歩くのかなぁ。。

僕はそこまで興味ないので冷房効いてそうな名護屋城博物館 だけちょこっと見て終わりにしようと思った。(無料だし)

けど、中に入ったら大きなジオラマ模型で名護屋城と城下の湾口まで細かく再現されてて見入ってしまった。
とくに城内は歩いてきただけにその大きさを把握しつつじっくり見れた。

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なるほど水手曲輪は出丸でやっぱり袋小路なんだ。水手口とは段が違うんだ。
二の丸は三の丸より広く城下からすると正面なんだ。
搦手口は本当に裏口なんだ。とかとか。

ジオラマをじっくり見たぶん他の展示はサーっと流して見て歩いた。
その中で足が止まったのはやっぱり模型。
朝鮮出兵の日本軍の船「安宅船」の10分の1模型。
櫓が乗ってる変な軍艦。なんとなく知ってはいたけどこうして立体物を見ると珍妙で面白い。艦橋は城だとは思うけどホントに城ってww
対する朝鮮軍の船は「亀甲船」
これはこれでアンギラス。強かったそうだけど戦闘時以外は鬱屈しそう。

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それと、陣屋のジオラマもあった。お屋敷みたいな感じなのか。もっと砦っぽい感じかと思ったけど、そっか長期滞在するわけだもんね。
いきなり作った城でいきなり作った城下町。10万人以上が集まってたって当時にしてはものすごいことだよね。
そして秀吉の死で一気に廃れたさまは哀愁なんてもんじゃないよね。きっと。

という風景まで想像しつつ博物館を出て車に戻った。

タグ:観:城 観:石 観:史 観:橋 観:館 観:模 景:海 景:島 楽:話 楽:眺 楽:歩 植:茸 動:虫

七ツ釜

ファイル 2535-1.jpg唐津市屋形石にある海食洞の景勝地。

予備知識なく案内見て何となく来てみたけど、まぁ名前から7つの洞窟があるようなスポットだろうと想像していた。
けどまぁ駐車場から見下ろした海岸にはそういうものは見えず、案内図を見てみると、この岬の先の方だそうで公園の歩道で少し歩くようだった。
んーどうしようかな、、せっかく来たから歩こうかな。と思ったけど、それよか舟はどうだろう。もし遊覧船が料金安くて空いてて時間が合ったならば、たまには乗ってみてもいいかなー。なんて考えて船着き場への坂を下ってみた。

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いやいや連休だし観光地だし遊覧船が安くて空いてるなんて都合いい事ないよなーとは思いつつ、船着き場に来てみたら丁度船が出たばかりだった。
けど15分ほどで戻るそうだし、料金も1000円と安かった!そして人も少なく(来た時は釣りしてる人くらいしかいなかった)空いてそうなので迷うことなく乗船料払って乗ることにした。

で、船が戻るまでの待つ間は景色眺めたり船着き場周りの海をのぞき込んだりして休憩した。
曇りがちな感じではあったけど空はあかるくゆるい日も差してて照り返しで水中は覗き込みづらく、最初は大きなアメフラシくらいしか見つけられなかったけど、目が慣れてくると魚が泳いでるのも見えた。

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船は15分強で戻ってきて10分休憩入ってたので30分くらい待ってたけど、魚見てたから飽きなかった。

その間に来たお客さんは家族連れ一組だけで、小型の漁船くらいの船ながら貸し切りのような余裕で乗船。(前の回は降りてたお客さんが四,五組あったからタイミングもよかったと思う)
屋根付きの後ろの客席ではなく船の正面の席に座って気分よく出発した。

港から少し膨らみつつ岬の岸に近づくとさっそく節理の岩肌がスゴイ岸壁が見えた。

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なるほどー節理かぁーこれは船から見上げてこその迫力で、その縞々模様の岩を眺めた。
最初の眼鏡岩の案内を聞きながら岬の先へ進む。岬の先は長く緩やかながら節理の玄武岩が続いていた。
そしてその裏側もまた見事な節理の入り江が入り組んでいて、その間に遊歩道の展望台もあって陸路でもけっこう海の間際まで出て見られる様だった。(けどやっぱ船にはかなわないよね)

そして引き返していく遊覧船が見えた。
あれは呼子から出てる遊覧船の「イカ丸」だそうでこっちよりも高くて混んでるんだそうだ。(ああそうだよな。他の車はみんな真っ直ぐ呼子に向かってたもんな)商売敵の船の話も面白く案内してくれた。

そしていよいよ七ツ釜。
思った通り7つの洞窟のスポットだけど、こんなに並んでるとは思わなかったし、やっぱり棒状節理の玄武岩が畝って凄い造形、穴だけでなく横の岩もすごかった。

そしてまず真ん中の大きな穴に突入。入口の節理も見上げる岩の節理も不思議な眺め。そして穴の中に延びる線の流れと塞がった奥を見て思った「なるほど釜とはよくいったものだ」まるで尻のようだったw
呼子からの船「イカ丸」は大きいからここまで奥には入れないそうだw

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バックで戻ってさらに左側の穴にも突入。「イカ丸」はこっちの穴には入れないそうだw
こっちは節理が縦で大きめで尻っぽくなかったけど、穴の先が貫通してた。穴の先の光を見るとプチ青の洞窟。そして洞窟っぽい岩壁も水面は赤く少し上は緑に色が別れてて綺麗だった。ここ、カヤックかなんかで通ってみたいよね。

そして七ツ釜から出て、もうひとつ裏までまわった。
こっちは「吉田おとし」という断崖と上の丘の「乙姫大明神」が見える所。「おとし」というのはもう名前だけで察しつくけどそういう所だった。「乙姫大明神」は拝むと良縁に恵まれるそうで「海からどうぞ」という洒落た寄道。

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これで折り返し。
復路は少し沖に膨らみつつ周りの島の案内を聞きながら戻った。

小さい船ではあるけどその分一番前に座れたり狭目の穴にも入れたりして楽しめたし、案内の話も面白かった。
是非とも七ツ釜に来たならこの地元の漁協青年部がやってる方の遊覧船がおススメです!と、まわりに宣伝して下さいと云われたw「がばいよかたい!」と佐賀弁も添えて、、だそうで。

船着き場に戻るとお客様は何組か多数待ってた。空いてるこの回で良かった~。
坂を上って岬の公園の方も歩こうかな、、とも思ったけどもう充分満足だったので車に戻った。

タグ:景:洞 景:海 景:岬 景:岩 景:島 景:崖 観:船 観:然 観:地 観:像 楽:乗 楽<待 動:魚

道の駅 厳木

ファイル 2534-1.jpg唐津市厳木町牧瀬の203号沿いにある道の駅。

203号って前にいつ通ったっけ。。多分初めて寄った。
笹原峠を少し過ぎたところにある道の駅で、少々混んでたけど連休だけあって警備員の誘導もあっていい位置にすんなり停められた。

まず道の駅の広場としては奥に「佐用姫像」という大きめの像が立っていた。厳木の長者の美人な娘で、宣化天皇2年(537)任那・百済救援の遠征出兵(いわゆる白村江の戦い)で朝廷から朝鮮へ向かう途中の大伴狭手彦がこの地で休息中に見初めて娶った姫だそうだ。へー。(実はこの像、台座でゆっくり回転していたそうだ、、気付かなかったw)

ファイル 2534-2.jpgそしてちょっと掠れてたけど中島潔の「うめ吉」の絵も大きめに掲げられていた。以前の職場でこの「うめ吉」のイラストの商品に携わっていて個人的に馴染みのある絵なので目にとまった。
中島潔はこの地の出身だったのか。(3歳から18歳まで暮らしたそうな)懐かしい感じのイラストだけど、その仕事から離れて久しいのでそういう意味でも懐かしく感じた。

眺めは前の国道を挟んで山間の小さな盆地を見下ろす形。逆車線に作ればよかったのにね。。

トイレに入るとこの季節らしくツバメの巣ができていた。雛は結構大きかった。

さて、腹は減ってたけど食堂は11時からでまだだった。
総菜コーナーのものを何か買おうかと思ってみてたけど、気になったのは「佐用姫だんご」という餅菓子。団子と云うには平べったいなぁ、、とか思いつつ、佐用姫像を眺めたあとだし(名前だけだろうけど)御当地ものっぽい物なので買ってみた。

で、出発。走りながら「佐用姫だんご」を食べた。

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つぶした大福と云ったトコかな、、とか思ってたけど、白玉粉を使っててしっかり団子っぽいモチモチ感がいい感じでおいしく意外と漉し餡の甘さも控えめで丁度よく、ゆっくり食べるつもりだったけど続けてパクパク食べちゃって、唐津までどころか坂を下った相知町でもう食べ尽くしてた。
これは買ってよかった。おいしかった。

タグ:観:像 観:伝 観:絵 動:鳥 餐:菓 道の駅

おべんとうのヒライ 田浦店

ファイル 2533-1.jpg芦北町田浦字四反田の3号沿いにある弁当惣菜チェーン店。

ヒライはこの地域でしか見かけないチェーン店だけど、この先では至る所で見かけて熊本県内にはくまなく(くまだけにw)あった熊本の顔のような店。
こうした弁当総菜イートインの店は地域地域でいろいろあって(点景にしてるのは、、静岡の「天神屋」新潟の「たわら屋」千葉の「としまや」兵庫の「たいこ弁当」など)夜遅く朝早くやってるからドライブ的には有難くたまに寄ってるけど、ここまで店舗数が多く見かけたのは他にないと思う。

さてこの田浦店は24時間営業。コンビニがあったら寄ろうと思ってたトコで見かけてで咄嗟に寄ってみた。

イートインも広く食事メニュ-もある店なので早速朝食をとメニューや総菜コーナーを見てまわった。
惜しむらくは熊本ならではという御当地っぽい品目が見当たらなかったことかな。
それと惹かれたメニューの「鉄板豚生姜焼き定食」は10時からと出てて残念だった。。

ファイル 2533-2.jpgん?
まてよ、「豚生姜焼き弁当」は何時でも作れるのか?と思い店の人に聞いてみたら出来るとのこと。じゃあそれをイートインで食べれば同じ事じゃね?ってことで「豚生姜焼き弁当」にしてみた。

それと店内みてて気になったのがポテトチップス「ちくわサラダ味」。これはヒライの人気メニューのコラボ商品だそうだ。「熊本の味」とか書かれてて思わず買っちゃった。

そして「豚生姜焼き弁当」をイートインで食べた。

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辛くなきゃいいなぁ、、とは思いつつ食べてみたら、味は濃いけど辛くは無かった。OKOK
そして意外と肉も野菜もケチった感じはなくていい量で、とくに野菜が濃いタレと合っておいしかった。
そっか弁当だと味噌汁がつかないのか。不満はそれくらいで、しっかり朝食とれてよかった。

ファイル 2533-4.jpgちなみにポテチは明るくなってから車で食べた。
これまた味濃く、ちくわサラダなのかよくわからなかった。
先に実物のちくわサラダを買って食べるべきだったな、、と思った。

タグ:食:弁 餐:肉 餐:菓

天然温泉ぬくもりの湯

ファイル 2532-1.jpg出水市明神町の3号沿いにある日帰り温泉施設。

平成最後の日の夜はこちらで入浴。
料金安く広い風呂で、お湯も無色ながら少しヌメっとするアルカリ泉でゆっくり浸かれた。

そして連休中だけどマナーわるい客もおらず(体を拭かずにびしょ濡れで脱衣所に上がるやつとか)気分よく入れた。

そして風呂上り。
もうこの時間じゃ食堂はやって無いだろう、、と思いつつ覗いてみたらアニハカランヤ。やってた!
のでここで食事。(9時ラストオーダーだそうでギリだったらしい)

メニューを見ると、コレといって変わった鹿児島にしかなさそうなメニューはなかった。宮崎じゃないけど普通にチキン南蛮定食でいいかな、、と思いつつよく見るとマグロ南蛮定食というのもあったのでそっちにしてみた。
一応ここは串木野港直送のマグロを使用とあったのでマグロ料理はウリなのかな。マグロステーキ定食というのも惹かれた。

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で、マグロ南蛮定食。
おいなりさんのようなゴロっと厚みのあるマグロフライとタルタルソース。タルタルは魚系に合うものだからこれはうまくて当然だよね。

そういえば今日は餅とラーメンくらいしか食べてなくて、夜ギリでちゃんとした食事が出来て良かった。

そしてこれが平成時代の最後のお食事。令和になっても美味しいもの食べられますように。

タグ:食:定 餐:揚 楽:湯

火之神公園

ファイル 2531-1.jpg枕崎市火之神岬町の岬にある公園。

町に下る県道の丘の上からずっと正面に見えてて気になってた海に突き立った岩「立神岩」。それに惹かれて来てみた。
岬全体が公園になってるらしく散策路がありキャンプもできるようだけど、その割には小さめの駐車場で、キャンプ用具を下ろす人をよけて駐車した。

公園の入り口の案内板を見ると、奥の岬の裏側に展望台があってそっちにも駐車場があり車で廻って来れるようだ。
でもまずは東側正面の海岸に出てみて海を眺めた。

海は広く見えた。
ここは日本神話の「山幸彦と海幸彦」の伝説で山幸彦が上陸したとされる地だそうだ。
中央やや左側に雲をかぶってるのがたぶん開聞岳。天気が良ければ種子島や屋久島も見えるそうだけど、まあこんな雨の日なので推して知るべし。
右の先の「立神岩」も良く見えた。

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眺めよくて岩もゴツゴツのいい所で遊歩道も歩きやすいんだけど、道の赤いのがちょっと邪魔。。歩いてても気になったけど写真にすると煩く感じる。。

海上ではカラスとトンビが闘ってた。トンビが追いかけてカラスが逃げる形。なかわるいねぇ。
海面には案内板にあった「ハートストーン」らしき岩が見えていた。見れれば良縁が巡る、、とか書かれてたけどハートの形にはならなかったのでダメかなww
小雨降ってるし時間も遅いので立神岩まで歩こうかな、、という気は起きず暫し海を眺めて車に戻った。
 
 
そしてちょこっと車で移動。
公園奥の「平和祈念展望台」へ行ってみた。
ここは戦艦大和が沈んだ地点から一番近く、その坊ノ岬沖海戦の海域を眺望できる所だそうだ。
なので駐車場から展望台への坂道には両側に灯篭が並んでて、「~の英霊に捧ぐ」と彫られた献灯になっていた。

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展望台の下には沖縄水上特攻作戦に参加した第二艦隊と前路掃蕩(討?)部隊の艦影がパネルになっていた。戦艦・巡洋艦・駆逐艦だけでなく海防艦や水雷艦などの小型艦も出ててよかった。

そして展望台を上ると「殉難鎮魂之碑」があり、 献花はまだ新しく鮮やかに咲いていた。
その横には燈火を掲げた少女の像があった。

ちょっと別枠で、、
 
この少女の像がとてもいい造形で気に入って、ついつい不謹慎乍らじろじろ見てしまった。
 
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個人的な三大がっかりスポットのひとつ十和田湖の乙女の像もこのくらい溌剌としたものならば文句ないのに。。

確かにここから海が見えるけど、景色の眺望はこの展望台を下りた先の柵の前からの方が眺めよかった。
っていうか坊ノ岬沖海戦はここから見える海域での戦闘だったのか、、沖縄特攻といいつつ九州を出てすぐの海で散ったんだね。(フィリピンで引き返してきたどなたかと違って立派すぎるけど無念だよね)

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幾つかの石碑が並び、何の艦のものか分からないけど碇もあった。(碇の形しただけの碑かな)

いやいや、知覧特攻平和会館で陸軍さんを見てきた後なので、海軍さんに「こっちもみなさい」と呼ばれたような気がした。
戦艦大和は評価され過ぎな感じがちょっとおもしろくないけど、やっぱり帝国海軍の象徴かな。その象徴をしても九州の目前から出られないような敵と戦ってたんだから無謀だよな。
あ、でもこの先に戦艦大和が沈んでるって事は、、イスカンダルへ行った宇宙戦艦もこの先から飛び立ったってことだよね。出鼻で沈められることなく目的地にたどり着くチートな話も史実と対比すると滑稽で微笑ましい。

車に戻って公園の中の道を進んだ。
少し先に映画「男たちの大和」のロケ地というのがあったので、ちょこっと車を停めて歩いてみた。ら、
最初に海を眺めたトコロのすぐ先だった。。
ここには籠の船に乗ってやってきた山幸彦の像があった。えらく細身の像で女子受けはよさそうだった。その山幸彦は兄の海幸彦の釣り針をなくしてここに探しに来たんだそうだ。


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そして海岸の岩場がロケ地だそうだ。映画「男たちの大和」は劇場に見に行ったけど、いかんせん14年も前の2005年の作品。細部まで覚えてなくて、海辺と言えば蒼井優と松山ケンイチのシーンかな?とか思ったけど、鈴木京香と仲代達矢のシーンだそうで、、記憶にないわぁ。

ってわけで残念ながらピンと来ず海だけ眺めて車に戻った。
(「俺は、君のためにこそ死ににいく」も見てみたいけど「男たちの大和」ももう一度見返したいなぁ、、でも見たらどちらとも凹みそうだなぁ、、、)

タグ:景:岬 景:岩 景:海 観:園 観:軍 観:像 観:ロ 観:伝

隼ラーメン

ファイル 2530-1.jpg南九州市知覧町郡の知覧平和公園の裏にあるラーメン店。

一式戦「隼」(の実寸大模型)を見てきた後で見かけた店がこれ、思わず入っちゃった。
日の丸に隼とある幕で、これはぜったい隼が好きな人の店だ!と思ったけど、店内は普通で隼の写真とか模型とかイラストとかそういうものは一切なかった。(車のイラストとかは飾ってたかな)
もちろん鳥の隼でもなかった(そうだったら面白いなという期待もしたけど)

まぁいいや、そういえば鹿児島でラーメンって食べたことなかったからいい機会かも。と思いカウンター席に着いて普通にラーメンを頼んだ。(むしろ隼に詳しすぎて延々と語られちゃうような店でもなくてよかった)

出てきたラーメンはネギとキクラゲが盛られてて、その緑と焦茶と汁の茶色が迷彩色のように見えた。(丼が丸くてテーブルが赤だから機体の日の丸が逆転した感じだな)こういう色の隼が見たかったなぁ、、なんて思いつつ食べた。

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パッと見コッテリかと思ったけど味は優しくやや甘めの汁で麺も普通に食べやすかった。
これは醤油とんこつ?鹿児島のラーメンはこういう感じ?そういうわけではないだろうけど、おいしく汁まで完食。

店の人に隼の店名について聞いてみようかとずっと思ってたけど、結局聞かずに店を出ちゃった。
間違いなくその店名で立ち寄るお客さんは多いと思う。だからそれを見込んで付けただけの名前で戦闘機には興味ないとかだったらつまらないし、多分そうだと思うけど、聞かなければ勝手な想像できるからその方がいいかな。
濃い話をどっぷり聞かされなくて良かったw

タグ:餐:ら

知覧特攻平和会館

ファイル 2529-1.jpg南九州市知覧町郡にある資料館。

知覧は太平洋戦争中に陸軍の飛行学校の分教所が作られ、大戦末期に特攻基地に変わって特攻隊が出撃していった場所。
鹿屋が海軍で知覧が陸軍だね。鹿屋基地はそのまま海自の基地になってるけど、こっちの基地はもう跡形もなく基地跡にこの平和会館などがたっているようだ。

ここは駐車場が広く、割とすいてて入口真ん前に停められたからそんなに混んでないだろうと思ってたけど、歩いてる人はやたら多くて連休っぽかった。。他にもバスとかの大きな駐車場があるのかな。。
今回のドライブではまだ連休ぽく混雑したスポットはフェリーくらいだったもんでちょっとひるんだ。

さて、館内に入る前に外で見かけた「隼」を眺めた。
隼は日本陸軍の一式戦闘機。宣伝や映画の影響で戦時中の市民の間では一番有名だった戦闘機で、戦時中は小学生だったうちの父親も「日本の戦闘機と言えばハヤブサだよ!ゼロ戦なんて戦後まで知らなかった」と生前言ってたっけ。

で、この外に展示された「隼」は「俺は、君のためにこそ死ににいく」という2007年公開の映画の撮影に使われた実寸模型だそうだ。(見てない映画だけど多部ちゃんが出てたんだ!知らなかった。。見たいなぁ)

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正直な感想は「思ったよりデカい」だった。
なんだろう何度か見てるゼロ戦より小さくスマートな筈だけどドカッとした印象。主翼も真っ直ぐで違和感あったけど横からのフォルムはカッコイイね。雨降ってたけどゆっくり見まわした。

そして500円で入館。館内もやっぱり混み合っていた。
そして館内は撮影禁止。
だけど、ここから中は撮影禁止と貼られてたホールの入口を入る前の横の部屋に朽ちた零戦の残骸が展示されてて、こっちは撮っていいという認識なのかみんな写真撮ってた。ので僕も。。

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これは下甑島に不時着水して沈んでたものを戦後の昭和55年に引き揚げた52丙型の機体の前部だそうで、陸軍メインの知覧にしては珍しく海軍機。だからあえて分断されて朽ちた姿で晒してる、、とは思わないけどね。

そして館内は他でも見たような遺書や遺物や資料の展示、なんか、人が多くて落ち着かず、パーっと足早に見てまわった。
その中にまた一式戦「隼」のレプリカがあった。これも映画の撮影用。

そして奥に四式戦「疾風」の現存機体。これこれ。これを見に来たのよ。もちろん写真は無いのでアシカラズ。
正直な感想は、素直な形で戦闘よりも優雅に飛んだ方が似合いそうなフォルム。大きいんだけどデカイという感じではなくやっぱりカッコよかった。
でもなんかピンとこないなぁ、、とよく考えたら、緑色だからかな。自分の中での疾風のイメージは銀色、プラモデルの箱とかの絵で見てた疾風は銀の機体が多かったと思う。実際はどうだったんだろう。
そっか、それと同じく隼は銀地に緑の迷彩色のイメージだわ。(最近やってたアニメでもそんな色だったよな)

あれ?そういえば三式戦「飛燕」はどこだ?ここにあった筈では??と探したけど無かった。。(岐阜に行っちゃってたそうだ、、)

飛行機や兵器に関する資料はあまりなく特攻と散った兵士がメインの展示なので、疾風が見れればそれで満足と足早に出ようと思った。 けど、ちょうど始まるトコらしい視聴覚室の資料映画だけはせっかくだから見てみた。

外に出て建物の裏に回って、スギ林の中にある「三角兵舎」を見に行った。
これは特攻隊員の兵舎を再現したもの。往時はもっと木をかぶせて擬装させてたそうだから洞穴っぽい見た目だったと思う。屋根なんかは見えてない筈だよね。

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中にも入れたけど特に感慨もなく、整っててなんか過ごしやすそうな小屋に見えた。
出入り口の横に解説文があるんだけど、「、、であります」の軍隊調子で書かれてて、なんだかなーと思った。

なんか、もっと興味深く見れるかなと思ってたけど意外とあっさり軽くまわって終わってしまった。
飛燕がなかったのが残念だったけど、よく考えたら海軍機に比べて陸軍機はそんなに興味深くなく、さっきプラモデルの箱の絵がどうのと書いたけど実は作ったことなかったかもしれない。。

いやーでももう少しすいてたらじっくり回ったと思うよ。(と、人のせいにしておこう)

タグ:観:館 観:軍 観:機

石橋記念公園

ファイル 2528-1.jpg鹿児島市浜町の10号鹿児島北バイパス沿いにある公園。

石橋というと大分から熊本、そして長崎あたりのイメージが強いけど、鹿児島にもあるんだ、、と気になったトコで丁度バイパスで対向車も来てなかったので咄嗟に立ち寄ってみた。

鹿児島市内には江戸時代末期に城下整備として架けられた「甲突川の五石橋」という五つの石橋があったけど、平成5年(1993)の集中豪雨でそのうちの二つが流失してしまったそうだ。そこで残る三橋を文化遺産として残そうと川から移築したのがこの公園なんだそうだ。へー。
手っ取り早く三つの橋が見れるスポットとはありがたい。

さっそく傘さして歩いた。
連休で市街の歴史的観光スポットなんか混んでるかな、、と思いきや駐車場も公園もすいててガラガラ。雨だからねぇ。

まず最初にあったのが「西田橋」
案内板もかなり細かく見やすく解説。お金かかってるねぇ。
この橋は橋長49.5m幅員6.2mの一番幅広の四連アーチ橋。弘化3年(1826)に石橋に架け替える前にも木造の橋で架かってて、欄干の青銅擬宝珠はその頃のもの使ったそうだ。
その横にあった無料の「石橋記念館」は後にして先に橋を渡ってみた。

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キレイでどっしりした橋。なぜか欄干に停まった鳩も背筋のばしていい姿勢。鹿児島の鳩はりりしいなぁ、、っていうかどっかで雨宿りしなよw
この橋は移築するまで現役の市街の道だったらしい。けど、車の通行は無理だよねぇ。車で通れたなら移築する前に通ってみたかったなぁ。(1993年以前じゃまだ九州には来てなかった時期だわ)

橋を渡るとその先には立派な門があった。
これは番所でもあった「西田橋御門」橋の左岸にあった門だけど西南戦争で消失。。写真や遺構を元に、橋からの距離も忠実に復元したものだそうだ。へー。
ちょっと雨宿り。(門の下に鳩がいないのが不思議だった)

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門を抜けると公園の裏には川があって橋が架かってた。この橋は普通の連絡橋。対岸の先にも公園が続いてるので渡った。
川っていうか、こっちは埋め立て地っぽいから海になるのかな。いや淡水魚のコイが泳いでたから川かな。
っていうかまたここでも浅い水位で背中を出した巨大なコイが泳いでた。(川の水面の写真だと雨の降りがわかりやすいね)

対岸側の真ん中にあったのが「高麗橋」
西田橋より細めだけど5mながいスマートな橋。渡ると石の面も平らでつなぎもきれいだった。

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この橋は何度も改修され自動車にも対応させたりして原型から変わっていたそうだけど、移築時には明治時代の姿に再現したそうだ。(車で通れたのかー)

そしてこの公園は石橋だけではなく、「祇園之洲砲台跡」という台場跡でもあった。やっぱりこの目の前はもう海だったんだ。
祇園之洲砲台は薩英戦争で英国艦隊に砲撃した砲台の一つ。「たった一度の実戦」なんていう題の案内板があったけど、国内の台場で実戦を経験してるのは薩摩と長州だけなので、図らずもそういうトコに寄れて嬉しい。
この砲台の目の前で英国軍艦のレースホース号が座礁したそうだけど、この砲台も破壊されてて砲撃できず、陸戦に備えつつ曳航されて引き上げる敵艦を眺めてたそうだ。

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園内には「薩英戦争記念碑」や「西南の役官軍戦没者慰霊塔」などもあり、立派な傘の開いた松の木にはなぜか名前も何もなかった。
それと「岩永三五郎之像」。
この岩永三五郎氏が全部の石橋を設計して工事を指揮した肥後の石工。なんと橋だけでなく水田開発、水道、道路、港の護岸に河川改修までやったすごい人。一族で九州各地に190以上の石橋を架けたそうで、皇居の二重橋は甥が架けたものだそうだ。すげー。(ちなみに岩永三五郎の代表作のひとつという熊本の「聖橋」って四年前に行ったトコだった!

そして公園の一番端にあったのが「玉江橋」
これは公園の外の10号バイパスの方に架かっていた。こっちは海だよね。なんか他の二つは公園内なのにこれだけは外に架かってて雑な感じがしたけど、ある意味現役でもあるので橋的には嬉しいかも。

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この橋は五つの中で一番上流に架けられたそうで、城下町の郊外の為か建設費も格段に少なく、幅は細めで造りもやや粗末な実用橋だそうだ。
たしかに橋の上の石はボコボコでびしっと並んでおらずに間あいてる。でもこういう方が今日みたいな雨の日には滑らなさそうで歩きやすいし、石の隙間を見ると黒い灰で埋まってて桜島火山の灰の街たる鹿児島らしさを見れた。自転車とか車とかでは渡りたくないけど歩くなら一番いいかも。

そして、公園の裏の小山の上には東郷元帥の銅像があるそうだけど、そこは「多賀山公園」という別の公園なので行く気はなく引き返した。(眺めよさそうだから天気いい日じゃなきゃねぇ)

さて、最初の西田橋まで戻った。
雨は本降りながら充分濃い内容の公園で満足だったので橋の脇にある「石橋記念館」は別に行かなくてもいいかな、、と思って駐車場に向かってたけど、やっぱりトイレがてらちょこっと見てみるか、、と入館。
円形の館内メインルームは大きなガラス窓で目の前の西田橋がよく見えた。あー雨のときはこんな感じで見るだけでもいいのかなとも思えた。
あとはパネルなどの展示で石橋や鹿児島の歴史や風土を軽く解説。パーッとみてまわって、気に入ったのは安政6年の地図を元に往時の石橋の位置や城などの見所に模型を置いたジオラマ。これはかわいらしくて面白く見れた。

こんなとこかなーと帰ろうとしたら受付の女性に「一階が展示のメインになってますので宜しければ見て行ってください」と声をかけられた。この建物は公園からの入り口が二階で、建物内の螺旋の階段で一階に下るのがコースらしい。
また階段上って戻るのめんどくさいなぁ、、とか思いながらもわざわざ声かけてもらったので素直に下ってみた。

ら、
なかなかちゃんとした展示で力入っててすごかった。

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とくにメインはジオラマ模型。
ジオラマが好きな僕は感激するくらいの凝った模型で、鉱山での石切から始まってい石橋ができるまでの工程を順繰りに作られた大ジオラマ。
もちろんパネルの解説や道具の展示やVTRも等身大の石を割る人形もわかりやすく面白かったけど、やっぱりジオラマだなぁ。見入っちゃった。これで無料は凄いなぁ。

一階に下りてきてよかったし、一番最後にこれが見れてよかった。橋に歩く前にこれを見てたらもう満足して雨の中歩く気がしなかったかもしれないww
二階に戻って受付に「すごく良かったです」とか声かけて出た。

タグ:観:橋 観:園 観:門 観:史 観:像 観:館 観:模 楽:映 動:鳥 動:魚 植:樹

元祖中川家

ファイル 2527-1.jpg鹿児島市吉野町の錦江湾磯海岸前にある餅菓子店。

10号の渋滞を抜けてそれてみた海沿いの道で何軒も見かけた「両棒餅」の看板が気になってて、停めやすそうな駐車場で咄嗟に寄ってみた店だったんだけど、どうやらここが元祖の店だったらしい。ナイス。

一応どんなものか店先に立ってた店の人に聞いてから中に入った。
「両棒餅」はこれで「ぢゃんぼもち」と云うそうだ。

店の中は正直に言えばあまり片付いてないごちゃっとした感じで昭和な感じの色々並んでる感じ。
奥には座敷があり手前がテーブル席。座敷からは駐車場越しに海が見えそうだったけどどうせ天気も悪いので楽なテーブル席に着いた。(後からきた子供連れが座敷に上がってたのでそっちにしなくてよかった)

ファイル 2527-2.jpg横上には昔の店の写真があった。いつごろだろうか。その写真の頃から改築してない店舗なのかな?形は同じに見えた。

そして「両棒餅」の由来の書かれた紙も貼ってあった。
元々は谷山という地域の名物で島津の殿様に献上してたもので、二本差した竹楊枝が侍の刀をあらわしてるそうだ。
それを明治10年の西南の役の後にこの磯で再現して作られるようになったそうだ。
ってことはこの店は140年前くらいの創業ってことか、、

その「ぢゃんぼもち」思ったよりも一皿に沢山のってて、空腹だったからうれしかった。

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みたらしの餡はそんなに甘さ強くなく程よい感じ。
焦げ目ついた餅の柔らかさもいい感じでパクパクペロリと平らげた。おいしかった。
そして添えてあったたくあんも何気においしかった。

会計の時に「全部たべられましたか」と店の人に言われ「おいしくてペロリでした」と返しついでにちょっといろいろと聞いてみた「ぢゃんぼ」は両棒の「りゃんぼう」がなまったものだそうだ。
そして厨房をチラッと見ると、ちゃんと餅をひとつひとつ網で焼いていた。そういう所もいい感じ。

ファイル 2527-4.jpgそして駐車場では前の海を眺めてから出発した。
桜島は裾がちょこっと見えだしてたけど、また雨が降ってきちゃった。。

天気悪い上に渋滞に紛れてた後でやっと気ままに寄れた所が、昔からのおいしい名物で大満足。道を逸れて良かった。

タグ:餐:餅 景:海