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田夢

ファイル 1901-1.jpg柏市藤心にある蕎麦店。
いつも通る道でふと見かけて寄ってみた小さな店、いつの間に出来たんだろう?今まで気づかなかった。

メニューはシンプルにそば数種類とそばの甘味だけで、こだわってそうな感じ。
「本日のそば」で、もりそば・そばがきセットというのが貼り出されてたのでそれにしてみた。

「いつ頃できた店ですか?」とちょっと訊ねてみたら、去年の三月からだそうだ、、
うわぁ、前の道はしょっちゅう通ってたのに(何食べようか考えながら通ってた事も多かったのに)全然気づかなかった。。
「今年もよろしくおねがいします」と年賀のお菓子の小袋をいただいた。これはこれは。

そして「もりそば・そばがきセット」登場。

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うんうん、おいしいそば。
どっしりした蕎麦を想像してたらまるで予想外、みずみずしくて優しく落ち着いて食べれる蕎麦だった。おーこういう感じなんだ。
とてもおいしく心地良く啜れた。

そしてそばがきがもちもちどっしり。いい弾力の団子で蕎麦を味わえた。好きなんだよねーそばがき。

これはいい店を見つけられた。寄って良かった。
来たときは自分だけだった店内が、昼近くになったら満席。次ぎ来るときも昼前早めに寄りたいね。

タグ:餐:麺

郡ダム

ファイル 1900-1.jpg君津市郡の県道沿いにある土堰堤ダム。
傾いた西日で黄色く照らされた木に囲まれた真っ青な水面がキレイに見えて思わず寄り道。

広い駐車場から遊歩道を歩いてみた。
ら、広々と青いダム湖に西日が反射して輝いていた。

富津まで来て海じゃなくて貯水池を眺めるとは思わなかったけど、そういう気まぐれ感が楽しいよね。

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ファイル 1900-3.jpg少し先に管理事務所があるので、ダムカードとかないかな?なーんて思って歩いてみたけど、完全に閉まってて人の気配もなくカードのカの字もなかった。ここにはないらしい。
(まぁ、あれば欲しいくらいで、無いなら寄らないとかそういうつもりはない)

その先がダムの上のようなのでもう少し歩いた。
湖面にはオオバンが泳いでいて、見てると活発に潜水を繰り返していた。ヒョコヒョコとかわいかった。

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ダムは緩やかで長そうなアースフィル。
眺めよく谷の先の君津市街が覗けた。

遊歩道にはだれーもおらず、のんびり歩けたけど、やっぱり風が冷たくて体冷えそうだったので早めに車に戻った。

タグ:楽:眺 景:湖 景:町 観:堰 動:鳥

公園食堂 志のざき

ファイル 1899-1.jpg富津市富津の富津公園内にある飲食店。
この時期やってる「生のリフェア」で富津に来てみて、富津公園で車を停めてスマホで店を検索してたら一番近いのが目の前の公園内のこの店だった。(「生のリフェア」の幟が出てなかったから気づかなかった。。)
この店はテレビでも見たことあるし、富津岬に来ればいつも通って知ってたけど、場所がいいから観光客向けの値段設定じゃないかな?とか思って入ったことなかった。まぁ丁度正面に車も停めたからここにしようかと入ってみた。

で、この店の「生のリフェア」メニューは「生のり三杯酢」
これこれ、前に他で食べて気に入った一品。
さっそく食べてみた。

ファイル 1899-2.jpgん、 あれ、、 
なんかそんなでもなかった、、
期待しすぎたかな?店によって違うかな?
海苔の風味があまりピンとこなくて、これならもずくの方がいいかも、、とか思えた。

そしてメインには煮穴子丼。
ここらへんでは「はかりめ丼」と呼ばれている御当地丼だけど、ここでは「煮あなご丼」と言う名になってた。一般向けなのかな?何か違うのかな?

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いやいやぷりっとした穴子が優しい白身で、味付けも軽く穴子の味を堪能。おいしかった。
前に食べたトコはしっかり濃いめのタレがきいた穴子の丼だったけど、店によって違うんだね。(それが「はかりめ」なのかな?)
しっかり富津を味わえて満足した。


ファイル 1899-4.jpgそして公園を出た先の「生のリフェア」の幟が立つ海苔製品の小さな店に寄ってみた。
前に生のりを買った店(しばーらく毎朝生海苔の味噌汁を作った)
その時はちょっと冷凍で手こずったし、やっぱ一人暮らしでは多くてなかなか減らないので、今回は無難に佃煮を買って帰った。

タグ:食:丼 餐:魚 餐:菜 楽:買

中の島大橋

ファイル 1898-1.jpg木更津市中の島の木更津港に架かる歩道橋。
歩道橋としては高さ27mで日本一の高さだそうだ。
なので、今日なんかは海と富士山がよく見えそうだなと思って寄ってみた。

この橋は子供の頃に来た記憶がある。
今の僕以上に無計画な父親の「潮干狩りでも行ってみるか」という気まぐれな休日のお出掛けで、都内から電車に揺られて午後の到着。帰り始めた人の波を逆行して駅から歩いて来てみたら、、潮が満ち始めてこの日の潮干狩りはもう終わりって時間。で、この橋だけ登って眺めただけで、「つかれたー」といってぶーたれて帰った思い出。。
あまり面白い記憶でもないけど、今となっては懐かしい。

で、それ以来の四十年ぶりくらいの来訪。大人になって見てもやっぱり大きい橋だった。
風があたってオーケストラのチューニングのような不思議な音がなっていた。

階段ではなく斜面の坂を折り返して登るのは昔と同じで懐かしい。
上まで登ると鳴ってた音は演奏してるかのように大きくなって、ウルトラセブンで不思議な現象が起きそうなBGMに聴こえて、頻繁に頭上を通る飛行機の音も掻き消されそうな程だった。

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音も煩いし風も強くてくそ寒いけど、橋の真ん中まで進んで眺望。
まずは東側の木更津の港と市街。

うーさみー。

そして西側の東京湾。
青い海が広く見渡せた。
富士山は薄っすら。アクアラインは少し隠れ気味。対岸の東京湾岸のビルも見えたけどどこがどこかまではわからなかった。

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橋の北側には「中の島」
起伏のない埋立地のような島で、公園広場があるだけだった。(人工の島では無いよね?)
その先の自衛隊基地には白い小型機が見えたのでデジカメでズームして見たらグライダーだった。

寒いしまた登るのヤだから島には下りずに橋の端で折り返した。

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ファイル 1898-5.jpg帰りは追い風で少し楽。
煌く海と遠くの富士山を見ながら(寒そうに登ってきた人達とすれ違いながら)渡った。

そして橋の下の駐車場の自分の車も確認。
前は上から自分の車を見るとホッとして喜んで写真撮ってたもんだけど、この車ではそういう感覚が薄れたな、、と思ったので、たまには写してみた。

タグ:観:橋 観:一 観:機 景:海 景:山 景:島 景:町 楽:眺 楽:登 楽:音

史跡上総国分尼寺跡展示館

ファイル 1897-1.jpg市原市国分寺台中央にある国分尼寺跡の資料館。
そういえば確か、随分前に上総国府を探しつつ来てみた時は年末年始で休館してて(11/12/30)いつかまた来ようと思ってて忘れてたトコ。

っていうか正直言えば興味あるのは「国府」で国分寺や国分尼寺の寺は興味なかったんだけど、当時のこれらの寺は今の寺とは違って国定研究機関のようなもので、さしずめ現代の国立大学みたいなものと解説されたことがあって、だったら国府と同じように巡ってみるのも悪くかなとか思えてきてはいた。

さて、この展示館。無料と大きく書かれていて気兼ねなく入ってみたら、館の人が案内してくれて、そのまま細かくガイドしてくれた。(ホントに無料だよねと一瞬焦った)
大きくしっかり作られたジオラマが中心の館内は写真もOK。国分寺と国分尼寺、当時の上総の国の話などを丁寧に解説していただけた。

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ここ上総の国分尼寺は全国でも最大面積の大きさで建設に20年かかったことや、全国各国分寺に七重の塔が建てられていたとか、興味深く楽しめた。

けど、
纏めて考えると、、現代でいう国立大学という解釈はまるで間違いで、この寺での修行は帝のために国の安定を祈願するだけの隔離されてて閉鎖された施設。
国府のある所には必ず置かれたというだけで行政や地域にはまるで関係なく、もちろん民間との接触もない。それだけの施設に莫大な建築費維持費を使って全国に造ってたのかと思うと朝廷の威厳も凄いもんだと思うけど、ますます興味なくなった。。

さて、解説映画までみて昼過ぎに館内のガイド終了。
あとは自由に外を歩いた。

館の裏の国分尼寺跡の広場には主要部の回廊が復元されているので、それを中心に見て歩いた。

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この展示館が出来た平成5年(1993)に合わせて復元。
柱の赤い色は復元当初は塗料も昔の物で塗ってたそうだけど、すぐに落ちて今では科学の力で触っても付かない物になってるそうだ。

南側には閉じられた中門もあった。

グルッと正面にまわると復元されてない金堂の部分から中に入れた。(西側にも入口の階段があるけど人がいたので避けてまわった)

この部分は普段は誰も立ち入らない場所だったそうだ、砂敷きの中庭の中心に銅灯篭が立っていた。

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なんか興味薄れつつも天気ポカポカで気分良かった。
芝生では鳥が地面をつつき歩いて飛びまわっていた。近所にも沢山いるムクドリかと思ったら、そうはなくて凛とした姿勢がかわいい渡り鳥のツグミだった。


車に戻って出発。
ちょっとついでにこの近隣にある「上総国分寺跡」にも行ってみた。
ここは前に歩いたことある。(点景にはしてなかったか)

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寺の入口に西門の礎石跡があるけど、寺は史跡とは別で立派な仁王門と更に立派な茅葺きの薬師堂がある江戸時代からの物。
んーやっぱりお寺って雰囲気が好きじゃないんだよな。。

その境内を出ると、周りの広場が国指定史跡の「上総国分寺跡」
見どころは、さっき尼寺跡展示館で説明を聞いた七重塔跡の礎石。1250年前の物。鋸山から船で運んだんだそうだ。
ここに推定60mの赤い七重の塔がたってたそうだ。ふーん。

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今までは国分寺跡に国府跡の情報があるかなーと思って寄ったことあったけど完全な見当違いだったんだね。。
今日はのんびり楽しめたけど、国分寺、国分尼寺は今回で完全に興味薄れたので、もうドライブ先で見かけても寄ることはないと思う。

タグ:観:館 観:寺 観:模 観:庭 観:石 動:鳥

小御門神社

ファイル 1896-1.jpg成田市(旧下総町)名古屋の県道沿いにある神社。
ちょっと辺鄙な場所だけど大きそうな神社で気になっていたので寄ってみた。(字は違うけど、ヒットしてた弁護士ドラマの主人公の苗字と同じ名前だしね)

ら、やっぱり他とは少し格式違うような立派な構え。大きな木の鳥居をくぐった参道は県の天然記念物の森に包まれていた。
この天然記念物「小御門神社の森」の案内板はあったけど、神社の由緒書きとか説明版とかはなかった。。

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並ぶ灯籠の半紙の墨絵を見ながら参道を進むと、時折木々の合間から日差しが見えて、参道脇の緑の苔を照らしてて清々しい雰囲気だった。

参道の奥で右に曲がって社殿が見えた。この配置は伊勢系かな。
囲いの中の菊の紋がある社殿にお参りした。

その拝殿に案内冊子があったので見てみた。
御祭神は藤原師賢。後醍醐天皇の忠臣で倒幕に活躍したけど捕らえられてここ下総に流されて亡くなったそうで、本殿の裏に墓所があるそうだ。

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本殿も拝見しようと横にまわると、苔の生えた地面がサクッと沈んだ。
おお、シモバシラ。
ちょっと歩きづらいので本殿は離れて拝見。
拝殿とは別れる形の鰹木の並ぶ立派な本殿だった。

ファイル 1896-4.jpgそしてまた木洩れ日の参道を、森の樹を見上げながらゆっくり戻った。
雰囲気のいい神社で気分イイ寄り道だった。


そっか、後醍醐天皇の忠臣かぁ。
去年何気なく吉野神社に行った後、南北朝時代とか後醍醐天皇とか少し勉強したいな、、とか思ったものの、ぐちゃぐちゃの覇権争いはやっぱり良く分からず、興味も失せてた。。
んだけど、やっぱあちこち廻ってると触れることも多いよね。小説でも探して少しづつ憶えられればいいな。

タグ:観:宮 観:然 景:森 植:苔

築山

ファイル 1895-1.jpg酒々井町酒々井の県道沿いにある小山。
京成酒々井駅とJR酒々井駅の間にある丘の端の小山で、よく通る県道を印旛側から来ると上に東屋があって展望地になってるようなので、前々から気になっていたんだけど、渋滞ポイントの交差点に入口があるし印旛側から来ることも滅多になかったので寄ったこと無かった。

今日は思いきって寄ってみた。

案内板はなかったけど、階段の入口に「携帯電話観光案内」という標柱にQRコードがあった。QRコードはあまり好きではないので案内は諦めて登った。

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三階分くらいの階段を登ると頂上は程良い広場の公園になっていた。

で、さっそく展望。

けど、
思ってたほど広々とした眺めではなかった。。

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正面中央に今来た県道が延びてて、その右側が京成酒々井駅付近の宅地、奥と左側の低い田圃の部分が干拓前は印旛沼の水面だったところで、往年の手賀沼の広さを想像できるかと思ってたんだけど、左手前の丘の埼が邪魔してあまり広々した感じではなかった。

その左の丘の少し先が千葉氏の本拠地の「本佐倉城」があった場所。その城のオプション的な見張砦として築かれた山かな?と勝手に想像してたんだけど、これなら左手前の丘の方が眺め良さそうだね。

それでも雲多いながら筑波山がハッキリ見えていた。
その手前には成田エキスプレスの高架と水神の森も写せた。

広場の北側には「明治天皇御註驛記念碑」というのがあった。
明帝もここから印旛沼を眺めたのか、、(明治頃は水面ではなくほとんど湿地の蘆原だったと思うけど)

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記念碑の先の北の眺めは木々の合間で街の眺め。
東側も木々茂り眺められるのは北西の旧印旛沼方面のみだった。

タグ:楽:眺 楽<残 景:山 景:町 観:石

女躰神社

ファイル 1891-1.jpg野田市今上にある神社。
去年も年始めに来てて(→)二度目の来訪。
その去年はここで拝んでなんとなく御利益があったと思えたので「今年もまた、、」などと思って来てみたわけだけど、本来は御利益あったならすぐにお詣りに来てその後も折を見て通うのが参拝というものだと思う。。
失礼だとは思うけど、そんなに常々御利益を求めているわけでもないので、まぁいいかな。

ファイル 1891-2.jpg小さな神社で人けもないので賽銭箱は社殿内にあり、小窓から落とす形式。
去年いくら納めたっけ?

ガラガラパンパンと拝んで、願うは去年と同じ事。
「よい女体にめぐまれますように」
相変わらずのバカですなw

そして去年と同じように鳥居の前の葉の落ちた銀杏の木を見て、御利益願ってそのくぼみを撫でた。
(このサイトを見る人で未成年はいないと思うけど、一応別枠にしとこうかなw)

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そういえば去年はタヌキみたいな猫がいたっけ?なんて思って神社の周りを見渡してみた。
けど、何もいなかった。
代わりに小鳥が境内の木々を飛び移ったりしながら啼きじゃれあっていた。スズメかな?とか思ったけどズームで写してみたら腹の黄色いキレイな小鳥(カワラヒワ?)だった。

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タグ:観:宮 楽:触 動:鳥

佐久間ダム公園

ファイル 1890-1.jpg鋸南町大崩にあるダム湖沿いの公園。
駐車場が幾つもあって、湖岸を歩ける木道橋があったのでちょっと歩いてみた。

先に橋の上からダム湖を一望。撮った写真がこんなにピンぼけだったなんて、、

そして木道橋の親水デッキに下る。
下りる段も傾斜緩く足腰痛い者にも歩きやすかったし、岸の斜面にスイセンが咲いていて、近くで匂いも嗅げた。いい香り。
この少し奥あたりが一番濃く咲いていた。

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ファイル 1890-3.jpg親水デッキの中央は広い展望所にもなっててゆっくり湖と水鳥を眺められた。

対岸に渡るとその上の展望広場へ上る道があったけど、どのくらい登るか分からなかったから進まず引き返した。(足腰痛いし)

で、戻って振り返れば、対岸のあの山の上が展望広場っぽく、これは登らないで良かった。危なかった。

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その対岸のダム湖中央の桟橋デッキに車で移動しようかな、と思ってたけど、目的のスイセンの花は充分見れたのでもういいかと引き返した。

タグ:景:湖 観:橋 動:鳥 植:花

道の駅 保田小学校

ファイル 1889-1.jpg鋸南町保田の県道沿いにある道の駅。
廃校となった小学校を再利用した施設で、おととしの暮れに出来たばかりなので去年の正月に来たときは満車で並んでて入れなかった。
ので初の立ち寄り。

まぁ、腹は減ってないので食事は出来ないけど、残念がる必要はないくらいに人が多くて、逆にここで食事のつもりじゃなくて良かったー。

中にはいると、教室を改装した案内所にはジオラマなどがあり、思った以上に教室らしさは薄く洒落たレイアウトになってて、黒板を見て「あ、教室だった」と思い出すくらいだった。

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二階へあがるとモロ学校の廊下と教室が並んでたけど、そっちは宿泊エリアで一般は立入禁止。。残念。(いや、別にそこまで小学校に興味あるわけじゃないんだけどね)
拡張されたベランダ部は「まちの縁側」という洒落た長いサンルームになってて、そこは入れるんだけど土足禁止なので通過。
お風呂もあった。日帰りでも入れるらしいけど、広くはない筈。

下に降りると二宮金次郎は元職員室の軽食店の宣伝人形になっていた。
外から歩くと一階の教室は幾つもの飲食店になってて、どの店も混んでて、特に「学校給食セット」のある食堂は人気で給食セットは売り切れてた。

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そして体育館は広い物産店。
見てまわると気になる物があった。明日の新年会のツマミ用に「鯨ハム」というのを購入。(評判良かった)

懐かしい小学校の雰囲気は意外と薄かったけど、しっかりリニューアルして洒落た現代風の空間になってるのは面白く、歩いてまわるだけでも楽しめた。

タグ:観:建 観:像 楽:買 道の駅