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岩屋神社

ファイル 1381-1.jpg東峰村宝珠山岩屋にある神社。
下の越前岩屋駅で見た近隣案内にあった「岩屋の奇岩群」というのがこの神社内にあるようなので(というか奇岩群内に神社があるって感じかな)、ちょっと登って見れるくらいなら行ってみよう!ってくらいの気合いで寄ってみた。

案内図を見ると、奥までは大変そうだけど手前の岩屋神社本殿までならそんなでもないかな、、、って感じに思えた。
国指定の重要文化財だからね。そこまでは行きたいよね。

で、やっぱ最初からそれなりの勾配。
天然記念物の「玄海ツツジ」を見ながら少し登ると、その上には天然記念物で御神木の「大イチョウ」があった。樹齢推定600~700年、戦国時代の宝珠山焼討ちにも耐え残った高さ36mの巨木だそうだ。

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そして更に登る。

その上に社殿があったけどこれは琴平神社とあった。
その横は地蔵のエリアになってて、あれ?神社なのに地蔵?とか思いつつ案内を見ると「岩屋の首無し地蔵【千体地蔵・五百羅漢】」とあり、よくみると首のない地蔵だらけだった。
これは神仏習合で共に祀ってた当地で、明治政府の廃仏毀釈で破壊された物だそうだ。
首のある物もあって「合掌童子」というのが可愛らしいかったけど、口に苔が生えててちょっとつらそうに見えた。

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「馬の首根岩」の洞門をくぐって先に進む。

したら、その先に岩屋神社本殿が見えた。。 上の方に。
長い石段の上の方に。 急勾配の石段の上の方に。
んー、、、やっぱりここは登るよね。国重文だしね。

石段は岩を削ったような段で滑りそうな感じなので慎重にゆっくり登った。(友達のくにさんはスタスタ登ってっちゃった)
勾配はキツかったけど段差が低く細かいので思ったよりは登りやすかった。

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で、「岩屋神社本殿」国重文。
大きな岩の前に張り付くように鎮座してて近くてうまく写せなかった。
元禄11年(1698)の建立で、中には御神体の「宝珠石」があるそうだ。

社殿の先に出ると朝日が眩しかった。
目の前の岩の上に立てば眺め良さそうだったけど、そこまでは鎖で岩肌を上り下りする道、、、これは諦めた。(太る前に来れば良かったw)
けど、その岩(馬の首根岩)の上から振り返ったのが「岩屋の奇岩群」で惹かれた写真の場所だったそうで、社殿の裏の大岩「権現岩」がよく見えたらしい。

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岩屋神社本殿から少し後方に「梵字岩」という岩があって「針の耳」という割れ目があった。
説明には、これは女性性器を表した物で親不孝物が通ると石が落ちる。とあった。
どれどれ、、、と、くぐろうとしたけど、太くて通れず、入口を擦って諦めた。。(いやいや変な意味じゃなくて)

これも諦めて梵字岩を回って先に進むと、また見上げた岩の途中の洞に熊野神社があった。

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貞亨3年(1686)建立の国重文。
説明によると、岩壁に柱穴が残っているので中世にはもっと大規模な社殿があったらしい、、とあった。
ここは登らなくていいよね。見上げてるくらいがいい感じだよね。

そして奥の方へ少し下ると不動像の分かれ道があった。
右正面へ進むと奥の院、左脇に進むと大日社。
入口だけじゃなくてこういう中間の分かれ道にも案内図があったらいいのに。
んーどうだろう、遠いいのかな、進んだら他にもいろいろあるのかな、、と思いつつ、ここまででももう充分いろいろあって満足だったのでこれ以上は進まずに後ろの下る道に歩いた。

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森の中の木漏れ日も爽やかだった。

降りてきて入口の案内図みたら不動像の先はどっちも急で、長い石段か鎖場のガクブルの岩の道だったようだ。。行かなくて良かった。

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筑後川昇開橋

ファイル 1380-1.jpg佐賀県佐賀市諸富町と福岡県大川市の間を流れる筑後川下流部に架かる国重文の昇降式可動鉄橋。

その大川側の袂に日帰り温泉「大川昇開橋温泉」があり、来てみたら橋の部分が公園になってたので、もう暗いけど風呂の前に歩いてみた。
公園の階段を登るとそこは「筑後若津駅跡地」だった。
ああ、鉄道用の橋だったのね。

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ここは旧国鉄佐賀線として昭和10年に竣工し、昭和62年の国鉄民営化直前の廃線前まで現役の鉄道橋だったそうだ。
でも廃線後も解体されずに平成8年に公園の遊歩道橋に補修。公園内にタイルが線路跡になってるのが寂しいねぇ。
鉄道ファンだったら列車でこの橋を渡ってみたかっただろうね。

そしてライトアップされて彩られた橋を渡ってみた。
ちょっとカップル向けのスポットか?って感じだったけど、そういう人影はなく気楽にゆっくり歩けた。
橋の鉄塔は30mで東洋一、更に現存する可動橋としては最古の物だそうだ。

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うん、なかなか立派でカッコイイ。ライトアップされた鉄橋っていいねぇ。鉄骨感がイカス。
夜は中間の昇降部は上がりっ放しだけど、昼間は一時間毎に下がるそうだ。

対面の佐賀県側にも二人組の人影があったのでカップルかとおもった、、ら、向こうも男の二人組だった。(いや、そういうカップルだったのかも? なーんて向こうにも思われてたりしてねw)

そして橋を戻って「大川昇開橋温泉」へ行った。


ファイル 1380-4.jpg温泉は入口で見たら『温泉券付き選べる定食セット』で1000円というのがあって(入浴は600円)
「これめちゃくちゃ安くない?」と二人で言い合ってそれにした。

そして入浴。
湯は薄く濁った源泉掛流しで、大きい内湯からも露天からも正面に昇開橋が見えた。

いつもの如く露天風呂で話ながらゆーっくり入ってたけど、そういえば風呂に入り始めたのはもう8時前。「食堂って何時までやってるんだ?」と不安になり、少しあわててあがったのが9時頃。

でも食堂は普通に賑わってて10時半までやってるそうだった。
「なーんだ慌てることもなかった」と思ったけど、選べる定食セットは売り切れメニューが増えてあまり選べない状態だった。。トホホ。
ってわけで「鯖竜田揚定食」にした。

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うん、ふつーに柔らかい鯖の竜田揚。ふつーにおいしかった。
近所の日帰り湯に欲しい値段のメニューだわ。
友達のくにさんは+500円の「ステーキ定食(だったかな?)」にしてた。見た目豪勢だけど「そんなにたいしたことないから1000円のセットの方がよかったかも」と言ってた。。

せっかく九州まで行ったんだから、リーズナブルな食事で喜んでないで何か特別な料理を食べなよ、、と思われるかもしれないけど(帰ってきてからの自分もそう思う、、)このくらいの気負いなさがいいんだよね。
いいもの、、面白い物、、とか思ってると食事自体逃しちゃうからね。

あーそういば、、近くの席の人が食べてた「エツの南蛮漬け」(エツというのは有明海にしかいない魚だとか)というのも興味引いて追加しようかと思ったけど、、鯖の竜田揚と並べて食べるのもどうかなと思ってヤメた(;^_^A
(そこは喰っとくべきだろうww)

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帝踏石

ファイル 1363-1.jpg北九州市小倉南区朽網西にある石の史蹟。

ナビ地図で見かけて気になってきてみたんだけど、思い切り閑静な住宅街の中だったので、標柱か案内板ひとつだけで、昔そういうのがありました的なトコかなーとか思いつつ進んでみたら、、
いきなり宅地の間に巨石が現れてビックリ。
おーおー
これはなかなか面白い。車を停めてみてみた。

巨石の上には石柱に篆書体で「帝踏石」とあった。
その下にあるのが案内板かなと思ってみてみたら、、遊んで怪我しても一切責任を持ちませんという注意書きだった。
そういう了解の上で、柵とかで閉鎖せず、立入禁止にすることもなく開放されているのがいいなーと思った。

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周りを一回りまわってみた。
なんかいいな。わくわくするな。

ってわけで登ってみた。いや登るでしょ。登るよね。
雨で濡れて滑りがちなので一応慎重に登った。

ファイル 1363-3.jpgうん、そんな高くないけどやっぱ登っただけで気持ちいい。
大きくて平らな石がならんでて上から見ても立派。
これは子供なら遊ぶよね。
自分が子供の頃に近所にあったら絶対遊ぶよ。

そして「帝踏石」とあった石柱は裏に「景行天皇十二年~」と由縁が彫られていた。けど読みづらいので諦めた。
帰ってから調べよう。

なんか気まぐれで予備知識ゼロながら面白いトコに寄れてよかった。


ってわけで帰ってから調べると
この石はヤマトタケルの父親の景行天皇がこの地域の土蜘蛛征伐の折に戦いの前に石占いをした石だそうだ。
西暦にすると紀元前かな?
占いには、この巨石が柏葉のように蹴り舞あがるように勝利するだろうと出たとかなんとか。
戦勝祈願に御利益ありそうな石だね。
僕も登って踏んだから戦いに勝てそうだ。(何の?)

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和布刈公園

ファイル 921-1.jpg北九州市門司区門司にある関門海峡を見下ろす山の上の公園。
今度はまず山頂の広い駐車場で停めて歩いた。

でもここ、広い駐車場の割に広場があるだけで何もなく、展望も前に見た第二展望台ほどではない感じ。
たぶん、、花見の季節とかに人が集まるだけの広場じゃないかな?
少し歩いたけど「世界平和パゴダ」という仏舎利塔は興味ないし、、
で、「門司城址」と言うのが目に入った。
そうそう、ここは城跡だったんだよね。

徒歩10分かぁ、、でもこの山を登るんだよなぁ、、なんかマイナーっぽいし、どうしようか。
やっぱり足の疲れとれてない感じなんだよな、、、とか思いつつも身体はもう向かって歩き出していた。

てわけでまた朝から軽い山歩き。
登り始めたところに門司城址の説明石碑があった。
ここもまた途中に「山の神」というのがあった。(あー昨日の滝とかぶってる。)

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ぐるっと山を捲くようにゆっくり歩いて登ってもほんの5分、なのにやっぱ疲れ溜まっててしんどかった。。
坂の上には先ず軍事基地の倉庫跡があった。
あ、ここも砲台とかだったようだ。(あー昨日の佐世保とかぶってる。。)

古城山頂上(標高175m)には「門司城址」と言う石碑が関門海峡を見下ろす前に立ってたけど、城的なものは特になく、案内も説明もなく、砲台跡(じゃなくて観測所跡だそうだ)と電波局のほうがメインの観光向けじゃない頂上だった。(眺望も少し遠く木々で狭く、第二展望台の方がイイかも、、)
まぁ、とりあえず関門海峡を見下ろしながらTS。

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んー、なんか登り切ったのに感激もなく足の疲れだけひしひし感じて失敗した気がした。。
登らずに下の石碑の案内読んで終了でもイイ感じ。。
平家の築いた城で、その後も毛利とかと度々戦場になりつつも江戸時代初期に廃城。で、明治期早々に軍事要塞施設になればそりゃ何も残ってないよね。。
いや要塞なら要塞で、何があったのかちゃんと案内があればいいんだけど、予備知識無い素人ではちょっと楽しみに欠ける寂しい場所だった。
取り敢えず砲台跡を歩きまわって来た道を下った。


ファイル 921-4.jpgで、
車で移動。山を半分下りた第二駐車場、第二展望台。
前にも来たけどやっぱこっちの方が関門橋が間近で断然いい眺め。
源平合戦の説明も充実してて、寄るのはここだけでいい感じ。
んーちょっとガックリ。

まぁいいか。
日陰で寒かったけど、とりあえず独占で関門海峡の眺望を楽しんだ。

左が門司の市街、湖みたいな関門海峡の向かいに下関。
唐津漁港や平べったい巌流島も見えた。

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福岡城

ファイル 911-1.jpg福岡市中央区にある城跡。
その中心部の本丸、二の丸辺りは舞鶴公園として整備されている。
個人的に九州で城というと熊本とか鹿児島とか思い浮かぶけど、福岡というのは印象なくて、「現存する櫓がある城」として調べたリストで、ああ、福岡にも城があったんだっけ、、とか気が付いて興味持ったくらいの歴史音痴で申し訳ないです。

さて、城の周りの駐車場は有料で、護国神社前のが一番安かったのでわざわざ少し戻って停めて歩いた。
ので、城には裏から廻って入る形となってしまった。

まず最初に見かけたのが、その現存する国重文の櫓「南丸多聞櫓」この櫓は西角櫓、多聞櫓、北角櫓の三つが続いた合わせ技の城郭建築物。
今回のメイン。

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だ の に、、ぐるっと回ってやっと上に登ると、「多聞櫓中庭は午前9時から午後5時までとなっています」。。。('jjj')じぇじぇじぇ。
まだ7時半過ぎ。。周りからだけ見て諦めた。

歩いてたら「黒田官兵衛」の幟が沢山あった。あ!黒田藩ってその黒田ね!そかそか来年大河ドラマでやるんだっけ。
ここまで来てやっと気づく人も珍しいと思う。。

そして本丸の天守台。
天守は造られなかったとか、造られたけど家康の機嫌を伺ってすぐに取り壊したとか、いろいろな説があるそうだけど、あったら立派だろうね。

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天守台の上は半分テラス台で覆われて広い展望台になってた。
これはこれはいい眺め。
天守がなくてもこれだけ眺め良ければいうことないね。
広く福岡の市街を眺めまわせた。
風も気持ち良かった。

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さてさて、もう少し城内を歩くと、他にも櫓があった。
「祈念櫓」大正時代に寺に払い下げられてたのを昭和後期にこの場所に移築したそうで、古写真と見た目が違ってるのは寺で観音堂として使用するんで改変しちゃった為らしい。

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他にも櫓台跡は幾つもあり、天守がない代わりに櫓だらけの剣山のような城だったようだ。

そして、最後に公園の正面(松木坂御門跡)から下城、、
の、つもりだったけど、公園の外にも現存の櫓があるらしい。
ので少し歩いた。
らば、すぐ先に「旧母里太兵衛長屋門」というのがあった。
これは城下にあった屋敷の長屋門が移築されたものだけど、立派な現存物で母里太兵衛は「酒は飲め飲め飲むならば」と歌われた酒豪の槍武士だそうだ。へー。

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そしてその先に「潮見櫓」と「下橋大手門」
大正期に黒田別邸に移築したものを昭和中期に再移築したものだとか。だけど、、まず「潮見櫓」はこの位置にはなかったそうだ。。
更にこの櫓は近年の調査で違う他の櫓らしいことが判明したそうだ。
じゃあ、、なんでここに?という説明はなかったけど、恐らく堀の脇で見栄えがいいからだろう。天守がない城のアピール役って事ね。
そして「下橋大手門」は形が少し変わりながらも平成まで現存してたものが不審火で焼失。そしてちょっと立派に復元したものだそうだ。

ファイル 911-7.jpgまっすぐ戻るのもつまらないから、少しまわって北丸跡の野原の広場を歩いた。
セアカゴケグモの「毒グモ注意」看板を見て、遠くに来たんだな、、と実感した。(近所じゃ見ないからね)


そして最後に「名島門」を通る。
これは黒田が福岡城を造る前にあった名島城のものだそうだ。
つまり、福岡城のどの建築物よりも古いもので1584年の物だそうだ。430年。。すごい。

なんかちょこっと櫓を見て軽く散策のつもりが思いのほかいろいろ見どころが分散してて一時間チョイ歩き回っちゃったよ。
昨日の砂丘などの疲れも残ってる感じなのに、ついつい歩いちゃうね。
っていうか駐車場100円くらい高くても正面近くに停めればよかった。。
そういえば風邪気味だし、駐車場まで戻るのがかったるかった。

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金印公園

ファイル 910-1.jpg福岡市東区志賀島にある公園。
江戸時代に「漢委奴国王印」の金印が発見された場所。
そのころは段々畑だったそうだ。日陰なのに。

少し階段を上るとその金印の碑を囲むように説明板が幾つもあってちょっと歴史の勉強をおさらいできた。
学校で習ったけど忘れちゃうよね。

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西暦57年に後漢の皇帝光武帝が奴国の使者に授けた印綬だそうで、読みとか意味とかに関しては歴史的考察から議論を呼んでいるとか。
つまりまだそのころの日本の国の在り方がはっきりしてないんだよね。
大和朝廷が出来るもっと昔、邪馬台国のちょっと前。
ハッキリしてないってことは後に伝えるには都合悪い歴史があったってことだよね。ロマンでもありミステリーでもあるけど、知らぬが仏って気もする。。

公園内を歩くと、東側にもう一つの展望台があって「方位広場」と言う名で倭の古代地図が書かれてた。

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押された形の金印の石碑には賽銭が乗せてあった。
もっとお金は大事にしようよ。

そしてゆっくり眺望。能古島の脇には福岡の市街も見えた。

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ウエスト古賀花見店

ファイル 909-1.jpg古賀市花見東の495号沿いにあるうどん店。
24時間営業のチェーン店だけど聞いたことない名前だから福岡の御当地チェーンかな?と思って期待した。(そうらしいけど、関東にもあるらしい、、)

というのも、つい最近Webで、福岡のうどんの特集を読んでて、「コシのある讃岐とは真逆の唇で切れるやわらかいうどん」というのが気になって食べてみようと思ってた。
そこで紹介されてたのは別のチェーン店(牧のうどん)だったんだけど、そっちは営業時間11時からだからドライブ行程的に難しいかな?と思ってた。(この日行く先々でその「牧のうどん」の店を見かけたけど、どの店も凄い混んでたのでこだわらないで良かったと思う)

さて、店内にはおでんコーナーもあってそそられたけど、うどんに集中。
メニューを見て、人気のおすすめメニューの「ごぼ天肉うどん」にした。
ごぼうが人気なのか。へー。九州の人ってゴボウが好きなのかな。

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で、その「ごぼ天肉うどん」
うん、甘くておいしかった。
うどんは驚くほどではないけど柔らかくて食べやすく可愛らしい。
ごぼ天もおいしいね。

実は、我が家は父親が戦時中に学童疎開先で食べさせられまくったということでゴボウが大嫌い。
その影響で自分もやっぱり嫌いだった。
けど、大人になって「好き嫌いをなくそう!」と頑張ってゴボウサラダ辺りから馴染んで克服して平気になった。( ̄^ ̄)
んだけど、、、
弁当とかだと、やけに辛いキンピラなどで使われてて、最近また敬遠しがちな食材になってた。。(ノ∀`)

そんなゴボウだけど、天ぷらはイイネ。油にあうんだ。
甘めの汁と肉に相対してて丁度イイ感じだった。
体も温まってイイ朝食になった。

タグ:餐:麺 餐:菜

元祖長浜屋

ファイル 761-1.jpg福岡市中央区長浜にある昭和27年開業の老舗で文字どおり長浜ラーメンの元祖の店。

今日は朝から、鶏肉、鶏肉、牛肉と既に食いすぎな感のある一日で、日田では焼きそばを我慢して通過したものの、福岡に来ちゃった日にゃラーメンの一杯くらい食べなきゃ九州に来た意味が無いとか思えて誘惑に負けました。。

で、特に店は決めてなかっただけど、屋台は沢山並んでて迷いそうだからヤメて店舗の方。
一応調べて元祖の店に来てみた。

こんな時間だからか意外と店は空いてた。
食券買って中に入ると、なんかよくわからないけど「どうしますか」みたいなこと聞かれて「え?え?え?」と戸惑った。
どうやら、硬さとか味とかそういうのを聞かれてたらしい。頓珍漢なこと答えてたと思うけど適当に見繕ってくれたみたい(^^ゞ
他の客は「ベタでバリカタ」とか「ナマ」とか「ナシ」とか暗号みたいな専門用語で注文してて「どこの国だここ」って感じ。
コアだ。文化だ。予備知識が必要なようだ。思えば遠くに来たもんだ。

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てわけで、ラーメン。
麺は硬いのかな普通なのかな。
僕は慣れてないので凄く硬く感じた。。うまいまずいというより面白いね。
豚骨の汁はさすがに素直にうまかった。ペロリと飲み干した。
いやぁ九州に来たんだなって感じ。面白く美味しかった。

さて、満足の食後は少し屋台街を歩いてみた。
相変わらす屋台は沢山並んでやっぱ週末だけあって賑やかだった。
屋台の雰囲気いいなー、飲みながら歩きたいなぁ。もう一杯食べちゃいたいトコだけど勿論自重。
屋台にも人気店があるようで、行列になってるトコが二軒あった。

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タグ:餐:ら 観:街 観:発

立ち食いうどん

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香春町の322号沿いの立ち食いのうどん屋。
店名が「立ち食いうどん」ってイサギいいよね。

ファイル 74-2.jpg中は厨房を囲む形の長いカウンターの立ち食い屋。
おばちゃんと女の子の二人が無愛想ながらテキパキと動いてた。
注文は聞いてないようでちゃんと聞いているらしく、大声で注文すると返答なくてもちゃんと出てくる若干不安なシステム。
客が途切れないからねえ。こうでなきゃ捌けないだろうね。

てわけで、うどんとおにぎり。ちゃんときました。
ネギと天カスはカウンターに置いてあって自由。

これはうまかった。
お出汁の感じもいいし、うどんはコシの無い柔らかいうどんながら安っぽくなくしっかりとうまい。

朝から旨いもん食えてご満悦。

タグ:餐:麺 餐:飯

大野城跡

ファイル 53-1.jpg大野城は白村江の戦いで負けた大和朝廷が、太宰府の防衛目的で築いたとされる城。
飛鳥時代の西暦665年に建造。
四天寺山というカルデラ状の山の峰に8kmにも及ぶ土塁を築き、谷には石垣を擁し四つの城門を構えた太古の巨大な城。

山そのものというか山並みまるまる城跡という広大なもので、どこにいったら城跡が見れるのかちょっと分かりずらかったけど、先に行った水城跡にあった地図をみてやっと分かった。
一カ所行ってココが城跡!じゃなくて、山を回って何カ所かに点在する遺跡を見て回る感じね。ちょっと途方も無いよ。

で、ここ尾花地区土塁前に駐車場も有り、眺めもよく案内板もあった。取りあえずここらを歩いてみて大野城跡観光としよう。

ファイル 53-2.jpg峰の縁の土塁はしっかりきれいに再現されてた。
この調子で8km全部整ってるのかな?(いや行かないけどね)
そして太宰府口城門跡はここから下ると行けるらしい。。
どのくらい下るんだろう?、、取りあえず後回し。


ファイル 53-3.jpg取りあえず土塁を少し登った。
おお、なんか城壁っぽい。

でもこれ1300年も昔に造るの大変だっただろうな。。
っていうか周囲8kmの城ってイザとなったら守りきれるのか?
太宰府の守りって事だけど、太宰府側もしっかり土塁巡らせて城門造ってたって事は、太宰府を守るというより太宰府の物も人も丸々立てこもるつもりの城なのかな?なんて勝手な想像を思い巡らせて歩いた。

さて、土塁をずっと歩いてたら山登りになっちゃうので適当な所でストップ。焼米ヶ原の上のピークに登って野原を下った。

ファイル 53-4.jpg少し戻って尾花地区礎石群を見た。
土塁からは少し森に入った所にあり、案内は不親切で最初ドコにあるのか分からなかった。

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十棟分の高床式倉庫跡。
全部同じ大きさの建物だったらしい。って、倉庫だけ?どういう風に運営してたんだろうかねぇ?

とりあえず、その時代の城なんてよく知らないし(判明してない事もおおいだろうしね)こんな規模のでかい城なんてのも初めてだったので、色々と不思議で勝手に想像したりして楽しく歩けた。

あ、城門跡、、は、いいや (^ ^;Δ

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