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風頭公園

長崎市街の西隣。標高152mの風頭山山頂にある展望公園。
純粋にナビ地図に展望マークがついてたので展望休憩に来てみた。
そしたらここってあの亀山社中のあった寺町の上だそうで、坂本龍馬の銅像があるらしい。長崎にも龍馬像があったのか。。知らなかった。
こんな人気の時期にわざわざ来たくはないけど、たまたま知らずに来て、朝ですいてたので何かラッキー。

とりあえず歩いた。

ファイル 57-1.jpg
まずは芝生で開けた南側の山頂に登った。
ここが一番高いよねぇ。山頂だよね。
ここでハタ(長崎伝統の凧)を上げたりするんだそうだ。
へー見てみたいな。

ファイル 57-2.jpgそして少し下って北に歩く。
神社や遊具のある普通の公園を過ぎると、ありました坂本龍馬像!
この銅像のこの元の写真って長崎で撮った写真だよね。
その写真を撮った写真家上野彦馬の墓もこの公園内にあった。

ファイル 57-3.jpg

ニッポンの夜明けぜよ

龍馬の背中から朝日が昇ってた。

ファイル 57-4.jpgちょっとセルフで一枚。
日本の行く末を見つめる龍馬と、今日の道すら考えてない男。
失礼しました。。ゴメンナサイ。

龍馬像の前からの展望も見事だけど、展望台は別にあった。
そっちの方がちょっと高いところにある。
で、ぐーんとパノラマで展望。長崎丸見え。いい景色。コレは気持ちよかった。

ファイル 57-5.jpg
↑ click:2500×450

ここでデジカメのメモリが一杯になりそうな事に気が付いた。
あれ?おかしいな。と思って気が付いた!
画像サイズをいつもの五倍で撮ってた。。そりゃ一杯になるわ。
この展望台、誰も来ないし風が気持ちいいから、ここでゆっくり今回のドライブより前の画像を一つ一つ削除した。

ってわけで思った以上にゆっくりしちゃってここで引き返した。

タグ:楽:歩 観:園 観:像 景:陽 楽:眺 景:町 景:山

眼鏡橋

ファイル 56-1.jpg
1634年架設の日本最古の石造アーチ橋。
国指定重要文化財。
中国から来たお坊さんが架けたんだとか。
二度の洪水で半壊したけど修復。
修復だから形は寛永の昔の侭なんだろうね。

ファイル 56-2.jpg連休の長崎のキャッチーな観光名所ながら早朝は空いててガラガラだった。

この中島川に架かる橋は、昔も一度来た事があったけど、昼間で混んでた上にどんより曇ってて印象薄く、すっかり忘れてた。
でも今回は朝日が眩しく影がくっきりした朝で、気持ちよく見れた。

ファイル 56-3.jpg橋の袂から川原(?)に降りてみた
うん立派で格好いい。

この川に映って丸く見えてはじめて眼鏡橋だよね。
水面が若干揺れてたんであまりキレイな眼鏡には見えなかったけど、まあいいでしょ。

ファイル 56-4.jpg川は少し先で渡れるようになってた。

橋が出来た江戸初期の寛永の昔はどんな感じだっただろうね。
かなり異様な石橋に見えただろうね。
っていうかその頃ってもう眼鏡とかあったんだっけ?
(丁度その時代に長崎で眼鏡が作られ始めたんだそうです)

最後に対岸からもう一枚。この位が正面位置かな。
ファイル 56-5.jpg

タグ:楽:歩 観:橋 観:重 観:街 景:川

井手ちゃんぽん

国道34号を西に向かってたら武雄市内に入った所にあったチャンポン屋さん。
ファイル 55-1.jpg対向車線側だったけど繁盛してるみたいだったし、腹減ってたので迷わず入ってみた。
(店の写真は夜景モードになっちゃって思い切りブレブレ。。orz)

ホントはね、ちゃんぽんはやっぱり長崎で食べたかったんだけどね。

でも店は老若男女あらゆる客層で賑わってて、厨房も活気あって期待できた。

で、注文したのはキクラゲ+玉子入りの「特性ちゃんぽん」¥850。

ファイル 55-2.jpg
おお!キクラゲ奮発。すげー。
これは美味しかった。
いままで何回か長崎でもちゃんぽん食べたけどこれが一番うまかった。
味はくどくなく汁も完食。おなかいっぱい。
おもいきり食べられて大満足。

タグ:餐:麺 餐:菜

佐賀城

ファイル 54-1.jpg
佐賀城は天守こそないものの、現存の門櫓が残る。
鯱の門と続櫓。国指定重要文化財。
うん。立派である。寄った価値はある。

ファイル 54-2.jpgその門の扉には佐賀の乱による弾痕が幾つも残っている。
なるほど〜この門は戦火にさらされたんだね。
江戸時代の城の中では一応珍しく戦場になった城のひとつともいえる。戦いの内容はともかく、戦ってこその城だよね。

鯱の門を内側からも見てて初めて城内の本丸御殿に気が付いた。

この本丸御殿、 平成16年に木造で忠実に再建!
佐賀城本丸歴史館として内部入城可能。しかも無料!
おお太っ腹。有難い。
内部も資料展示物以外は撮影可だそうだ。
でも、もう五時四十分。閉館は六時。うわ〜閉まる。。慌てて見て回った。

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中は簡素で整然とした造り。装飾があまりないのは史実通りなのか資料不足からかわからないけど、政務を行う場としては好印象。
1000人の家臣が集まったという320畳の「外御書院」は見事。
そして一番奥の雰囲気がしっとりした部分は現存の建物。「御座の間」という藩主の居室だそうな。

ところどころに資料が展示されてて、チラチラ見ながら興味をそそられたけど時間がない〜。
館内放送で「あと十分」「あと五分」と急かされて、ぎりぎりまで見てた。くやし〜

ファイル 54-4.jpg
門は九時まで開いてるそうなので、その後はゆっくり本丸を歩いた。
復元されてない部分の区画とか、櫓台から堀を見たり、石垣の上から本丸を見たり広々しててのんびり見れた。

そしてひと回りして本丸を出て、天守台跡に登った。
この城は本丸側からは天守に登れなかったようだ。

ファイル 54-5.jpg
天守台は何もなかった。以前はココに協和館という明治時代の建物が再建されてたそうだけど、今はない。城的には適切な処置でしょう。
天守は五層の立派な物があったそうだけど江戸中期に消失。そのまま再建されなかった。昭和に再建されないで良かった。

天守台からの眺めは、たいして良くなかったけど、正面の鯱の門はよく見え、その横の駐車場と自分の車も見えた。
ドコへ行っても展望に駐車場の自分の車が見えると安心するね。

時間的に少し勿体なかったけど、たっぷり楽しめた。

いやいや正直、佐賀って高いビル少ないし、気軽に食べれる名物料理もないし、印象の薄い県庁所在地の町だなぁと思ってたけど、その印象を崩す事なく、その分立ち寄りやすいいい町だなぁ。
こんな中心地の城で駐車場も歴史的建造物再建の資料館まで無料って他に無いよ。また今度時間ある時にゆっくり来たいなぁ。

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大野城跡

ファイル 53-1.jpg大野城は白村江の戦いで負けた大和朝廷が、太宰府の防衛目的で築いたとされる城。
飛鳥時代の西暦665年に建造。
四天寺山というカルデラ状の山の峰に8kmにも及ぶ土塁を築き、谷には石垣を擁し四つの城門を構えた太古の巨大な城。

山そのものというか山並みまるまる城跡という広大なもので、どこにいったら城跡が見れるのかちょっと分かりずらかったけど、先に行った水城跡にあった地図をみてやっと分かった。
一カ所行ってココが城跡!じゃなくて、山を回って何カ所かに点在する遺跡を見て回る感じね。ちょっと途方も無いよ。

で、ここ尾花地区土塁前に駐車場も有り、眺めもよく案内板もあった。取りあえずここらを歩いてみて大野城跡観光としよう。

ファイル 53-2.jpg峰の縁の土塁はしっかりきれいに再現されてた。
この調子で8km全部整ってるのかな?(いや行かないけどね)
そして太宰府口城門跡はここから下ると行けるらしい。。
どのくらい下るんだろう?、、取りあえず後回し。


ファイル 53-3.jpg取りあえず土塁を少し登った。
おお、なんか城壁っぽい。

でもこれ1300年も昔に造るの大変だっただろうな。。
っていうか周囲8kmの城ってイザとなったら守りきれるのか?
太宰府の守りって事だけど、太宰府側もしっかり土塁巡らせて城門造ってたって事は、太宰府を守るというより太宰府の物も人も丸々立てこもるつもりの城なのかな?なんて勝手な想像を思い巡らせて歩いた。

さて、土塁をずっと歩いてたら山登りになっちゃうので適当な所でストップ。焼米ヶ原の上のピークに登って野原を下った。

ファイル 53-4.jpg少し戻って尾花地区礎石群を見た。
土塁からは少し森に入った所にあり、案内は不親切で最初ドコにあるのか分からなかった。

ファイル 53-5.jpg
十棟分の高床式倉庫跡。
全部同じ大きさの建物だったらしい。って、倉庫だけ?どういう風に運営してたんだろうかねぇ?

とりあえず、その時代の城なんてよく知らないし(判明してない事もおおいだろうしね)こんな規模のでかい城なんてのも初めてだったので、色々と不思議で勝手に想像したりして楽しく歩けた。

あ、城門跡、、は、いいや (^ ^;Δ

タグ:楽:歩 観:城 観:史 景:山 景:町

水城跡

ファイル 52-1.jpg大和朝廷が太宰府防衛の為に築いたと言われる、1.2kmにも及ぶ土塁の跡。
大野城の跡地を探しててたまたま見つけて立ち寄った。
これも大野城とセットでの一大防衛ライン設備らしい。
ここから西隣の丘までの間1.2kmを塞ぐように造られた長い土塁、それが「水城」だそうな。

その水城の東門跡に駐車場があって、水城から大野城に繋がる山の駆上がりの丘が展望所になっていた。
上から水城跡もよく見え、町も遠く見下ろせた。

ファイル 52-2.jpg
↑真中のやや右の森っぽいのが水城跡。こんな感じで高速などの道路や線路に削られながら1.2km続いて残ってる、1300年前の土塁。click:1700×400

実際は700年前の蒙古襲来の時に改修されたとあるから、実質その時代のバージョンなんだろうね。

丘から降りて、県道を挟んだ反対側の広場からも水城を見てみた。

ファイル 52-3.jpg
ん〜高速道路より全然立派だな。
っていうかコレってやっぱりかなりの人が使役されたんだろうな。

その水城跡の前には一面に濃ピンクのレンゲ草が咲いていてキレイだった。
ファイル 52-4.jpg

タグ:観:城 植:花 楽:眺 景:町

宇美八幡宮

ファイル 51-1.jpg宇美八幡宮は福岡市の少し南東にある神社。
安産や子供の成長を祈ってお参りする神社だそうな。。(知らなかった)
なんでも神功皇后が応神天皇を産んだ所なので「ウミ」という地名になったそうな。
僕は子供もいないし妊娠してもいないので神社には用はなく、、目的は巨木。大楠。

たいていの神社は御神木として老木の巨樹をでん!と一本守ってるもんだけど、この神社境内は国指定天然記念物の楠木二本を含む何本もの大楠が集まっている巨木林になっているとの事で興味を持っていた。

神社に入ると入口あたりからして太い楠が生えていたけど、それは普通の楠らしい。
奥に進んで拝殿の右横に大楠。まずは「湯蓋の森」

ファイル 51-2.jpg
この木の名前が「湯蓋の森」と言う。
いきなりその名前が「森」って凄いね。
幹周15.7mの国指定天然記念物。
宇美八幡の祭神になる応神天皇がここで産湯につかった時に、蓋をするように枝が覆っていたんだそうな。
ふーん。応神天皇っていつ頃の方?
その言い伝えからすると樹齢は何年?はっきり書いて無かったし、帰ってきて調べてもサイトによってまちまちだった。。

そして拝殿の左奥の「衣掛の森」

ファイル 51-3.jpg
この樹も森!っていうか何か凄い形の巨樹だなぁ。
ファイル 51-4.jpg近寄ってもよくわからない形の巨樹。若い幹が横からも出てて「J」の形。
なんか幹を見ると苔むしてたりして岩山の様で森って感じする。
幹周20mの国指定天然記念物。
この樹は環境省の日本の巨樹で六位の樹。
でもこのランキングって幹周りの太さでの順位なんだよね。

「衣掛の森」は応神天皇がここで産湯につかった時に、神功皇后が衣を掛けた樹という話らしい。
って事は伝説通りなら樹齢二千年くらい。
いやいや多分、そういう樹がその時代にあって、この樹達は二代目とか名前を継いだ樹ってことなんだろうね。

ファイル 51-5.jpgそんな伝説や番付や神様はどうでも良くて、それよか巨樹の森に包まれた神社の風景と空気をのんびり味わえればそれで良しなのです。
だって名前も説明もない何本もの大楠もそれはそれは立派なんだもの。

新緑の神社でのんびり森林浴、のつもりが、境内で工事してて重機がうるさく、、余り落ち着いて見れなかった。。
でも雰囲気いい森だった。子供が出来たらまた来よう。

タグ:植:樹 観:然 観:宮 観:伝 景:森

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