記事一覧

魚平食堂

ファイル 3611-1.jpg香取市小見川の県道沿いにある海鮮食堂。

手前で検索して来てみた。
思えば小見川って色々食事で寄ってて、ラーメンとか親子丼とかクレープとか、、カレー焼きそばなんてのもあったっけ、、二回くらい寄ってる店もあるけどなかなか定番化はしずらく、まーだ他にも何かありそうな気がしてる。
で、今回は魚料理。いや、魚なら銚子まで行った方がいいだろうと思いそうな場所ではあるけど、それだけに評判いい店なら間違いなさそうにも思える。

店は小見川駅の近くで何度も通ってる所だけど、店は調べてないとなかなか入れないもんだよね。来たらすぐ分かって、通りの斜め向かいの駐車場もすぐわかって停められた。

店の入口の黒板には「本日海鮮丼はありません」とあった。。えー。 でもまぁ折角だからいいかと店に入った。

ファイル 3611-2.jpg中は厨房と客室の間の廊下で少し座って待たされた。
メニューは黒板ボードに書かれてて、○○+刺身というのが十種くらいで、ケチるつもりはなかったけどあまり安価ではなかった。
金目鯛姿煮はやっぱたじろいで、鯛西京焼きくらいにしておこうと思ったけど、注文聞かれてアジフライ+刺身と少し安めのメニューでケチってしまった。
小さいなぁ自分。。

とか思ったけど、客室のテーブル席に着いてまた少し待って出てきた「アジフライ+刺身」の定食はでかかった。アジの骨がドンと立ってた。アジ丸ごとで身のフライも十字に絡むように配されてインパクト大のアジフライだった。

ファイル 3611-3.jpg

ほくほくフルフルの身のフライはうまかった。
骨は飾りだったのかな、ポリポリとは食べれなかったけど、鰭と脇はおいしく楽しめた。
そして刺身はこれサワラでしょ。独特な脂の味だからすぐわかった。サワラは大好きだから大喜び。千葉のサワラは冬なのでそろそろ旬かな。おいしかった。
そして汁は味噌じゃなくて吸物で、トロトロのカブが入ってておいしかった。
ゆっくり楽しんで食べられていい食事だった。

なんか隣りのテーブルの女性四人の客が賑やかで、量の多さに驚いたりして「食べきれない―」とパックもらって詰めてた。
聞き耳立ててたわけではないけど、会話全部聞こえちゃって、なんか楽しそうだった。
で、このあとはお風呂に行くそうで、検索してどこがいいか話し合ってて「佐倉のスミレっていう所が凄く良かった」と中心ポイ人が言ってそこに行くようだった。ここから佐倉かよ、、佐原と佐倉まちがえてたりして、、とか思いつつ、自分もその佐倉の風呂行ってみようかなと思った。今日じゃないけどね。

ふだんは周りの人の会話なんか全然耳に入れないし、ましてやそんなとこから情報を得たりなんて事は無かったので、珍しいなと思った。

この日の日誌

タグ:餐:魚 食:定 楽:話

城の湯 やすらぎの里

ファイル 3610-1.jpg矢板市川崎反町にある日帰り湯施設。

川崎城跡の山の脇にある温泉で、市民会館のような雰囲気の施設だけど、広い露店風呂はその小山の森を見ながら入れて気分よく、無色の湯もいい感じでお気に入り。上河内の温泉よりは空いてるしね。少し遠いいのでまだ今回で二度目。

ゆーっくり浸かって蕩けた。

ファイル 3610-2.jpgそして風呂あがってから食堂で食事。
点景作業溜まりまくってるからもう普通の食事でいいや、、とか思ってたけど、なんか「矢板ラーメン」というのがおススメとあって面白そうだったのでそれにした。

他にも「おしらじ塩冷やしめん」というのがあって更に面白そうだったけど、さすがに冷たい麵に触手伸びる季節じゃないからそれはまた今度。

ファイル 3610-3.jpg

「矢板ラーメン」はネギニラ入りの麵だそうだけど、見た目恐ろしく普通。。でも啜ってみたら、普通においしい醤油ラーメンで、ああそういえばニラの風味かな?て感じも少しはしていい感じ。こういうところのラーメンにしてはぜんぜん普通においしかった。ナイス。

や手湯上りは少しのんびり散歩。館の裏の山の「歴史と憩いの森」というトコに進んでみたけど、MTBの練習場だった。。歴史は?憩いは?

ファイル 3610-4.jpg

その向かい側は川崎城跡に続く山。ここら辺も城だったのかな?城の湯っていうくらいだからね。
そこには「川崎神社」というのがあった。案内には奈良時代からある神社とあったので行ってみようかと思ったけど、まっすぐな参道はパッと見長くもうすっかり日陰で雰囲気よくなかったのでやめた。
ラーメンがうまかったからって無理にネタを足そうとしなくてもいいのにね。

そんな感じでちょろっと歩いて車に戻った。
実は駐車場の手前の西日の川の感じが一番雰囲気よかったんだけど、いい写真無くて割愛。へんなあやしい裏山の入り口だけの点景になってしまったw

この日の日誌

タグ:餐:ら 楽:湯 景:森 観:宮

中華そば 青葉 東大和店

ファイル 3609-1.jpg東大和市清水の都道沿いにあるラーメン店。

中野が本店で関東に20店舗近くあるチェーン店。
青梅街道を進んでてこの「青葉」の看板を手前で見かけて、東京で東京のチェーン店ならドライブ的にもアリじゃないかと寄ろうと思った。

でも青葉は町中やモールの店舗が多いイメージで、街道沿いとはいえ駐車場大丈夫かな、、と不安に思ってはいたけど、対向のこっち車線側にもちゃんと駐車場があって無事停められた。ナイス。

そういえば青葉は、なんとなく耳にも目にもするメジャーな店だけど、入ったのは確か2004のGWに入院してた義弟の見舞いがてら飯田橋店に入って以来なので、どんなラーメンだか全然憶えてなかった。。

けど、席着いてメニュー見たら中華そばとつけ麺しかなかったので迷うこともなく楽にオーダー。

で、中華そば。
今どきにしては珍しくなるとが乗ったスタンダードな見た目で、もちっそしてそうな麺もそのまま見えててバッチリだった。(割りと汁に沈んで麺が見えてないラーメンは多く、少し穿ってアップ写真撮る事が多い)

ファイル 3609-2.jpg

さて味は、すっきり醤油でも豚骨醤油でもない丁度いい醤油ラーメン(動物系と魚和風系のダブルスープだそうだ)ああこういう感じだったっけ。素直に汁も麺もおいしくペロリと完食。
ああ、これは青梅街道で帰るたびに寄ってもいいなと思えた。

この日の日誌

タグ:餐:ら

下仁田こんにゃく 観光センター

ファイル 3593-1.jpg下仁田町東野牧の254号沿いにあるドライブイン。

以前は何度も寄ってて、自分が幹事をやったドライブオフ会では食事場所として利用した所でもあったけど、その後はパタリと寄ってなかった。
どのくらい来てなかったろうか。点景にはしてなかったので13年間は来てない筈だけど、何で寄らなかったのかもわからない。点景にしやすそうなチョイ食いのご当地グルメもあった筈だし一人でも寄りやすく車も停めやすい。
逆に道で考えたなら下りの254号は手前の妙義山に向かう県道で前の車が捌けてクリアになることが多く、通過しがちな場所でもある。上りの帰りは夕方でもう閉まってることが多いかな。
どちらにしてもずっと寄ってなかったのが意外なくらいで、別に興味も好感も低かったわけではないのです。

ファイル 3593-2.jpgさて、そんなチョイ食いのご当地グルメでも食べてネタにするかなと店に入ると、入って正面にドカンとソフトクリームの窓口ができてて驚いた。
いちおう壁は材木模様で山小屋風な店舗に馴染ませてはいたけど、メニューの白黒赤のはっきりした色の三つは妙に異質に感じた。
でも面白いから買ってみた。
白は高原ミルク、赤は生いちご100%使用、黒は竹炭+スイスチョコだそうで、どれもこんにゃくペーストを練りこんだ蒟蒻ソフトだそうだ。
少し迷いつつ黒の竹炭チョコにした。

ファイル 3593-3.jpg

ああうんおいしくていい感じ。そういえば蒟蒻のアイスは何度か食べた事あったけど、ソフトは初めて。面白い感じでなかなか良かった。
けど、ちょこっと手についた黒いのが拭いただけでは取れなくてハッとなった。口の中もすごいことになってそうだな。。と思った。

奥の水場で手を洗って鏡を見たら案の定コントの爆発にでも巻き込まれたような唇と口中と舌だったw
竹炭恐るべし。っていうか炭そのものじゃないか。(味はとくに炭っぽくはなかったけど)面白かった。

ファイル 3593-4.jpg

翌日のトイレも黒かった。。
イカ墨スープを飲んだ後を思い出した。そっかどっちも炭か。


この日の日誌

タグ:観:P 餐:冷

不二ドライブイン

ファイル 3592-1.jpg本庄市諏訪町の17号沿いにある食堂。

昭和39年オープンの日本最古のドライブイン。二回目の来店で点景も二回目。
日替わりランチがちゃんとしてて魅力的で、前来た時は周りに飲食店が全然ない職場に通ってた頃で、職場の近くにこういう店あったらなぁと思った。けど、周りに飲食店が沢山ある場所に職場が移転した現在でも尚、こんな店が近くにあったらいいなぁと思う。味濃い店や高い店が多くて丁度いい店は少ないのだ。

さて平日の昼も1時前くらいだと少しは落ち着いて、駐車場もすんなり停められたしテーブル席もチラホラあいてて悠々席に着いた。

今日の日替わりランチは「海鮮チラシ丼+ネバネバおろしそば」。あー前日に職場近くで600円の三色丼(海鮮系のチープな丼)を食べてたので海鮮丼はあまり惹かれず、メニューを見た。
んー何だろう何か前回来た時に「次回はこれ食べよう」と思ったメニューがあったような気がしたんだけどなぁ。。
と思ったけど、思い出さず、まぁいいやと普通にエビフライ定食。それに日替わりのネバネバおろしそばをプラスもできるそうでプラスした。

ファイル 3592-2.jpg

うん、大きめでおいしいエビフライ。でもすぐ食べ終えちゃうからおかずにするにはご飯とのバランス悪いね。。
それよかネバネバおろしそばがうまかった。付けて良かった。

ファイル 3592-3.jpg食後のドリンク(アイスティーにした)を飲みながら店内眺めまわしてて、入り口の張り紙に「ナピラランチセット」というのを見て、次回食べようと思ったのってあれじゃないか?と思った。
っていうか「ナピラ」って何だ?とスマホで検索してみたら『本庄市ご当地グルメ』で『なっとうピザライスの略』だあそうだ。あーこれだな。と、食べ終えてから気づいた。少し悔しいけどまた来ればいいかと思った。
(ちなみに前回の日誌を見返すと、「ナピラ」には気づいてなかったっぽい。多分次回は日替わりを食べようと思ってたっぽい)

 
ちなみに前回の点景  この日の日誌

タグ:食:定 餐:甲 餐:揚 餐:麺

深谷城址公園

ファイル 3591-1.jpg深谷市本住町にある公園。

ナビ地図見ながら深谷市街を通ってたら、なんか城っぽい感じの公園があって「深谷城址公園」という名だった。へええ深谷に城とかあったんだ。あ、渋沢の大河で出て来た悪代官のトコかな?
表通りには駐車場がなかったけど裏にまわればあるかな?と思って公園に沿って横道に折れてみた。で、裏の裏にまわると駐車場、公園のではなくて園内にある保健センターの駐車場だったけど、空いてるからいいよねと停めて歩いた。

ていねいに案内板あるじゃん、と思って見たのは公園の案内で城の話じゃなかった。。公園の入口の方にあるかなと南側の入口の方に歩いた。
カッチリした水堀のある公園の入り口にはバッチリ城の説明があった。

ファイル 3591-2.jpg

この深谷城は室町中期の康正2年(1456)に古河公方の侵攻に備えて築城した上杉の城で、天正18年(1590)の秀吉の関東攻めで落城。江戸初期の寛永11年(1634)に廃城だそうだ。。幕末の渋沢関係ないじゃんw(それは岡部にあった岡部藩陣屋だそうだ)
城の図も見て本丸が四角いから、この公園がそのまま本丸かな?だとしたらかなりでかい城だなぁ。。とか思った。(実は全然違ってもう形も残ってないそうで、公園の辺りは東曲輪のあたりだそうだ。どちらにいいしても公園10個分くらいの大きな城ではあったらしい)

ファイル 3591-3.jpg他に城に関する解説はないかなと、とりあえず公園を歩いてみたけど、他には何もなかった。
公園としては、女性の裸体像がなかなか良かったのと、ムーみたいな三角柱のモニュメントがちょこっと印象的だった。
それでも夕暮れギリギリで気まぐれで寄って、馴染み深くはない町の歴史にふれて楽しめた気になれた。


最近全然寄道とかしてなかったから、少し調子取り戻したような、、やっぱり溜まりすぎた作業をまた増やしてしまったような、、ちょっと複雑な気分ではあった。
 
この日の日誌

タグ:観:園 観:城 観:像

鷲子山上神社

ファイル 3590-1.jpg那珂川町矢又と常陸大宮市鷲子に跨った山頂にある神社。

全然知らなかったけど妹が検索して、最初夕方になりそうだから嫌だったけどフクロウの神社という事で興味持ってきてみた。ら、栃木の神社だと思ってたのに茨城から山登ってアレ?と思ったし、道も険しくこんな道の先の山の上でちゃんと駐車場あるのかと不安になったけど、ちゃんと駐車場あってホッとした。

そして歩くと鳥居の前の道の上から県境の標示があった。あーそういう事ね。ここは栃木県と茨城県の県境の標高470mの鷲子山(とりのこさん)にある神社で、古くからも常陸と下野の国境だったそうだ。

社務所はまだ開いてたけどもう4時半だから「先に御朱印いっとけば」と妹を待ってから鳥居をくぐった。

鳥居の石段の先が拝殿かと思いきや、楼門だった。
御手水の手前には「水掛け不苦労」という水をかけて撫ぜる梟像があった。へーおもしろい。

ファイル 3590-2.jpg

そして大化12年(1815)再建という楼門をくぐると長い石段。。「フクロウの石段」という名で96段あるそうだ。うへぇ。
この石段も右側が茨城県、左が栃木県。僕は茨城側から登った。
96段の上に山門がありその先で折れてたので、まだ続くのか?と思ったけど、もうそこが拝殿だった。脇から大きな杉の木「千年杉」が見えてたけど先にお参り。(そういえば結局見ずじまいだった。。)
ここは裏の本殿が半分栃木県だそうなので拝殿は茨城のようだ。その茨城の木々の合間から西日が差して神々しかった。

この鷲子山上神社は大同2年(807)の創建で、最初は来る途中の「本宮」の位置にあったそうで、天文21年(1552)にこの場所に移ったそうだ。社殿は天明8年(1788)の大改修のものだそうで、こんな山の上なのにすごい歴史だわ。

ファイル 3590-3.jpg

やっぱりここにも梟の像があり裏の本殿の脇にも小さいのが並んでた。凝ってるね。本殿は赤くその彫刻にはフクロウはなかった。フクロウだらけになったのはいつからなのだろうか。

そしてぐるりと回ると裏の奥の方にも何やら社殿、奥の院とかそういうのかなと坂を下って行ってみたら末社の稲荷神社だった。
なぁんだ、、坂下らなきゃよかったと思ったけど、その脇に「福ふくろう園」というルートの口の柱でが立ってた!そして「入園無料」「社務所まで行けます」と丁寧に書かれてたのでありがたく進んだ。
ら、フクロウの並ぶ長ーい下り坂はどうやらアジサイに囲まれた道。アジサイの咲く時期に来てればよかったねぇ。

坂を下りきると「十干十二支ふくろう」というのが並んでた。「なでてあげましょう」だそうだ。
そしてそこからの高低差のない道沿いには名のついた梟像が並んでて、なんとも飽きさせない濃い道だった。
写真に撮ったのだけでも「運気上昇ふくろう」「感謝元気ふくろう」「学業ふくろう」「方除けふくろう」

ファイル 3590-4.jpg

「家内安全ふくろう」「自然保護ふくろう」「大ふくろう」「家族ふくろう」「見ざる聞かざる言わざるふくろう」「団欒ふくろう」「職場円満ふくろう」「恋人ふくろう」「友達ふくろう」「何でも叶うふくろう」は屋根付きで木彫りだった。

「大願成就ふくろう」「お願いふくろう」も屋根付き木彫り。「音楽芸術ふくろう」「平和ふくろう」「かぼちゃふくろう」は何なんだか。。

ファイル 3590-5.jpg

一旦途切れたけど最後に集団で「見守りふくろう」「九星ふくろう」が社務所寸前の鳥居手前に並んでた。
谷の下を覗くと「笑顔ふくろう」が草でかたどられてた。そして「亀井戸」があるようだ。もう坂の上り下りしたくなかったけど、妹が乗り気で「行くべ」言うのでしぶしぶ下った。

その「亀井戸」はちょっと懐かしい手漕ぎのポンプ井戸で甕に石のカメが浸かってた。
やっぱ漕ぎたくなっちゃうね。出た水はカメのおしりに掛ってちょっとエッチwって言うかよく考えたらこんな山の上で手漕ぎ井戸ってなかなか珍しいね。なんでも「御神意により井戸を掘り底にカメの形をした石を沈めたら」清水が湧き出たという伝説の井戸だそうだ。
そこに「水占ふくろうみくじ」というのがあった。妹が飛びついた。すきだよねこういうの。水に浸すと文字が出てくるおみくじ。

えっちら来た道登って鳥居の前に戻ると、石段に鳥がおりてきた。お!フクロウか?と思いきや、そんなわけはなくハトだった。まぁね。
社務所はやっぱもう閉まってた。先行っといてよかったね。

閉まった飲食店を店頭のメニュー見ながら通り過ぎて、最初に気になってた本宮の鳥居の石段を上がってみた。
けっこう急な石段を一気に上がると、その上には金色の大きなフクロウがあった。

ファイル 3590-6.jpg

「金運 不苦労御柱」だそうだ。真ん中の御柱を棒で三回たたいて両手押しあてるとイイらしい。いろいろ楽しませてくれますね。
拝殿の脇には「福運びフクロウ」御白石を籠に移して幸福を願いましょうだそうだ。

ファイル 3590-7.jpgお参りして石段を下った。脇に椎茸みたいなキノコ生えてた。
石段を下りると正面に樹齢200年の「朝やけもみじ」夕日は逆光で陰になってたけど、まだ紅葉してないのに夕日で少し赤くも見えてこれはこれでいい感じ。

ほんといろいろあって濃い神社だった。
そしてこんなギリギリ日が暮れる前の夕方に来てもたっぷり楽しめるスポットだった。
妹よくみつけたねGJ!


この日の日誌

タグ:観:宮 観:像 観:門 観:道 観:石 観:水 観:飾 観:装 観:伝 楽:触 楽:懐 楽:験 動:鳥 植:樹 植:茸

田舎や

ファイル 3589-1.jpg下野市笹原の4号沿いにあるうどん店。

前に寄ったモツ煮込みの店の向かいにある店で、滅多に通る区間でもなかったけど全然気が付いてなかった。
今日は看板を見つけた妹の「ここでいいじゃん」で咄嗟ながら広い駐車場に入れて入店。「田舎や」という名前から熊谷の「田舎っぺ」が浮かんで武蔵野うどんかな?と察し着いた。

店に入ると何か概視感というか似た感じの店を知ってるなと思い、席に着いてメニュ-見て思い出した、前に野田の県道沿いにあったうどんの店と同じ感じだった。系列店なのかな。あーあそこも武蔵野うどんだったのかぁ。。とか今更ながら気が付いて、初めて食べた武蔵野うどんは印旛じゃなくて野田だったか。。とか思った。
その野田の店には「武蔵野うどん」という表記はなかったので意識してなかったけど、この店もメニューや看板に表記はなく同じ。。と思いきやメニューに重ねたペラに武蔵野うどんの解説があったりした。武蔵野うどんの認知度が上がったからさりげなくって感じかな。

さて自分は普通に肉汁うどん、妹はみそ煮込みうどんをたのんだ。

ファイル 3589-2.jpg

うんおいしい武蔵野うどん。
どっしりもちもちいい感じ。啜りずらくて麺類という認識は薄いけどゆっくりしっかり食べれて満足。

ファイル 3589-3.jpg少し後になって妹のみそ煮込みうどんもぐつぐつと出て来た。
ちょこっともらったけど武蔵野うどんでの味噌煮込みもいい感じだね。そういえば武蔵野で味噌煮込みがあるのって珍しいかも。妹もすっかり武蔵野うどんが好きになってたからこれはイイと喜んで食べてた。ナイス。

それはそうと、カウンタ―食べてた客が1キロなんていう凄い盛りをぺろりと平らげてて驚いた。食べる人は食べるんだねぇ。武蔵野うどんは食べた後にお腹はるからこわいよなぁ。
自分は(こんな体格ながら)全然ふつう盛りで充分。ごちそうさま。
 
 
ちなみに帰ってから調べたら、やっぱり以前野田にあった店「ゆでたて家」は系列店だったようだ。
この店は池袋にある「うちたて家」の系列店(じゃなくてこの店ら池袋に進出したのかな)だそうで、野田の店はその暖簾分けだったようだ。閉店して久しく今更ながら惜しいなぁと思えた。(今では店の跡地はペット用品の店になって繁盛してるみたい)

っていうか、ギリギリ点景にしてた野田の店 武蔵野うどんだと思ってなくて草。。
この日の日誌

タグ:餐:麺

皇居東御苑

ファイル 3588-1.jpg千代田区千代田にある皇居の庭園。
言わずと知れた江戸城跡。無料で一般開放されている城址公園。城歩きの最後の最後までには来たいと思ってはいたけど、北の丸公園にある科学技術館でのイベントに来てて、昼の部と夕方の部の空き時間があったので歩いてみようと思った。
まぁ直接車で来たわけじゃないので点景にしないつもりだったけど、逆に今後まずドライブ中に立ち寄るという事はないだろうなと思って纏めておこうかと思った。

ってわけで、北の丸公園からなので北桔橋門からの入園。
警備する警官の前をおとなしく抜けて北桔橋、平川濠と乾濠を見下ろしながら橋を渡り高麗門だけの北桔橋門をくぐった。(往時は橋を跳ね上げて閉じていた門だったそうだ)

ファイル 3588-2.jpg

入ると本丸の北の奧で早速目の前に大きくどっしりと天守台が見えた。でかいね。
これは江戸時代初期から16年毎に建てられた三つ目の天守が大火で焼失した後に再建した天守台の現存物で、それまでは少し南にあったそうだ。
結局天守は不要と決まってここに天守が立つことはなかったんだけど、天守台だけはずっと残したのは何故でしょう?そういえば天守台だけあって天守を建てなかった城って結構あるよね。はやりだったのかな。

天守台の上はちょっとした展望台。外人客が寛いでた。眺めは本丸跡の広場だけだったけど、大手町のビル街が城壁のように守って見えた。

蒸し暑いし風邪気味だからこれだけでもう引き返そうかなと思ってたけど、時間はまだあるのでやっぱり歩いた。
天守台を下りると大奥跡の芝生広場。でも日向は暑いしトイレに行きたかったので広場へは進まずに脇の林に進んだ。

トイレの先に石室の案内があった。林ではやたらと蚊に刺されてかゆかったけどもっと露出の多い外人さんも平気で歩き回ってたので、負けてられないと進んでみると、カッチリした石の室があった。これも現存物。火事の時などに大奥の調度品を避難させた所だそうだ。

ファイル 3588-3.jpg

暑いからそのまま日陰の森を進むと富士見多聞、江戸城で唯一現存する多門長屋だそうで内部も公開されてて撮影OKだった。おお。
けどなんか内部は全然雰囲気なくほんとに現存物??って感じだった。まぁ1659年築らしいからそのままって事はないだろうけど。
格子の窓からは蓮池濠が覗けてホントにハスだらけだった。西の丸の皇居の門長屋も見下ろせた。(見下ろしていいものかどうか。。)

後はそのまま南の端に進んで富士見櫓!と思ってたけど道がよく分からなかった。。すぐ背から見れる筈なんだけど、過ぎちゃって石垣の出口(中雀門跡)の下り坂に進んじゃった。
まぁいいや、櫓は裏からより下から見上げた方がカッコイイよなーと思って下った。
坂の下には大番所というのがあった。

ファイル 3588-4.jpg

そして坂の下の中之門跡の先の広い道は南方向は閉鎖されてて富士見櫓の方へは行けなかった。。皇居一般参観の時間しか入れないようだ。そうだったんだっけ。あら残念。本丸内に残る唯一の現存櫓にして天守のない期間は天守代わりの象徴とされてた三重櫓。だけどまぁ仕方ない。ドライブ中に若干遠目だけど内堀通りからも見えるしいいかなとあっさり諦めた。

広い道の前には長い百人番所があり、大手三之門跡の前には短い同心番所。この三つの番所は現存物だそうで、なんで番所だけこんなに残ってるんだろうね。明治後も番で使われたのかな?

大手三之門跡の先に三の丸尚蔵館があったけど、これは建て替え中で取り壊してた。。あら残念。(二の丸と三ノ丸の境がピンとこなかったけど大手三之門跡の先は元は堀で尚蔵館などは埋め立てた堀の上だったようだ)

もう歩き疲れたのでこのまま大手門を出て地下鉄で戻ろうかな、、とか思ったけど、売店で休憩して地図見てたら地下鉄こそ大回りで園内抜けて戻っても歩く距離は変わらなそうなので、ちょっと戻って白鳥濠と高い石垣に沿った二の丸の太い道に進んだ。

この太い道と右手の雑木林が二の丸御殿があった場所だそうで、すっきりと長い道は気分的に疲れるので脇の林に入ってみた。こっちの林は蚊がおらず心地よかった。
その雑木林から覗けた二の丸庭園はなんか見憶えがあったので遠回りだと思いつつも進んでみた。
諏訪の茶屋や池のある庭園。ああ、そうだ、上野に住んでた昔に父親が上京した伯父の都内観光に「行く行く」と着いてきたっけ。すぐ飽きてブーブーだったっけ。そういえば天守台も見てたっけ。思い出した。昔は玉砂利の道で歩きづらかったよなぁ。東御苑はそれ以来かな。(小学校の社会科見学でも来た気がするけど、、多分友達とふざけながら歩いてたんだろうな、、記憶ないや。楽しくない方が記憶には残るのかもしれないw)
庭園の端には都道府県の木がそれぞれ植わってた。高知はやなせ杉だそうだ。赤い毒々しい花が目立ってたのは鹿児島のカイコウズ。いまだ薩摩の主張が江戸で咲くってとこか。

ファイル 3588-5.jpg

最後は梅林坂を上って北桔橋門に戻った。この梅林坂は案内に「太田道灌がこのあたりに天神社を祀り、数百株の梅を植えた」と徳川以前の戦国時代の江戸城からの名残の場所が初めて登場。江戸時代にも梅林があったのか分からないけど、平川門に出るトコにあるのが梅林門と言ったそうだから多少はあったんだろうと思う。

北桔橋門は昔は門櫓と多聞で桝形に囲われ、番所があり両脇に櫓が睨む厳重な裏口。いまはすっきり。一応警備の番所はあるけどね。門を出て来た道を戻った。

代官町通りの歩道橋から振り返ったら、乾濠の石垣がカッコよかった。江戸城跡はこの堀の石垣が一番の見どころかもね。
城歩きならホントは西の丸の外周の内堀も半蔵門や桜田門など見つつまわってひとまわりしてこその江戸城なのかもしれない。けど一時間のひとまわりでもうじゅうぶん、夏は無理。運動不足にも無理。
5時の開場にもまだ早くその更に45分後の開演には余裕ありすぎだけど、あとは北の丸公園に戻って陰でTシャツ着替えてグデーとして時間潰した。


ちなみに帰ってから知ったけど、てっきり改装中の三の丸尚蔵館にあると思いこんでいた江戸城天守復元模型は、そうではなくて本丸の広場東の展望所手前の休憩所にあったんだそうだ。そっか、本丸の東側は歩いてないもんな。。ちょっと悔しいけどまぁ仕方ない。江戸城の広さと石垣の高さはそのまま残された巨大な城というのが実感できたので充分。
そしてドライブの立ち寄りでは無くちょっと反則ではあるけど点景にも纏められたので満足。


この日の日誌

タグ:観:園 観:城 観:櫓 観:橋 観:門 観:池 観:石 観:建 観:庭 植:樹 植:花

まこちゃんラーメン道楽

ファイル 3587-1.jpg野田市目吹の県道沿いにあるラーメン店。

三回目の来店で三回目の点景。
確か前回は醤油ラーメン食べておいしかったし、テレビでも醤油ラーメンのおいしい店と紹介されてたし、また今回も普通にそれ食べて点景は無しでもいいかなと思ってた。

けど、
ホワイトボードに週替わりメニュー「えび塩ラーメン」とあり、「本日のこり3食」とあった。うわーこれは絶対こっちだなぁとそれをたのんだので点景になりました。

そして着丼、すっきりした塩にエビ乗せたのをイメーしてたけど違って、とろみの餡のかかった「えび塩ラーメン」だった。

ファイル 3587-2.jpg

こーれはおいしーい。
野菜も豊富ながらタンメンほどは主張せずにエビに華をもたせてほどよくサポート。とろみの餡は最後まで絡みつつベースの塩が元々おいしいのを邪魔はせずにプラスになってた。えっと、他のタンメンの店をディスるつもりはないけど、野菜の量も味の調和もこのくらいの方がおいしく味わえてベスト。最後までおいしかった。

ふえー限定なのこれ。ずっとあるなら次回もこれだなぁ。
醤油ラーメンのおいしい店の印象がブレちゃったなぁw
っていうか次回も限定があったらそれにするんだろうなぁ。

ちなみに前回の点景  前々回の点景  この日の日誌

タグ:餐:ら 餐:甲