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道の駅 彩菜茶屋

ファイル 3294-1.jpg美作市明見の県道沿いにある道の駅。

ここは二度目の立寄り。前回は妹に頼まれたシャインマスカットを買いに寄っただけだったので点景にしてなかった。(しかも買ったのは道の駅の直売所ではなくて隣のスーパーだったし)

今回はトイレと飲み物買いたくて立寄り。隣りのスーパーから続いた駐車場はあまり広くなくて混雑してて停められないかと思ったけど、わりとトイレに近いトコで空きを見つけてささっと停められた。すぐトイレいけた。

で、店に入って見てまわってみたら、まず目についたのが「黒豆茶ソフト」んー暑かったからタイムリー。そしてJAFで50円引き。ナイス。まずそれ買って店の前のベンチで食べた。

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勝英地方特産「作州黒」使用という黒豆茶ソフトは、意外にもちょっとシャリっとしたシャーベット寄りのソフトで、いい感じに冷ややか。おいしかった。

ファイル 3294-3.jpgさて、のどが渇いて寄った道の駅だったけど、甘いソフトで別の意味で飲み物がほしくなった。飲み物飲み物、、と店内を物色。
黒豆茶の「黒々茶」というのを買おうと手を伸ばしたけど、その隣りのヤマブドウ果汁が入った「風のシルフ」というジュースが缶もキレイで気になってそっち買っちゃった。

で、缶はかさばるからここで飲んじゃって行こうと、また店先で飲んでみた。ら、おいしく飲みやすくグビグビ一気に飲めて満喫。うまかった。

満足で出発した。けど、このヤマブドウジュースも甘いのですぐにまた飲み物ほしくなった。あー意味ねぇw「黒々茶」も買っとけばよかった。(けど、そういえばたしか、、黒々茶は前にも買ったことあって、苦めであまり進まなかったような気がしたからまぁよかった)

タグ:餐:冷 餐:飲 道の駅

津山城跡 鶴山公園

ファイル 3293-1.jpg津山市山下にある城跡。

初めての立ち寄り。津山を通る度に町中の丘のこの城跡が気になってていつか寄ろうと思ってた。ので、今日なんか丁度いいかなと寄ってみた。
駐車場では誘導員が出てて、まだ9時という早い時間ながらボチボチ埋まり始めてて、一番奥の方の日陰に停めた。

そして真っ直ぐ石段を上って登城。三階分くらい登ったトコで案内が立っていた。なんか石垣は射角少なく壁のような感じだった。

この津山城は江戸時代初期の元和2年(1616)に森蘭丸の弟の森忠政が築城。(それ以前も城ではあったらしい)

冠木門跡に公園の入園門があり、310円払って入園。
進んで枡形を折れて階段を上った三の丸はこのGW中「第5回牛魔王選手権」というグルメイベントが開催されてるらしい。
おおラッキー、何か食べれるかな?と思ったけど、イベントは10時から。。今はまだ9時で設営中。んー1時間後じゃもう城まわり終わって帰ってるかも。。残念。

表中門跡からの広い階段を二の丸に上ると再現された櫓が見えたカッコよかった。

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二の丸からも枡形を折れて階段を上って表鉄門跡から本丸に出た。往時はこの表鉄門の門櫓が本丸御殿の入口になってたそうだ。 ってことは、本丸は今見るような広場ではなくびっしり御殿があったのか。あ、いや、それは何処の城も一緒か。

その本丸の南端の長局という多門櫓があった場所は藤棚になってて、その先から広く南側が見下ろせた。
藤の花もちょろっと咲き残っていた。
そしてその長局につながった西側に再現された備中櫓があった。

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備中櫓は内側に縁側のような廊下のある見た目で、靴を脱いで上がると中は御殿のような屋敷になっていた。本丸御殿の最奥部で、城主かその近しい女性の生活空間だったそうだ。へー、珍しい。
こうした御殿建築の二層の隅櫓は他の城でも例がなく珍しく特徴的なので復元整備の対象になったそうだ。
しっかり木造で新しく、茶室やトイレもあり二階に上座もあった。いいなぁ。

櫓を出てその先は天守台の裏の本丸西側に歩いた。
ここも多門櫓があった跡だけど、広く開けて西の市街から盆地周りの山々までよく見えて眺めよかった。これはいいね。風も心地よくゆっくりと眺められた。

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そして天守台。ぐるっと回って上に登った。
登る途中の石段に「愛の奇石」とかいうのがあって、ハートに見える石があった。んーちょっとこじつけ。

上からの眺めは下の本丸の端から見たのとそう変わらなかった。けど、さっきの備中櫓が見下ろせてカッコよかった。

ここには明治の廃城までずっと四層の天守が建ってたんだそうだ。他の櫓と共に全部取り壊しちゃったのは勿体なかったねぇ。岡山城も広島城も残してたんだからここも残したかっただろうね。
その後昭和11年に産業振興大博覧会が行われた際に2/3の大きさの模擬天守を建てたそうだけど、戦時中に空襲の的になるのを懸念して先に取り壊したそうだ。まあねぇ広島も岡山も空襲で失くなってるからねぇ。

天守台を下りて、あちこちの案内を読みながら本丸をまわった。東側は石垣修復の工事中で閉鎖されてたので東の眺めはなかった。井戸とか見つつぐるっと回って裏鉄門跡から石段を下った。
ここは立派な石垣の上にキレイな緑の楓が覆ってて、秋にはさぞかし綺麗になることだろうと思えた。

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そして一段下の二の丸を端から石垣を見ながら歩いた。
この二の丸はあまり広さはなく、どちらかというと腰曲輪みたいな印象。でも桜林になってて日影が涼しく、花見の季節にはさぞかし綺麗になることだろうと思えた。
そして見上げる備中櫓もカッコよく、表までまわってまた一段下の三の丸に下った。

ら、この石段の下の表中門跡の所では近隣の高校の吹奏楽部のステージになっていた。時間を見ると10時まであと5分、あれ、そんなにゆっくり歩いてたっけ。この城は門跡や櫓跡などかなり丁寧にあちこちに案内が出てるので、読んでまわってるだけで一時間なんてすぐだったようだ。
んーじゃあ10時からのイベントも見て食べて行こうかなー。と思ってそのまま吹奏楽を聞いた。

なんか意外といい音に感じたのは後ろの石段と石垣の反響かな?しばらくのんびり聞いて、イベント開始の10分後くらいにそろそろ何か食べようと出店テントの並ぶ三の丸を進んでみたら、、目星付けてた店はもう長い列ができてて驚いた。とりあえず並んだけど、この列が動かない動かない。。のに、ひとは続々増えて後ろにもまた長い列できて折り返してた。この店はワンオペで注文してから焼いてて店の人は地獄のようだった。。

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最初のを外ですぐ食べた後もいくつかの店に並んで(ほとんど並ばない店もあったけど)、それをもって飲食スペースとあった「鶴山館」に入って、並べられた長テーブルで合席のような形で座って食べた。
この「鶴山館」は明治3年(1870)に造られた津山藩の学問所。でもすぐに廃藩置県で廃止され、その後は中小学校から幼稚園や役所や女学校としていろいろと使われて、明治37年(1903)にこの三の丸に移築して集会や催場に利用されてきたと説明があった。へええ。末期とはいえ城の時代からの貫禄ある現存建築物なわけだけど、中は昭和っぽい案内展示が少々ある雑な雰囲気の古い建物って感じだった。何故かB'zのデカいパネルやポスターが並んでた(稲葉浩志が津山の出身だかららしい)

食べ終えて外に出て、また別の高校の吹奏楽部の演奏にチョコッと足を止めつつ、最後は投票券で気に入った店に投票して三の丸から下った。(投票の結果は、自分が食べたとトコが四位と六位に入ってたけど、投票したトコは十位に入ってなかった。。)

車に戻ったのが11時半。2時間半もゆっくりしてしまった。けど大満足。余裕もって寄れてよかった。
来た時は日陰だった駐車場の奧もバッチリ日向になってて車も熱くなっていた。

で、
城廻りを纏めて順番後にしちゃったけど最後に食べたものを並べておきます。
左から「サンレイフーズ 幻の牛タン」「城下町肉処櫓 つやま和牛そずり串」「​たつみ屋 特選牛ハツサイコロステーキ」「お好み焼き三枝 津山ホルモンうどん」

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最初の「幻の牛タン」は結局40分並んだ、、人気というより捌けないだけだったと思う。事情があってもワンオペはやばいって。。牛タンは仙台にはかなわないからここで並ぶこともなかったと後悔した。

「和牛そずり串」は素直にうまかった。そずり肉とは骨の周りの肉のことだそうで牛のトロと表現されていた。けど、なんか、ヤケに細めの串に当たってしまって面白くなかったので投票しなかった。

「特選牛ハツサイコロステーキ」は全然並ばずに買えて好印象。並ばないのが一番。やっぱ「とびちる心臓(ちる臓)」を名乗るものとしてハツは気になったし、味も食感もうまかった。

「ホルモンうどん」は津山の御当地B級グルメと知ってて以前から市内何カ所かで食べたけど、チョイ辛でなんとかいけた店と普通に辛くて失敗した店とあって、最近ではしばーらく敬遠してた。で、今日も食べるつもりなかったんだけど「そずり串」の列並んだ時に前にこの店の人が並んでたので「こちらのホルモンうどんは辛いですか?」と質問して「全然辛さはないですよ」と確認してたので最後に並んだ。食べたらホントに辛くなくておいしかった。
ホルモンうどんという御当地B級グルメは兵庫の佐用にもあって、そっちは食べた店全部辛くなくて好印象だったので「ホルモンうどんなら津山より佐用」とか今まで言っちゃってたけど、津山で辛くないのがあるなら撤回再評価。佐用はタレで津山は味噌だから全然違うし、ホルモン自体ウマい。ここで食べれてよかった。(ここは殿堂入りで投票対象外だった)

なんか写真ならべるとあんまり食べてないように見えて、もっといろいろ食べてみればよかったようなな気もするけど、暑い中で肉肉肉だったのでこれで充分だった。いやぁ、たまたま寄った城でこういうイベントも楽しめて良かった。

タグ:観:城 観:櫓 観:屋 観:石 景:町 楽:眺 楽:催 楽:演 食:串 食:焼 餐:焼 餐:肉

乃木神社

ファイル 3251-1.jpg下関市長府宮の内町にある神社。

忌宮神社から「古江小路の街並み」に歩くつもりだったけど、裏の道の出たら「あ、ここさっき車で通った時手前に乃木神社ってあったな」と思い出して来てみた。
下関市長府といえば乃木希典の出身地、総本山とかそういうわけではないだろうけどゆかりの地で何かあるかなーと思って来てみた。

乃木希典は明治時代の軍人で日露戦争で旅順要塞を攻略した将官。明治帝御崩御の後に追うように夫婦で自決し崇められて全国各地に神社が出来た英雄偉人。近年では司馬遼太郎の酷評などによって愚将との印象が広まっているけど、個人的には小説は小説と割り切っているので個性的な侍魂を貫いたエキセントリックな人物と認識している。
亡きあとにたくさん神社ができてもナンダカナーって感じだろうけど、家の前の坂に自分の名前が付けられて、それがアイドルグループの名前になったりしたらさすがにやめてくれと言いたくなるかもしれない。

さてさて参拝。ごりやくはなんでしょうね。

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奥に進むとさざれ石が並んだ先に「御神水」というのがあった。乃木家の使ってた井戸「梅の井」からくみ上げた水だそうだ。蛇口は玉をひねるタイプ。水は普通だった。
そしてご夫妻の銅像があった。

その先は「乃木将軍舊邸」とあった。へええ、東京赤坂の旧邸が残ってるのは知ってたけど、こっちもあるんだ。
普通の平屋の小さな家もあった。
江戸の藩邸で生まれ育った乃木氏だけど、安政5年(1858)の十歳の時にこちらに移り十六歳まで暮らしたそうだ。
これは没後の大正三年に復元した家屋ということだけど、外見は幕末の家屋とも大正の家屋とも思えない普通な感じに見えた。。中の間取りを復元ってことなのかな?閉まってたから分からなかった。(戸を開ければ入れたらしいけど寄附金提示されてるので気が付いてても入らなかったと思う)

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家の周りはいい感じで木が繁り楓の葉の緑がきれいだった。梅の井とか石神社とかまでは庭の名残のもののようだった。そしてツツジがキレイに咲いていた。

で、他にも「水師営の会見」という唱歌の歌碑があったり、「二〇三高地の松」という若い松があったりした。
ちょっと雑に感じたのは、室内用のガラス水槽が幾つか並んで置いてあり、水草繁って荒れていたけど、メダカが泳ぐのはかろうじて覗けた。

こんなとこかな。
水と銅像でほぼ満足してたけど、思った以上に見どころあるメモリアル的な神社だった。

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さてさてやっぱり「古江小路の街並み」へも行こうかな、、とも思ったけど、なんかいろいろ見て充分だったし、何気に忌宮神社との間の道も雰囲気良く、「横枕小路」と標柱も立ってて、これと同じ感じ雰囲気かなー、、だったらこれでいいやとか思えちゃったので、もういいかと車に戻った。

タグ:観:宮 観:水 観:像 観:屋 観:石 観:道 植:樹 植:花

忌宮神社

ファイル 3250-1.jpg下関市長府宮の内町にある神社。

ここが長門国府跡かなーと思って来てみたけど、そんな事はどこにも一文字も書かれてなかった。
ここは仲哀天皇が熊襲討伐の為に七年間仮の皇居とした豊浦宮跡だそうで、神功皇后の忌宮に応神天皇の豊明宮の三殿合祀した神社だそうだ。
仲哀天皇は日本武尊の子で古墳時代なので律令の国府がおかれるもっと前の時代からあった神社ということだ。
けど、数度の戦乱や火災で社殿を幾度も焼失し道営改築とあるので、場所も動いてるかもね。遺跡は発掘されないと確定しないけど、神話は話(書記)だけだもんね。

なにはともあれ朝の神社は清々しくお参り、鳥居をくぐって石段を上ると鯉のぼりが吊られてた。
左手の石灯籠の横には「宿禰の銀杏」という樹があり、武内宿禰が植えた銀杏の子孫の古木だそうだ。

広場の先の門の前には「石鬼」というのがあった。
熊襲が豊浦宮に攻めてきたときに、扇動した新羅の者を討ち取って首を埋めて覆った石の事だそうだ。ここに首が埋まってるわけじゃないよねぇ。。その鬼石の周りをまわって踊る祭礼を「数方庭」と言い今に伝わるそうだ。普通の土曜の朝は鳩がウロウロしてるだけだった。

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門をくぐって拝殿にお参り。

その拝殿前にある御由緒などの案内は液晶画面だった。新しいなぁ。
北側の石段を下って広場をまわると「神功皇后お手植えのさか松」というのがあった。三韓出兵の際に逆さに植えた松だとかで、枯れた古木の一部が安置され、子孫の若木が手前に生えていた。武内宿禰とか神功皇后とかってそういえば「天の地脈」という漫画で出てきたなぁ。。とか思いながら眺めた。

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ぐるっと回って駐車場の手前の「長府観光案内」を見た。やっぱり国府の府の字もなかった。
それよりも「古江小路の街並み」というのが気になったので朝の散歩がてら行ってみようかと、そのまま神社の裏に進んでみた。

ら、裏の奥の建物前に「数方庭の大幟の竹」とか置かれてたり、郵便ポストがあったりしてそれぞれ丁寧に案内板があった。郵便ポストをデザインしたのが下関出身の人だそうだ。

その先の桜の木の前には「豊浦宮皇居址記念碑」。
その隣に山桑の木(しだれ桑)と「蚕種渡来之地記念碑」があった。秦の始皇帝の子孫がこの地で仲哀天皇にカイコの卵を献上したのが日本の養蚕の発祥なんだそうだ。へー。

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じっくりしだれ桑を眺めつつ、その先の藤棚の藤も眺めた。
なんかいろいろあってそれぞれ案内立ってて情報濃い神社だった。

そしてその先に散歩。

ファイル 3250-5.jpg最初来た時は駐車場にも何台も車停まってて参拝する人もちらほらいたけど、戻ってきたころにはガラガラだった。
ちょっとのんびりしすぎたかなーと思いつつ、そういえば「古江小路の街並み」行ってないや、、と車に乗ってから思い出した。。
けどまぁいいか、満足満足と出発した。

タグ:観:宮 観:遺 観:石 観:伝 観:発 観:具 植:樹 植:花

多伎いちじく温泉

ファイル 3249-1.jpg出雲市多伎町久村にある日帰り温浴施設。

公共の風呂ではなくて民営の施設っぽいからまさか「コロナ警戒で地元客以外はお断り」ではないだろうな、、とは思いつつ構えて入ったら、そんな表示はどこにもなかったので安心して入館。(そういう地域もあるので身構えるよね)

駐車場の混雑からすげー混んでるのかと思ったけど、中はそこまで混みあってなかった。


ファイル 3249-2.jpg浴室入口の前に「いちじく温泉神社」という大きな神棚があった。なんか冗談ぽい感じもするけど、神の国出雲なだけに意外とちゃんと神様を祀っているのかもしれないと思い、拝んでから進んだ。(御由緒とかそういうのはなく、健康祈願・恋愛成就とはあった。やっぱこれ、、)

洗い場も内湯も露天も広くゆったり入れた。
ゆは無色のナトリウムっぽいかんじだったけど、これ、男湯と女湯が日替わり入替えでそれぞれ泉質が違うらしい。へー。

さて風呂あがって7時半。丁度いいからここで食事もしてっちゃおうと思ってたけど、、なんと此処、食堂がなかった。。
えー。公営の施設じゃなさそうなのに、こんなに客来てるのに、食事処がないところって初めてかも。(いや、いままでは遠出先なら風呂屋じゃなくて他でちゃんと食事したいとか思って意識したことなかっただけなのかも。。)

そのかわりというか、「いちじくソフトクリーム」があったので、それ食べた。

ファイル 3249-3.jpgうん、程よい甘味でおいしいソフト。風呂上がりにいいね。

いちじくは多岐の特産らしく、そういえば道の駅にもいちじくソフトってあったっけ。(道の駅と此処は同じ会社の運営だったらしい)その道の駅で前に買って土産にした乾燥いちじくもおいしかったっけ。

こうしてよく特産品を名前に入れてる施設はおおいけど、名前にしてるだけでそれを味わえない所も多いので、こうして素直に楽しめる所は好感持てるよね。(ちなみに、入らなかった薬草湯は乾燥させたいちじくの葉を溶かし込んだ湯だったらしい。。。肝心な方に入らなかったくせに何を言わんやってトコだけど、、ご愛敬)

タグ:楽:湯 観:宮 餐:冷

幸雅

ファイル 3248-1.jpg倉吉市山根の県道沿いにあるラーメン店。

昼食べたのが2時頃でまだお腹もすいてなかったんだけど、やっぱり鳥取県に来たら牛骨ラーメンを食べたい!と思って調べて来てみた。
殆どの店が昼過ぎで閉まっちゃうなかで夕まで通しでやってる店は少なく、ほぼ一択といった感じで決めて来てみた。
店はゲオに併設してるので駐車場の心配もなく、店も派手な見た目で一目で判ってありがたかった。そして雨降ってただけに店の近くで停められたのは嬉しかった。

店内は半端な時間ながらもお客さん多かったので、昼だったら待ちだったかもしれないなと思えた。

ファイル 3248-2.jpg手前がテーブル席で奥の厨房前のカウンター席につき、中間の券売機で券購入。
メニューは「なつ旨ラーメン」「醤油」「味噌」「担々麵」とあって、「なつ旨」というのは店頭の壁でも店内の貼紙にも解説されてて「牛骨を20時間以上コツコツ煮こんだ~地元の白しょうゆが利いている~昔なつかしくてい~」ラーメンという事だそうだ。
どの麺もベースは「なつ旨」だそうだけど、迷わずに基本の「なつ旨ラーメン」にした。

ってわけで「なつ旨ラーメン」

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んーこれこれ、やっぱ牛骨うまいいいいー
そしてなつ旨との命名も納得の円やかな優しさ。
さっき牛肉食べて満足してきたばかりだけど、これが牛の旨さだよね、ミルクの母だよね。
ほんと日本はいろんなラーメンが食べられて最高の国だよ。ドライブできてよかったーとしみじみ思いながら啜って吸ってぺろりと完食。で、満腹。水は残したw

いやぁ鳥取に来たらやっぱこれだなぁ
以前は由良の「香味徳」しか知らず、他のに行ったらイマイチだったので、由良がやってない時は諦めてたけど、ずっと寄れずにその由良店の味を忘れてきたからか、その後寄ってみた「すみれ」「香味徳 倉吉店」「いのよし」などどこもおいしく満足で、今回この「幸雅」で昼以外でも寄れる店を知ってしまったので、ますますはずせないご当地料理になった。
っていうか、鳥取市には無いのが不思議。

タグ:餐:ら

瀬戸田PA

ファイル 2928-1.jpg尾道市瀬戸田町荻早瀬山のしまなみ海道にあるPA。

ここは、まだしまなみ海道が全線開通する前の20年前(00/7/23)に立ち寄って以来何度か寄ってて寝てたりもした所。
以前はちゃんと売店とスナックコーナーもあって、伯方の塩ソフトを初めて食べておいしかったのもこのPA。
でも今はもうトイレと自販機しかなくなってしまって残念。
まぁ、伯方の塩ソフトは伯方島に降りて食べればいいし、もう既に二度もそうしてるのでもんだいはない。

今日はどうせ店があっても閉まってる時間だろうし、トイレ行きたかったのが第一の目的だし、ついでに開け始めて明るくなり始めた海でも眺められたらというつもりでの立ち寄り。

トイレの後で早速海を眺めてみた。
うんうん、向かいの伯方島との間の海がいい感じにピンクに染まっていた。

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そしてまだ暗い部分の海には小さな漁船くらいの船が通るのも見えた。
駐車場を振り返ると背面の山(観音山)がもう見えてた。

寒かったけど西の先側にもまたちょこっと歩き、すぐ先の多々羅大橋を眺めた。

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西側はまだ暗かったけど、その先の大三島もよく見えて広く島並を眺められた。すぐに海は明るくなって来てて、赤味も薄れてきていたので、また東側に戻って海を眺めてから来るなに戻った。

タグ:楽:眺 景:海 景:島 景:山 観:船 観:P

道の駅 びんご府中

ファイル 2927-1.jpg府中市府川町の486号沿いにある道の駅。

初めての立ち寄り。この486号はわりと通る道だけどここに道の駅があるのは知らなかった。(16年のオープンだそうだから見かけてた筈だけど)早朝だったり夜だったりが多かったからかな。

この道の駅は入るとバスロータリーの中に駐車場がある感じで警備員さんもいて誘導されて停めた。

あれ?なんか鉄道の駅みたいで道の駅っぽくないなぁとか思ったけど、歩いて見たら鉄道の駅はなくてちゃんと洒落た道の駅があった。キレイなトイレで嬉しかった。

さて、またお腹はすいてないので興味は薄かったんだけど、一応中を見てみたらチョイ食いメニューもいろいろあって、メンチくらいならいけるかなーと思い「府中味噌メンチかつ」を買ってフードコートの席に座って食べてみた。

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浅野味噌と神石こんにゃくのコラボでレンコン入りだそうだ。シャキったりクニャったりしつつ肉もおいしいメンチだった。味噌は麦味噌みたいな風味で意外とソースとも合ってた。

と、これだけの軽い寄り道のつもりだったけど、ちょっと気になってインフォメーションで「国府跡ってどこら辺なんですか」と聞いてみた。「遺跡のことですか」と返されつつ「道の駅の裏の道を歩いてすぐ先の左側にありますよ」というので、あ、そうなんだ!だったら行ってみようかなと裏の道に出てみた。

道の駅のフードコートの窓からホームに入る列車が見えたので裏はすぐ駅かと思ってたけど、出てみると少し距離があり駅の口もこっち側にはなかった。。
そして道を歩くと、すぐ先にはそれらしいものはなく、あれ?とか思いながらその細めの道を進んだ。

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んー?どこだー?と案内もなく不安に思いながら進むと、4分ほど歩いた先に数軒分の広場の公園があった。とうちゃくー。

「はじまりの広場【備前国府跡(鳥居地区)】」とあった案内板を読むと、、
ここが国府跡というわけではなく、昔の山陽道の道から国府への道が分かれる交差点の場所だそうで、道路脇の側溝や石敷などが発掘されたそうだ。
なーんだここが国府の跡地じゃないんじゃん、、と思ったけど、まぁ道の駅での案内も嘘ではないし、太古の道路跡というのも興味深くなんか想像図から想像も広がって面白くもあった。
っていうか、昔の山陽道って今の海側じゃなくてこっちの少し内陸だったんだね。

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公園の真ん中にあった石鳥居は国府には関係なく、鎌倉時代からこの地にあった神社のものだそうだ。江戸時代に再建したものらしいけど貴重な文化財のようだ。

そしてその分岐点から伸びた先に水路というかドブというか川を渡る橋があってちょこっと道が延びていた。想像図のイラストにも小川が描かれてて「え、こんな川が大昔からそのままの流れであったの?」などと驚いたけど、そんなわけないよねw

渡って進んでみるとその先は文化センターだそうで、何か資料展示でもあるかな?とおもって表に歩いてみた。

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建物入り口前には石のオブジェがあったけど遺跡とは関係なく、国府については案内板が立ってるだけで他には何もなかった。
どうやら国府跡はもっと北の先の町中のようなのでこれで折り返した。

ファイル 2927-6.jpgゆっくり歩いて道の駅に戻ると、さっきより日が陰ったか構内の電飾がキレイに見えた。
電飾は吊られたもの以外に地元企業が提供したようなオブジェのものがいくつかあって夜に見てみたいものだけど、まだ日暮れ前でそこまでのんびりするわけもなく車に戻った。

タグ:餐:揚 観:府 観:道 楽:歩 道の駅

中華そば しだはら

ファイル 2926-1.jpg笠岡市四番町にあるラーメン店。

笠岡ラーメンとしてネタ帳に上げてた店で、他の店は閉店してたり駐車場なさそうだったりで割りと迷わずに決めて来てみた。

店は宅地の中の商店街区画の一部でその商店街の駐車場に楽に停められた。車で来やすい店で好印象。
店は小さくお客さんたくさんで賑やかだったけどカウンターにはすんなり座れた。

で、昼は過ぎてたけど朝との中間でカキオコ食べたから実はまだ腹減ってなかったので「中華そば」の(小)にした。

店は常連の人や近所の人が多いようで店の人と声かけあっててガンガンの笠岡弁が飛び交ってて耳心地よかった。やっぱ地元の人達に普通に愛される店がいいよね。

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んーんまい
鳥ガラ醤油の笠岡ラーメンだ!
ここのは鳥のかしわ肉じゃなくて豚のチャーシューがのってたけど、それでもしっかり鳥のラーメン。やっぱおいしい。
まだ数店でしか食べた事のない笠岡ラーメンだけど、やっぱり好きだなぁ。ラーメンというのはこういうものが基本であってほしい。
腹減ってなかったけどツルツル啜れてペロリと食べられた。もちろん汁も飲み干して満足。来てよかった。

ファイル 2926-3.jpgそしてなんと自分の次の客で「チャーシューが切れちゃったのでごめんなさい」とその後のお客を断っていた。。えー昼は3時までなのに1時で終わりかぁ。。「最初の方でチャーシューメンが続いて」だそうだ。あぶねあぶね。

実はまだ姫路でもらったGoToのクーポンを使ってなかったので、先に道の駅に行ってからラーメン屋、、とも考えていたんだけど、まず先にこっちに来てよかった!

タグ:餐:ら

笠岡市立カブトガニ博物館

ファイル 2925-1.jpg笠岡市横島にあるカブトガニの博物館。

カブトガニは古代から変わらぬ風貌の生きた化石と言われる節足動物(つまり虫)。日本のカブトガニは固有種でこの笠岡の生息地は国の天然記念物になっている。ので、以前集めてた天然記念物の月刊誌で見てから興味あった。

で、来てみたら広い公園の中にあって、まずは公園を歩いて横断。
この公園は大きな恐竜の像があちこちにあって子供が走りまわっていた。。んーやな予感。

建物の入り口にはコロナ対策での「入館制限」とか看板立ってて一瞬焦ったけど「解除中」で普通に入れた。まぎらわしい。。

料金払って入館。中はやっぱり他の客は子供連れしかいなかった。
さっそくロビーで水槽にカブトガニを見た。「オス4匹分離れましょう」とソーシャルディスタンスの呼びかけになっていた。。

少々暗い展示室に進むとまず笠岡近海の海水魚の水槽があった。
ヒイラギが銀できれいで可愛らしくハゼの型もよくイイ感じだった。

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そして大きな水槽にも大きなカブトガニがいた。
一匹だけで寂しいなぁとか思ったけど、このカブトガニがすごく元気で水槽内を行ったり来たり、サービス良く立ち上がったりしてグロテスクな内側をも恥ずかしげもなく見せていた。
うわ、やっぱり虫だなぁ、、と思ったけど、ちゃんとカニっぽいハサミも付いてんのね。暫らくじっくり眺めた。

博物館の部分は少々昭和感のある資料展示。カブトガニの生態と研究を解説。個人的には笠岡湾の干拓の歴史とか興味あった。かなり派手に埋め立てたんだね。ジオラマは干潟のだけでパッとしなかった。

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で、その他の大部分はほとんど恐竜の展示。「生きた化石」の化石つながりでって事なのかな。なるほど子供連れしかいないわけだわ。
一番メインの中央の舞台は子供向けの学習クイズビデオで、客席に回答ボタンがあってこってたけど、参加する勇気はなかったw

世界の恐竜の骨を見ながら二階に上がると「世界最長のカブトガニの這い跡化石」というのもあった。恐竜の足跡の化石は見たことあるけど這い跡の化石って、、どんな環境で化石になるまで残ったんだろうね。。

そして外の見れる展望室があって、ベランダから目の前の神島水道の海と目の前の神島がよく見えた。
昔はその地名の通り島だったんだね。(っていうかこの博物館がある横島も昔は島だったようだ)

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そういえば前にカブトガニが見れるかと思って海を眺めたのってどこらへんだったっけ。(もっと南の湾の口の方だった
恐竜メインであまりカブトガニに浸れなかったけど展望もできたしまあいいかな、、と出口に向かった。

けど、ロビーで「飼育展示室は←こちらへ」という案内に気が付いて、あ、まだカブトガニが見れるトコあるんだ!と廊下を奥に進んでみた。

ら、その廊下の途中に水槽が並んでるトコがあって、見るとタナゴが大群で泳いでいた。
おおー 水族館でもこんな濃い群れでタナゴを泳がせてる水槽はみたことないぞと嬉しくなって(ペットショップの入荷直後ならあったかも)しばし眺めた。

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そして隣りの水槽には川魚が混合でこれもわりと沢山泳いでいたし、その下に魚の解説が手作り風にしてあって「他の魚に子育てをお任せ」とか「パパが子育て」とか愛を感じてほほえましかった。とくにカマツカは推しのようで一枚使って細かく解説してて見ごたえあった。

最後にミニ水族館も見れて満足。出口に戻ろうとして、、おっといけない「飼育展示室」はこれじゃないよな、と思い直して廊下を進み、一旦外に出ると向かいに別棟でその「飼育展示室」があった。

その中は「カブトガニの飼育」の資料展示と小さい水槽がいくつか並んでるだけで、ガラス越しの実験室みたいな部屋は覗くだけだった。
その水槽を見ると小さく錆びれたようなカブトガニがいた。
けど、他の水槽には面白い魚が入っていた。

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まずは「トビハゼ」
これは目の前の神島水道で見て可愛らしかった陸を跳ねる小魚。ちゃんと解説もあり、陸に上がる姿も見れた。いいねいいね。
そして「ヨウジウオ」
ん?これも笠岡湾に沢山いる魚なのかな?(魚の解説はあってもそういう説明はなかった)タツノオトシゴの細長いバージョンって感じの変な魚。小さなタツノオトシゴも一緒に泳いでた。

風変わりな魚とかの地域の自然のこっちの方をメインにすればいいのにと思うけど、それじゃお客が入らないだろうしこれで広いスペースを演出するのはキツイだろうね。。

そして外には「カブトガニの飼育池」と「カブトガニの産卵池」というのがあった。

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「産卵池」の方は奥で覗けず「飼育池」だけ観察。。でもカブトガニの姿は見えず、ポコポコ開いた穴に隠れてるのかな?とカメラのズームでみてみたら、普通のカニだった。。
ちょっと残念。此処にも何か解説欲しかった。

と、最初は子供連ればかりの恐竜スポットで場違い感と隠れるような雰囲気で見るカブトガニの資料展示に失敗した気分だったけど、他にも色々あって充分楽しめた。
けどまた恐竜の公園を横切って駐車場に戻るのはやっぱり場違い感あって足早に戻ったw

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