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今子浦海岸

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香美町香住区境の日本海に面した香住海岸の西奥の一部。
ここは以前からネタ帳に載せてた場所。

ファイル 1590-2.jpgそのネタはもう一目瞭然ですな、あの黒島の前に見えている「カエル岩」。
蛙ネタでいろいろ検索してて気になってた所。
いやぁ実際見たらここまでカエルの形だとは驚いた。

ここは昔から北前船の乗組員が無事かえるようにと願った祈願岩だったそうだ。

さて岩場の千畳敷の海岸を少し歩いてみた。
手前の奥には「但馬赤壁」の断崖。夕陽に染まると赤い屏風になるそうだ。

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「カエル岩」まで行けるかな?とか思って歩いてみたけど、間離れてたし波も荒くてあまり進むのは危ないかな?

千畳敷の岩の合間の磯には生き物を見かけられなかったけど、たまに皹のような皺の入った黄色い岩とかあったりして、おだやかな西側の海面にはカモ(?)がプカプカ浮いてたりして、のんびりした風景。
いい景色でいい休憩。

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ここから「大引の鼻展望台」という案内が出てた。行こうかと思ったけど、どのくらい歩くか分からなかったからヤメといた。

タグ:景:岩 景:海 景:島 景:崖 景:磯 観:蛙 動:鳥

道の駅 あまるべ

ファイル 1589-1.jpg香美町香住区余部の178号沿いにある道の駅。
JR山陰本線の余部鉄橋の袂にある。
そういえば前にまだ赤い鉄橋が解体される前に来たときは道の駅じゃなくただの駐車場があったんだっけ?
(以前来た時の日誌→)

混んでたから通過、、と、思ったけどトイレ行きたかったから寄ってみた。小さい駐車場で無理かと思ったけどいいタイミングでいい位置に停められた。

トイレ済ませて、新しく架け替えられた余部橋梁を見上げてみた。
この細く長く高い感じはコンクリの新しい物でも壮観で、そんない悪くないと思う。
この場所こそ山陰!みたいなキャッチーな風景は健在じゃないかな。

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ファイル 1589-3.jpg道の駅内や隣の建物はプチ余部鉄橋資料館コーナーにもなっていて、模型とか色々あった。
旧橋梁は明治末期の建築で、当時は東洋一の橋梁、トレッスル式鉄橋としてはその後も日本一だったそうだ。

さて、店内他を覗くとここにも御当地バーガーがあった。ので、食べようかと思ったら「今混んでて調理に30分くらいかかりますが、、」といわれてヤメタ。

て、わけでトイレと橋を見上げただけで出発した。


けど、帰ってからネットで見てみたら、、
なんと赤い鉄橋の少し残した部分は登れるそうで、上は「空の駅」という展望台になってるそうだ!
がーん、、知らなかった。
っていうか、何で道の駅でもっとアピールしてくれてなかったんだ、全然気づかなかったよ、、
くやしい

タグ:観:鉄 観:橋 観:模 楽<残 道の駅

宮本武蔵初決闘の場

ファイル 1585-1.jpg兵庫県佐用町平福の373号沿いの佐用川流域で、かの宮本武蔵が十三歳の時に始めて決闘したと伝えられる場所。

この373号は宮本武蔵ゆかりの地への国道というべきルートで、いつかそういうテーマで来たときに走ろうと思ってた道。
なので、いちおう道路上に「初決闘の場」なんて案内を見かけたからには寄ってみないとねぇ、、なんて感じで寄ってみた。

風景的には特別良いも悪いもない田舎の川沿い。
駐車場らしきスペースで車を下りてみると、佐用川に架かった橋の前に案内板があった。

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この金倉橋のたもとで有馬喜兵衛の「何人たりとも望みしだい手合わせいたすべしわれこそ日下無双の兵法者なり」という挑戦の立て札に応えて決闘し勝利したそうだ。(と「五輪の書」の自伝の巻に書かれてるそうだ)
ということで、川沿いにはその立て板が再現されていた。

十三歳といえば、昔は数え年だから今でいう満十二歳、小六くらいかな?
子供に木刀で打ち殺された有馬ってどんな兵法者だったんだろうか。。
(自伝だしね、、 実際は橋の下のホームレスを暴行して殺しちゃったとかだったりして)

そして脇にある「金倉の六地蔵」というには、江戸時代にあった平福藩刑場の供養で立てたものだそうだ。
江戸時代中期に飢饉からの百姓一揆て捕まった義民の牛右衛門もここで処刑されたとか。
なんか、なんでもない田舎の川沿いの風景だけど、歴史的にはいろいろと惨たらしく殺された人達の怨が溜まってそうな場所だね。。

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現在の金倉橋に立つと、そんな剣豪ヒーローのデビューの地とも、刑場のおどろおどろしい地とも感じさせず、のどかで静かな景色。
張りつめた感じもいやーな雰囲気も全然なかった。

川原もそんなに広くなく、決闘するには向いてないような場所。
昔は地形違ってたのかな。
シラサギが水辺でひょこひょこ歩いてた。

ファイル 1585-4.jpg近隣の案内板は妙に明るくマンガチックで浮いていた。

案内をみると、
この川向かいにあった利神城の城主の娘と宮本武蔵の父が再婚し、その継母に武蔵は育てられたんだそうだ。
そして7歳で父が死ぬと、また再婚した元継母を追ってこの平福に来てたそうだ。
なんだここらで暮らしてたのか。
この初決闘の場以外にも、もっと観光に向いたゆかりのスポットが紹介されててもいいようなもんなのに、、
っていうかむしろ、刑場跡地より地場よさそうなトコで、剣豪ヒーローを夢想させてほしいよね。

タグ:景:川 観:橋 観:像 観:伝

明石SA

ファイル 1584-1.jpg明石市大久保町松陰の第二神明道路にあるサービスエリア。
昨夜ここで寝るためだけに乗った有料のバイパスだけど、サービスエリアだけに24時間やってる食堂もあって至れり尽くせり。
去年初めて来たばかりのトコながら、今後西行きドライブのいいポイントになりそうだ。(去年の→)

明石方面の下り側の「神戸食堂」は閉まってたけど、店内で神戸方面の上り側に通れて、そっち「明石食堂」は24時間開いていた。ナイス。
これは毎回そうなのかな?週替わりとかで「神戸食堂」が開いてる週とかないのかな?

ってわけでまだ暗い5時過ぎの早朝だけど、ここで朝食。
今回のドライブはPASAで早朝飯の連ちゃんだ。

「明石海峡たこ玉丼」が気になったけど、少し軽めに「明石たこめし蒸籠」(+味噌汁セット、、別だった)にしてみた。

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うん、朝でもしつこくなくて丁度よくおいしい。
でも蒸籠にしたらタコの風味が充満してそうだなという期待は少々はずれて、タコはタコで飯は飯って感じだったのが些ざんねん。
まぁそれぞれ一緒に食べれば同じだけどね。


食後、おもてに出たらすっかり明るくなっていた。
日が延びて嬉しい。
あ、そうか今日は春分の日だったな。

そして上下線の間の休憩スペースにモニュメントみたいな日時計があった。
明石は日本標準時子午線のある都市。日本の時間はこの明石を基準に合わせてるんだよね。
そんな明石で春分の日に朝を迎えるというのはなんか縁起いいね。
今年のドライブは常に良い朝を迎えられそうな。

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でもどうせ立てる日時計なら、もう少し朝から日の当たる場所に設置するか、少し盛って高くするかして欲しかったね。
とか、余計なもんくは考えずに気持ちよく朝からドライブ開始した。

タグ:餐:飯 餐:魚 楽<残 観:装 観:P

甲賀流忍者屋敷

ファイル 1583-1.jpg甲賀市甲南町竜法師にある甲賀忍者筆頭格の望月氏本家旧邸。

観光スポットで入館料650円でいつもなら考える事なくパス!なトコだけど、見た目古民家だったせいか何故か乗り気で一箇所くらいは恥の掻捨てでもいいかなとか思って入ってみた。

外は静かだったけど中は結構お客さん入ってて賑やかで、ちゃんとガイドで分かりやすい説明が聞けた。

屋敷は江戸中期の元禄に建てられた物で、進入した者から逃げる仕掛けや捕らえる仕掛けなどが施されていて、実に忍者屋敷らしいからくりのある造りでキャッチーで面白い。

近代では昭和の30年代まで普通に屋敷としてとくに気にせずに使用してたそうだ。
っていうか、戦国時代ならたくさん暗躍しそうな忍者だけど、平和そうな江戸時代でも進入されたりしてたのかねぇ?一応忍者の頭領だからってことで趣向として造ったからくりなんじゃないの?とかひねくれて最初は疑って聞いてた。

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落とし穴、どんでん返しの抜け穴、紙で開く窓、内側からは開けられない板襖、二階三階への階段は無く、登ったら外せる梯子や縄梯子を使ってたそうだ。

ガイド説明を聞いた後にその梯子で二階に上がってみた。
二階はやたら低い屋根裏のような空間。中二階だね。動きづらいので忍んできた敵を誘い込んで三階と一階から挟み撃ちにしたそうだ。(実際にしたのかな?)屈んで移動。

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三階は広く高い悠々した屋根裏空間(結局屋根裏か)暗い中での会議でも使われてという忍者っぽい話。

ファイル 1583-4.jpgあとは一階に戻って展示品とかを見た。
クナイや手裏剣や撒きビシ、仕込み刀に仕込み銃、水蜘蛛の足に填めるような輪は実は浮き輪のように腰の高さで使ってたそうだ。

っていうか、、、
ホントに忍者らしい忍者っていたんだねぇ。

実は僕は忍者って信じてなかったんだよね。
忍者って今でいう産業スパイみたいなもんで、騙したり眩ましたり裏をかくってトコを平和な江戸時代に噺家や演劇の誇張と創作で広げて忍術だのの奇術使う漫画的イメージが一般化しちゃっただけだとばかり思ってた。
けど、ちゃんと黒装束着て、修行して、飛んだり跳ねたり手裏剣投げたり、煙出して隠れたりしてたんだ。。
ちなみに甲賀忍者と伊賀忍者の違いを質問してみたら、使う物や技に違いはなかったそうで、大きな違いは、甲賀は一族の結びつきが強く伊賀は個別活動だそうだ。

へー、そうなんだ。と、意外と素直に面白く楽しめて入ってよかったと思った。


んー、、
でもやっぱ帰ってきてから改めて冷静に考えるとホントか?と疑わしい。
この屋敷も江戸中期のものだしね。(観光用に改修してるだろうし)
江戸時代には既に流行っていた「忍者っていうのはこういうものだよ」っていう漫画的イメージに沿って造られたというような気がしてならない。。

タグ:観:屋 観:装 観:具

道の駅 あいの土山

ファイル 1582-1.jpg甲賀市土山町北土山の1号沿いにある道の駅。

道の駅はさっき寄ったばっかだったけど、鈴鹿峠こえて下ったトコにあった歴史ルート公園「鹿深(かふか)の道」というのが気になって情報をと思って寄ってみた。

この道の駅はあまり寄らないトコだけど、実は始めて車で寝た道の駅が此処だったと記憶してる。(98年のGW。日誌には仮眠って書いてるね)
ここで寝て朝起きてカエルの啼く田圃の雰囲気が良くて、車で寝てドライブする良さが味わえて、後の長距離走へと繋がる黎明の地として思い出深い場所なので、一度は点景に記したいとは思っていた。

ファイル 1582-2.jpgさてさて、
館内には近隣の観光地の情報が色々張り出されてた。

無料サービスの「土山茶」を飲みながら(関よりサービスいいね)見て回ったけど、「鹿深の道」についての情報はなかった。。
ちなみにサービスの「土山茶」は割と濃いめの渋いお茶で、しっかり味出てて硬派なお茶だった。

一品買うついでに店の人にも「鹿深の道」を聞いてみたけど、そういう案内が出てることさえ知らなかった。。
え?そういうもん?

その買った一品は土山茶のクリ-ムパン。
パンにもクリームにも土山茶が練り込まれた緑色のパン。
この道の駅は土山茶づくしで食事も面白そうだし、抹茶ソフトは自分で好きなだけ巻けるという面白そうな道の駅。暑い季節にまた来たい。

で、今は腹減ってないから、パンは後で食べようと思ってたんだけど、写真撮るの忘れそうだから一口だけ食べとこうかなとパクついた。

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ら、意外や意外、抹茶系のまろやか系かと思いきやサニアラズ、しっかり緑茶の渋味あるおいしさ。あーこれおいしい。
とりあえず一口だけのつもりだったけど、ついつい続けて食べちゃって、走り出してすぐにペロリと食べちゃった。
おいしかったから引き返してもうひとつ買っていこうかな?なんて思ったくらいだったけど、さすがに戻らなかった。

また次来たときにも売ってたらいいな。

タグ:餐:麭 餐:飲 道の駅

道の駅 関宿

ファイル 1581-1.jpg三重県亀山市関町新所町の1号沿いにある道の駅。

ここは何回か車停めて寝るのに利用してる道の駅。三回くらいは寝てると思う。
昼間の店が開いてる時間に寄ったのは初めてかも?なので点景も初投稿。馴染みある場所なのにちょっと意外。

で、食事しようと覗いてみると、いろいろと興味引く御当地メニューが並んでた。

「亀山ラーメン」も気になったけど朝食につけ麺食べてたからやめて、ここはやっぱり亀山名物の「みそ焼きうどん」にした。
定食セットにしようかと思ったけど、「たぬき俵にぎり」というのが面白そうだったのでそれを添えてみた。

「みそ焼きうどん」は何度か食べようと思って亀山市街に行ったけど混んでたのと、お一人様で焼肉屋の雰囲気っていうのと、やっぱり辛いんじゃないかという不安から腰が引けて、結局やめたり通過したりで食べたことなかった品。最近テレビでも見かけるよね。

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さて、その「みそ焼きうどん」は八丁味噌っぽい甘い風味の味噌なのがちょっと意外だったけど、そうか中京圏ではこれがデフォな味噌なのね。
甘い感じもイイじゃない、、、 と食べてたら、後から辛味がきた。

げ、やっぱ辛いのか。。。

僕が我慢しつつ食べられるくらいの辛さなので一般的にはカライとはいわない程度なんだろうけど、やっぱり市街の店には入らないでよかったと思った。

付け合わせた「たぬき俵にぎり」はここら辺の名物だそうで、天かすと青ネギの入った香ばしいおむすびで、これは安心の美味しさ。
巻いた海苔が油っぽいので手で食べるより箸で食べたい所だけはマイナスな気がするけど、このおいしさで「みそ焼きうどん」で溜まったストレスは解消できた。

ファイル 1581-3.jpgさて、食後は「亀山茶ソフト」というのも狙ってたけど、まだソフトに触手動く気温じゃないのでヤメた。
かわりに草餅と亀山茶でお腹に優しく一息ついた。

いやしかし、あんことヨモギにお茶の組合せって最強だよね。落ち着くよね。
亀山茶は割とサッパリ目ながら風味ある爽やか系。印象は薄いけど程良い感じ。

その後は少し関宿の街でも歩こうかな?とか思ったけど、そういえば以前早朝に車で通り抜けた事があったのを思い出してやめた。

タグ:餐:焼 餐x辛x 餐:飲 餐:餅 道の駅

道の駅 茶倉駅

ファイル 1525-1.jpg松阪市飯南町粥見の166号沿いの丘の上にある道の駅。
ここらで食事しないともう食事できない時間になっちゃうなぁと思ってたけど、入口の道の駅の案内表示には食事マーク(ナイフとフォークの)は無く喫茶マーク(コーヒーカップ)しかなかったので、ああ無駄だったかな、、とは思いつつ、まぁトイレと先の道選び休憩でいいかと寄ってみた。

で、あまり広くない駐車場は停まってる車も多くてギリギリ停車。なので休憩してる人もいて賑やかだったけど、洋風な店はなんか閉まってそうな雰囲気。。
だけど、ちょっと覗いてみたら意外と普通に営業してて、ちゃんと軽食コーナーもあって食事できるようだった。
まぁさすがに松阪牛みたいな重いメニューはないけど、名物うどんみたいなのはあったのでありがたく食事。ナイス。

ファイル 1525-2.jpgお茶を練り込んだという「お茶うどん」にしてみた。

食券だして待つ間、店の前のテラスに出てみたら、目の前の櫛田川の谷間が良く見えていい眺めだった。
写真は正面だけだけど、この国道と逆の左の岸の集落には茶畑が見えて、なるほどお茶が名産かと「お茶うどん」にして良かったとか思った。

そしてその「お茶うどん」真ん中に大きな椎茸が浮かんでいた。

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うん、軽いお茶の風味がほどよく味わえるうどん。
汁は普通のだし醤油だけど、大きな椎茸もおいしくてなかなか満足。
本日最後の食事にしては軽すぎるかとも思えたけど、何故か午前中に食べたサンドイッチが腹持ち良くてこれで丁度イイくらいの腹加減だった。

松阪に行ったのに牛肉は無しかい、、と思う人もいるかもしれないけど、ここに来る間の街道沿いの肉料理の店はどの店も鶏肉(カシワ)料理って出てた。地元の人はカシワ焼肉のほうが全然メジャーなソウルフードのようだ。
なのでむしろそっちを食べたい気になってたけど、どこの店ももう夕方前で混みはじめたようで、「焼き肉で一杯」みたいな雰囲気な時間だもんで通過通過で道の駅まで来たって感じ。旅行者向け料理も地元民向け料理も時間とタイミングが難しいよね。道の駅で食事できて良かった。

タグ:楽:眺 景:川 餐:麺 道の駅

旧長谷川邸

ファイル 1524-1.jpg松阪市魚町にある商家屋敷。
松阪というと「牛」ばかりが浮かぶけど、町としては商家の栄えた町で、なかでも江戸店持ちの松阪三大豪商といわれるのが三井家と小津家とこの長谷川家だそうだ。
(凡人の僕は財閥と三越を創った三井家しか知らなかった、、)
休日のみの公開で無料だそうで、最近発見された大判小判に興味を持って軽く覗くだけのつもりで来てみたんだけど、入ってみたら10分後にガイドツアーが始まりますと言うので、んじゃあ聴いていこうかなとゆっくりした。

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ガイドツアーは、まずおもてに出て敷地の広がりの変遷や建物の造りなど分かりやすく解説。
そして中に入って長谷川家のしきたりや江戸店へ行き来する使用人の話などを聞いた。

そして一番沸いたのがガイドツアーでしか開けないという大蔵の扉。
千両箱も開いたり、大きな御用箱も見せてくれてガイドさん体力勝負だね。おつかれさま。

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大正建築の屋敷はでかく、続きの間の先の隠し門とか灯籠の根元のマリア像らしき謎の彫刻(合掌してる地蔵の形に見えたけど)
とか、元奉行所だったという裏庭の庭園には立派な稲荷神社やスッポン岩や餅を担いだ人の像とか色々あった。

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この庭園でガイドツアーは終了。とても分かりやすく楽しめた。
ところでこのガイドの人は松阪を「まつか」と言っていた。あれ?「まつか」が正しいのかと思ってたけどと聞いてみたら、「そうなんだけどみんな言いやすいからまつざかと言ってる」そうだ。「いばらき」と書いて「いばらぎ」と発音するのと一緒ってことか。。

ファイル 1524-5.jpgそして後は自由に米蔵に展示された大判小判を眺めた。
去年見つかったばかりの物だそうで、ずっと千両箱の中で保管されてた為に珍しいほど綺麗な状態。キレイすぎて本物?と疑っちゃいたくなった。

んー面白かった、と、外に出て時間を見ると、なんともう2時半過ぎ。。城も含めて松阪で2時間半もふらふらしてしまった。。
急ぎ足で駐車場へ歩いた。
途中、松阪牛の店があったけど、ちょっと食事の時間には早いから、、とか、どうせ高いんでしょ、、とか思って通過。
でも、歩いてたら道々その店の案内が沢山出てて気になってスマホで検索してみた。 ら、意外とリーズナブルなメニュー(牛丼800円とか)もあったりして、んーどうする?松阪に2時間半もいて、牛肉食べずに帰るのか、、、などと考えてるうちに駐車場の前まで歩いて来たんだけど、あーやっぱり食おう!とか思って引き返した。

けど、、こんな半端な時間でも店には並んで待ってる人が沢山いた。そりゃそうだよね。みんな食べたいよね。
、、、待ってられないのでやっぱヤメた。
そんなわけで、無駄な往復の時間も加算されて、車に戻ったのが3時過ぎ。。うわぁ

タグ:観:屋 観:具 観:庭 観:像 観:石 楽:話

御城番屋敷

ファイル 1523-1.jpg松阪市殿町にある武家長屋。
二の丸から眺めてて面白そうだったのでちょっと歩いてみた。
キレイに続く生垣と凹凸の無い石畳で見た目のいい雰囲気の通りだった。
入口の案内によると、文久3年(1863)の幕末に御城番として赴任した武士の組屋敷として建築されたそうで、今でもその子孫が生活している建物だそうだ。へーすごい。

ファイル 1523-2.jpgで、まず入ってすぐの脇に蔵があった。
これは江戸時代末期に隠居丸(鈴屋のあったトコ)に建てられた三棟の土蔵の内のひとつが払いさげられて移築したものだそうで、おー!と思ったけど「このことが事実ならば、松坂城の唯一の現存する建物となる」という微妙な書かれ方の案内板。。事実ならばって書いてる時点で怪しいよね。

そして御城番屋敷。やっぱり生垣がカッコいい。
現役の町だから屋敷は覗かない方がいいんだけど、一番手前の屋敷だけは入館無料で公開されていた。いいねー。
(入口に「三重県立松坂工業高等学校誕生の地」という石柱が立っていた。??武家屋敷で学校って事??)

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中に入ると意外と広い屋敷で驚いた。
前に行った赤穂城の長屋門みたいな二間くらいの質素な物を想像してたけど、六畳間×四で天井も高く広々した屋敷で、ゆったり暮らせそうな雰囲気だった。

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という感想を管理してた案内役の女性に話したら、思いもよらぬ詳しい解説の話が聞けた。
なんでも、パンフやネットに掲載された幕末築の武家屋敷というのは大嘘で、実は明治維新後の廃城後に建てた浪人長屋だそうで、大きさも半分くらいだったものを修繕時に建て増して天井も上げて現代でも暮らせるサイズにしているんだとか、、
たまに「城内三の丸にこんなものが在った訳がないだろう」と詳しいお客さんが怒りながら来られることもあるそうで、「御城番地区長屋」って名前に変えて明治の遺産と公表して欲しいと市には何度も言ってるんだそうだ。。あらら。
凄いぶっちゃけ話を聞けて楽しかった。
(っていうか、帰ってからネットで見たら確かに何処にもそんな話は出てなくて「逆にかつがれたか?」とか思えるくらいだ)
そして城下の商家屋敷などは嘘偽りなく見所もかなり多いのでと色々薦められて興味持てた。

ファイル 1523-5.jpgまぁ、御城番という名の地区にある元武士が暮らした長屋屋敷という事には違い無い。
雰囲気を楽しむ観光地としては散歩する気になる町と通りで悪くないと思えた。
(あ、工業高校のこと質問するの忘れてた。。)


ファイル 1523-6.jpgで、ここで引き返すつもりだったのが、話し聞いてもう少し町を歩いてみたくなり商家屋敷とかも見てみたくなって、ついつい更に散歩。
三の丸ってどこまでだったんだろうなーとか思いつつ、「原田二郎旧宅」とかを覗きつつ、生垣の続く城下町の宅地を歩いた。
途中からはこの「御城番屋敷」で見かけた観光客の人に声かけられて、ついつい一緒に話しながら(奈良から来た人だそうだ)ぐるっと旧長谷川邸まで歩いた。

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